1 自我と〈生〉のルーツを持たない男の空洞感が埋められたとき
誰から生まれ、誰に育てられ、どこで育ったかという、自我と〈生〉のルーツを持たない男にとって、内側に巣食う空洞感を曖昧にさせてくれる場所で呼吸を繋ぐことで、そこに、その男の応分に見合ったアイデンティティを手に入れることが可能であるだろう。
しかし、そんな男が、自我の〈生〉を曖昧にしてくれる格好の「お伽話」の空間だった、大都市・東京から遁走するに至ったとき、男にはもう、自己のルーツを曖昧にさせることで空洞感を封印する手立てを失ってしまったのである。
極道の世界で生きたその男が、東京で組幹部刺殺事件を起こしたために、「お伽話」の空間を捨て去るに至ったのだ。
そんな男を、一人の女が救った。
男のヒモであるその女は、自分の故郷である北方の地に男を随伴し、その生活の一切の面倒を見ることを約束したのである。(画像)
女が男を随伴した北方の地とは、冬の季節風がびゅんびゅんと吹きつけて来る、荒涼とした津軽の大地。
自我と〈生〉のルーツを持つ女には、戻るべき故郷があったが故に、曖昧にさせねばならない程に、内側に巣食う空洞感が張り付いていなかった。
そんな女の、もう一つの帰郷目的は、出漁中に事故死したと信じる、父と兄の墓を建てること。
しかし、真紅のコートが眩しい女の出で立ちは、既に、「お伽話」の空間での生活に馴染み過ぎた者の極彩色の煌(きら)びやかさを放っていて、灰色の濁った色彩に覆われた、北方の厳しい自然で呼吸を繋ぐ人々の土俗的なる心象風景と切れていた。
それでも、男のヒモであることのアイデンティティによって辛うじて繋ぐ〈生〉は、盲目の娘との「純愛」に振れていく男の変容の中で、その根柢において崩れてしまうのだ。
更に、不幸の連射が女を襲いかかった。
今や、女の帰郷目的であった墓の建立のための資金は、女が当てにした死亡保険金の入手の望みが断たれていたばかりか、働いていた飲屋に預けた貯金通帳まで持ち逃げされることで、計画倒れに終わってしまったのである。
自我と〈生〉のルーツを持つ女にとって、戻るべき故郷の存在は、もう、その悲哀を吸収してくれる特別な何かではなかったのだ。
自我と〈生〉のルーツを持たない男が、その空洞感を癒すに足る「純愛」に振れていくことで、不運な女の人格の総体を受容し得る何ものもなく、「男の観念」と「力の論理」という情感体系に拠って立つはずの、極道の世界の「非日常」の異臭を脱色させた25歳の男に向かって、遂に女は別離を告げた。
「あんた、良かったわね、ふる里が見つかって・・・」
女と別れた男が真っ先に向かった場所は、祖母に養われた盲目の娘の、今にも朽ち果てそうな棲家。
漁師生活にアイデンティティを手に入れていた男には、自我と〈生〉のルーツを持たないが故に、その空洞感を埋める作業には、殆ど立ち塞がる壁が存在しないのだ。
ズームを少し変えれば、何もかも新鮮に映り、何もかも、自己の再生の契機に成り得るのである。
しかし、人生は甘くない。
男を抱擁すると信じた風土だって、盲目の娘との「純愛」のうちにのみ自己完結する幻想の小宇宙でしかないのだ。
「純愛」の継続力も、恒久の至福を約束してくれるものではないだろう。
だが、「純愛」の継続力が検証される前に、外部圧力によって、飯事(ままごと)遊びのような二人の関係は破壊されるに至ったのである。
大都市からの刺客によって、腹部を刺された男の遺体は、暗い河口に浮いていた。
自我と〈生〉のルーツを持たない男の空洞感が埋められたとき、一切が終焉したのである。
誰から生まれ、誰に育てられ、どこで育ったかという、自我と〈生〉のルーツを持たない男にとって、内側に巣食う空洞感を曖昧にさせてくれる場所で呼吸を繋ぐことで、そこに、その男の応分に見合ったアイデンティティを手に入れることが可能であるだろう。
しかし、そんな男が、自我の〈生〉を曖昧にしてくれる格好の「お伽話」の空間だった、大都市・東京から遁走するに至ったとき、男にはもう、自己のルーツを曖昧にさせることで空洞感を封印する手立てを失ってしまったのである。
極道の世界で生きたその男が、東京で組幹部刺殺事件を起こしたために、「お伽話」の空間を捨て去るに至ったのだ。
そんな男を、一人の女が救った。
男のヒモであるその女は、自分の故郷である北方の地に男を随伴し、その生活の一切の面倒を見ることを約束したのである。(画像)
女が男を随伴した北方の地とは、冬の季節風がびゅんびゅんと吹きつけて来る、荒涼とした津軽の大地。
自我と〈生〉のルーツを持つ女には、戻るべき故郷があったが故に、曖昧にさせねばならない程に、内側に巣食う空洞感が張り付いていなかった。
そんな女の、もう一つの帰郷目的は、出漁中に事故死したと信じる、父と兄の墓を建てること。
しかし、真紅のコートが眩しい女の出で立ちは、既に、「お伽話」の空間での生活に馴染み過ぎた者の極彩色の煌(きら)びやかさを放っていて、灰色の濁った色彩に覆われた、北方の厳しい自然で呼吸を繋ぐ人々の土俗的なる心象風景と切れていた。
それでも、男のヒモであることのアイデンティティによって辛うじて繋ぐ〈生〉は、盲目の娘との「純愛」に振れていく男の変容の中で、その根柢において崩れてしまうのだ。
更に、不幸の連射が女を襲いかかった。
今や、女の帰郷目的であった墓の建立のための資金は、女が当てにした死亡保険金の入手の望みが断たれていたばかりか、働いていた飲屋に預けた貯金通帳まで持ち逃げされることで、計画倒れに終わってしまったのである。
自我と〈生〉のルーツを持つ女にとって、戻るべき故郷の存在は、もう、その悲哀を吸収してくれる特別な何かではなかったのだ。
自我と〈生〉のルーツを持たない男が、その空洞感を癒すに足る「純愛」に振れていくことで、不運な女の人格の総体を受容し得る何ものもなく、「男の観念」と「力の論理」という情感体系に拠って立つはずの、極道の世界の「非日常」の異臭を脱色させた25歳の男に向かって、遂に女は別離を告げた。
「あんた、良かったわね、ふる里が見つかって・・・」
女と別れた男が真っ先に向かった場所は、祖母に養われた盲目の娘の、今にも朽ち果てそうな棲家。
漁師生活にアイデンティティを手に入れていた男には、自我と〈生〉のルーツを持たないが故に、その空洞感を埋める作業には、殆ど立ち塞がる壁が存在しないのだ。
ズームを少し変えれば、何もかも新鮮に映り、何もかも、自己の再生の契機に成り得るのである。
しかし、人生は甘くない。
男を抱擁すると信じた風土だって、盲目の娘との「純愛」のうちにのみ自己完結する幻想の小宇宙でしかないのだ。
「純愛」の継続力も、恒久の至福を約束してくれるものではないだろう。
だが、「純愛」の継続力が検証される前に、外部圧力によって、飯事(ままごと)遊びのような二人の関係は破壊されるに至ったのである。
大都市からの刺客によって、腹部を刺された男の遺体は、暗い河口に浮いていた。
自我と〈生〉のルーツを持たない男の空洞感が埋められたとき、一切が終焉したのである。