草の乱('04) 神山征二郎監督  <善悪二元論を突き抜けられない革命ロマンの感動譚>

 1  「奥武蔵・秩父」という固有の存在性



 今から30年もの昔、自由民権運動に強い関心を持っていた私は、地域でささやかな文化運動に挺身しながら、関東近県の町村を歩き回っていた。

 在野の研究者を気取って、メモ帳片手にオーラル・ヒストリー(聞き書き)の如き趣味を楽しんでいたのである。

 主に夫婦二人で移動した聞き書き旅行は、信じ難いほどに縦横無尽の身体表現であったが、主観的には「徘徊」という範疇で収まらない意味づけをそこに付与していたから、しばしば辛い経験に遭遇しても、心の中は結構充実していたと思っている。

 その聞き書き旅行の中で、最も多くの時間と労力を注入したのは、間違いなく「秩父事件」についての学習的ストロークである。

 と言うより、この事件に対する深い関心こそが、聞き書き旅行の最大のモチベーションであり、発火点でもあった。

 たまたま西武池袋線の沿線の近郊都市に居住していた関係から、秩父との感覚的距離感を持つことが殆どなかったのだが、それもまた、この地方へのハイカー的なアプローチを継続させていた経験と無縁ではないだろう。

 壮年期には、奥武蔵と秩父への貪欲極まる趣味的撮影行が、長く私の心を捉えて離さないほど無我夢中になった思い出として、その心地良き時間の記憶を今に留めている。

 だから私にとって、「奥武蔵・秩父」という固有の存在性は、「心の故郷」とも言うべき、掛け替えのない何かなのである。

 猛吹雪の中で訪れた、堂々とした家屋の風格がひと際目立つ村上泰治(下日野沢村)の生家、風布の大野苗吉、更に困民党の中枢拠点である下吉田の落合寅市、石間の加藤織平という「志士」たちの生家、そして秩父困民党軍壊滅の地である、信州東馬流(南佐久郡小海町)の「秩父事件戦死者の墓」(確か当時は、「秩父暴徒戦死者の墓」と書かれていたと記憶する)といった所縁(ゆかり)の場所などを隈なく訪ね歩き、その度に過分な持て成しを受けて、若い心の中に終生忘れ得ない貴重な経験が鏤刻(るこく)されたのである。

 しかしながら、そんな私が、常に待望して止まなかったはずの「秩父事件」の映画化を知ったときの想いは、単に懐かしいものと再会できる喜びを、ほんの少し随伴する心情と言っていいだろう。

 私の中で何かが変わり、何かが残ったのである。そこで残ったものは貴重な経験の思い出であり、恐らくそれ以外ではなかった。

 そして今、「事件」への様々な想いが詰まっている私が「草の乱」を観たのだが、正直、昔だったら他の映画とは異なった深い感情移入の中で、まるで恋する者の気分にも似た初々しさを表出することさえ躊躇(ためら)わず、存分に鑑賞したに違いないだろうと思われる。

 然るに、既に相応のリアリズムによって「自己武装」(?)していると自負する気分の私には、もうこの種の映像を素直に受容できなくなくなってしまっているようだ。

 
(人生論的映画評論/草の乱('04) 神山征二郎監督  <善悪二元論を突き抜けられない革命ロマンの感動譚>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2009/03/04.html