風景への旅(その4・晩秋を歩く)

 晩秋と呼ぶには少し早いが、雪化粧していない富士の優美な山容と、コスモスの多彩な色彩が睦み合って、その絵柄のうちに、「富士にはコスモスが似合う」という言葉が最も相応しいイメージを見せてくれたのである。

 河口湖畔の大石に咲く可憐なコスモスが、台風一過のブルースカイに映えて、まもなく訪れる紅葉の季節の呼び水の如く、それ以外にないと思わせる、柔和なる自然の寄進を添えてくれて、晩秋のつるべ落としの落日の風情を弥(いや)増してくれたのだ。

 そして、11月の上旬辺りから、西高東低の典型的な冬型の気圧配置が、季節変化の明瞭な我が日本列島にそろそろ定着するようになると、紅葉前線が一気に高山から下りてきて、この国の山々の風景を劇的に変容させていく。

 その季節になると、私の気持ちは穏やかでなくなってくる。

 標高1000メートル以上の辺りにまで、紅葉前線が下りてくるシグナルを感知して、私の低山徘徊が開かれるのである。

 針葉樹の人工林が多い奥武蔵との縁は、残念ながら、この季節には切れて、広葉樹が多い近郊の山々へのアプローチが増えていくのだ。

 そんな私が、今まで視界に収めた紅葉スポットの中で、最も鮮烈な印象を残してくれたのは、何と言っても、奥秩父の中津川渓谷である。

 「中津仙境」と称されるほどの紅葉スポットへのアプローチは、物理的に困難を極めるので、そこで得た心地良い記憶が忘れ得ないのだろう。

 何しろ、西武線沿線に住んでいながら、三峰口まで辿り着くのに時間がかかり過ぎるのだ。

 池袋線西武秩父まで行って、そこから秩父鉄道に乗り換える。

 本数の少ない三峰口までの電車に乗り換えて、、終点まで行く。

 そして、三峰神社の参拝をスル―して、その駅を始発とする西武観光バスに乗って、時折、崩落箇所がある嶮阻な中津川林道の風景を横目で見ながら、一時間ほど揺られていくのだ。

 多くの人はマイカーで紅葉散策を愉悦するのだろうが、、ドライブを嫌う私は、この「仙境」の散策をマイペースで進んでいく。

 この「中津仙境」に限っては、登山という手段が無効なので、ひたすら渓谷沿いの道から仰ぎ見る、切り立つ断崖や奇岩の周囲を、眩く染め抜く黄紅葉の風景を存分に愉悦するのである。

 殆ど、バスの最終時刻近くまで粘り抜いて謳歌する、「仙境」の散策の醍醐味は、一期一会の心境下での風景美との感動の余韻によって支配されているから、もう何も言うことはない。

 そんな素晴らしい晩秋の思い出は忘れ難く、今でも心地良きイメージラインの中で揺蕩(たゆた)っているのである。


[ 思い出の風景/風景への旅(その4・晩秋を歩く)  ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/08/blog-post_07.html