ほえる犬は噛まない('00)  ポン・ジュノ <ペット犬飼いの「近代性」と、ペット犬喰いの「前近代性」の包括的共存の様態>

高層団地という限定的スポットの中で出来した、「連続小犬失踪事件」。

 それは、学長への賄賂なしに大学教授のポストを得られない現実を認知しながら、身重の姉さん女房に食べさせてもらっているが故に、賄賂の工面も為し得ず、その類の振舞いに引いてしまう男の悲哀が生んだもの。

 件の男の名は、ユンジュ。

 大学の非常勤講師である。

 留守番専門の自宅にいても女房に頭が上がらず、最低ランクの職業と揶揄される非常勤講師の中途半端な状況が延長されて、世渡り下手のユンジュの自我にストックされたストレスは、いつしか、ディストレス(浄化困難な不快感が継続された心理状態)にまで膨張するに至る。

 そこで封印し切れなくなった過剰な情感のアナーキー性の行き着く先は、ディストレスの格好の捌(は)け口を仮構すること。

 狭隘な「日常性」を象徴する、高層団地という限定的スポットの中で、キャンキャン吠えるペット犬の耳障りな鳴き声が、ディストレス状況の加速的広がりを極めていくことで、ユンジュはデッドエンドの心理状況に搦(から)め捕られていくのだ。

 このデッドエンドの心理状況に搦め捕られていく、抑制困難な内的プロセスの自壊性とアナーキー性の膨張こそが、本作の物語の骨格にあり、その変容の内的プロセスのうちに、通常、私たちが「見たくないもの」や、「見ることから回避しているもの」の裸形の様態が集中的に表現されていく。

 ユンジュのデットエンドの加速的膨張を際立たせているのは、高層団地の管理事務所に勤務し、迷い犬の捜索の依頼を受けた少女のために、必死に奔走するヒョンナムの存在である。
 と言っても、黄色いパーカーのフードを被って、勝負服に身を包んだヒョンナムは、犯人を捕捉し、市民栄誉賞を手に入れさえすれば、テレビに出演できるという世俗的願望が彼女の推進力になっていたのである。

 銀行強盗を撃退した女性行員の勇敢な活躍のテレビ報道が、ヒョンナムを駆り立てていったのだ。
 
 
(人生論的映画評論/ほえる犬は噛まない('00)  ポン・ジュノ <ペット犬飼いの「近代性」と、ペット犬喰いの「前近代性」の包括的共存の様態> )より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/07/00.html