風景への旅(冬紀行)

 私の好きな富士山への最近接というイメージこそ、「冬紀行」という言葉に相応しい何かである。

 その優美な山容において、成層火山特有の円錐形に近い、美しい稜線を持つ富士山は、私にとって「登る山」ではなく、一貫して「仰ぎ見る山」である。

 この「仰ぎ見る山」が、他に比べられない名峰としての魅力を発揮するのは、雪化粧した「冬富士」の優美な相貌を露わにしたときである。

 どこからでも仰ぎ見ることが可能な「冬富士」の、空気が凛と冷えて、厳しくも視界良好の朝に映える、眩いまでの訴求力の高さは、広い裾野を持つ独立峰の輝きを放つ、その圧倒的な存在感に因っているのだろう。

 波立ちが収まった静謐な水面に、孤高の山容の「冬富士」の呼吸音が間近に迫ってくるような、名状し難い感動を覚えたことを、私は今でも忘れない。

 「逆さ富士」の堂々とした相貌が、そこに立ち現われたのである。

 30年近くも前の冬。

 妻と二人で、精進湖に行ったときのことである。

 思いの外、人気が少なく、手前に位置する大室山を抱え持っているように見えることから、「子抱き富士」とも称される個性的な山容を、「仰ぎ見る山」としての、水面の揺らぎの少ない時間と、身も心も預けたい気分のうちにいつまでも佇んでいて、乗り継ぎのバスの時刻を忘れるほどだった。

 私たち夫婦を強力な磁力で惹きとめて止まない、そんな気分にさせる何かが、「逆さ富士」の見事な「子抱き富士」にはあったのだろう。

 その後、練馬区に住み、そこから西武池袋線の下りに乗って、奥武蔵の低山徘徊に行くときなど、車窓から西の方向に眼を見遣り、雪化粧した富士の山容を確認する習癖がすっかり身についてしまっていて、その挨拶代わりの心地良さが安寧にもなっていた。

 私にとって、富士山は、常に「仰ぎ見る山」なのである。
 
 
[ 思い出の風景/風景への旅(冬紀行)  ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/08/blog-post_27.html