ウエスト・サイド物語('61)  ロバート・ワイズ <個性的なアートとしての「ミュージカル」の「表現の外発性」>

 序  凝ったオープニングシーンから開かれる本作の、時代相応にフィットした「ミュージカル」としての完成度



 NYのマンハッタン島の超高層ビルから始まった説明的な鳥瞰ショットが、ストリートギャング紛いの不良少年グループの溜り場であるスラム街にシフトしていく、凝ったオープニングシーンから開かれる本作の、時代相応にフィットした、「ミュージカル」としての完成度は高いものと言えるだろう。

 しかし本稿では、本作への「映画評論」をするつもりはない。

 結局、「好みの問題」にしか落とし所のない類の批評を繋いでも、殆ど意味がないと思うからだ。

 「心の風景」への投稿にこそ相応しいと思われる本稿で触れたいのは、この映画を初めて観た青年期の「心地悪き思い出」と、そこに張り付く「人生論的」な言及に尽きるだろう。

 以下、その問題意識に則して起筆していく。

 
(人生論的映画評論/ウエスト・サイド物語('61)  ロバート・ワイズ <個性的なアートとしての「ミュージカル」の「表現の外発性」>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/10/61.html