秋立ちぬ('60)  成瀬巳喜男   <削りとられた夏休み>

 序  大人は当てにならない



 「人生は思うようにならない」

 成瀬映画を一言で要約すると、恐らくこの表現が一番近い。
 
 人生を自然のままに切り取ろうとすると、客観的にはどうしても滑稽であったり、哀切であったり、そしてしばしば残酷であったりすることは避けられない。本当に必要な描写のみを程良い叙情を織り交ぜて、基本的には淡々と積み上げていく成瀬作品の多くが、遣り切れないほどの人生の残酷さを映し出してしまうのは、人並みに生きているはずの人間をありのままに見ようとする、そのテーマ性から言えば必然的である。

 人間を見る成瀬のこうした視線が子供の視線に変えられても、そこに映し出される世界は基本的には変わらない。

 「大人は当てにならない」

 これが、「秋立ちぬ」という忘れ難い秀作の全てかもしれない。

 大人が如何に当てにならないか、うんざりする程見せつけられる本作の主題は、しかし、そんな大人に対するフラットで、情緒的な攻勢で了解される類のお子様映画の脳天気さのうちには決してない。本作の製作者でもある成瀬自身の、その苦労した少年期を髣髴(ほうふつ)させるようなイメージがこの映像から読みとれるが、成瀬巳喜男という男が、感傷や奇麗事、更には「子供応援歌」に流れるような作品で映像を括っていく訳がないのである。


(人生論的映画評論/秋立ちぬ('60)  成瀬巳喜男   <削りとられた夏休み>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/12/60.html