男はつらいよ 寅次郎恋歌('71) 山田洋次 <リンドウの花――遠きにありて眺め入る心地良さ>

 1  定番的な「別れの儀式」が捨てられて



 旅芸人の一座と交わって、歓談している内に、寅さんは故郷柴又が恋しくなって、帰郷する。しかし例によって、変なところでシャイで、遠慮深い寅さんは中々団子屋の暖簾を潜れないでいた。

 そして例によって、団子屋の連中もそれに気づき、いつものように歓迎の儀式を演出しようと図るのだ。今回の場合、この歓迎の儀式には伏線があった。近所で寅さんの悪口を言われていることに対して、身内の者が憤慨していたのである。
 
 「お兄ちゃんは何も悪いことしていないのに・・・」

このさくらの思いが、団子屋の結束力を高めたのである。

 ところが団子屋の連中ときたら、からっきし演技力がない真面目な連中なので、そのオーバーな儀式が寅さんにバレてしまうのである。そういうシャープな嗅覚だけは、この男に抜きん出て備わっているから厄介なのだ。この日の帰郷もまた、そうだった。
 
 「何の真似だい?」と寅。
 「何の真似って、おめぇを歓迎してるんじゃねぇか」とおいちゃん。
 「どうして俺を歓迎してるんだ」
 「あれ?歓迎しちゃいけねぇのかい?」
 「あんまり、良かねぇな」
 「どうしてよ、歓迎された方がいいじゃないか」とおばちゃん。
 「歓迎されてぇ気持ちはあるよ。だけどおいちゃん、俺はそんなに歓迎される人物かよ」
 「お兄ちゃん、何もそんな言い方しなくたって・・・」と妹のさくら。
 「さくら、おめぇ企んだな。あんちゃん久し振りに帰って来たら、からかおうと思ったろ?」
 「誰もからかってなんかいないわよ!何ひねくれてんのよ」
 
 さくらが珍しく語気を荒げても、この日の寅さんは、最愛の妹の感情のラインに合わせることをしなかった。それだけこの男には、眼の前で演じられた芝居が余りに見え透いたものに映ったのだろう。

 その挙句、いつものように身内の事情を知らない厄介なる男は、これもまたしばしばそうであるように不貞腐れて、外に出てしまった。

 「あぁ、嫌だ、嫌だ。俺はもう横になるよ・・・」

 このおいちゃんの決め台詞が出たところで、一応その場の収拾が図られたのである。

 ところが、この日は違っていた。

 その夜、すっかり酩酊した寅さんが見知らぬ連中を団子屋に連れて来て、そこで二次会を始めようとした。

 しかし店の奥の茶の間には、寅さんのご乱行に腹を立てている身内がいる。空気が既に澱んでしまっていたのだ。その空気を鋭利に察知しつつも、寅さんは暴走を止められない。意地でも強行突破を図るようにも見えた。

 結局、おいちゃんと立ち回り寸前の兄を、さくらが必死に止めて、妹なりの配慮を繋ごうとした。

 さくらは兄の客人にビールを注いで、酌婦まがいの行動を辞さなかったのである。更に、妹に対して歌まで歌わせようとする傍若無人の兄の前で、本当にさくらは「かあさんの歌」を歌い出したのだ。

 
(人生論的映画評論/男はつらいよ 寅次郎恋歌('71) 山田洋次  <リンドウの花――遠きにありて眺め入る心地良さ> )より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/10/blog-post_25.html