生きること、必ずしも義務にあらず

 「海を飛ぶ夢」(アレハンドロ・アメナーバル監督/写真)という映画がある。スペインの実在の人物、ラモン・サンペドロの「安楽死事件」をモデルにした有名な作品である。

 本作への評価については、私の「人生論的映画評論」に詳しいので、ここではダイレクトに「安楽死」をテーマにした一文を書いてみたい。

 ―― オランダの「安楽死」の現状から、稿を起してみる。
 

 安楽死先進国と言われるオランダで、その安楽死の問題の口火を切った「ポストマ女医安楽死事件」が起こったのが1971年である。
 
 ポストマ女医は、脳溢血の後遺症で自殺未遂を繰り返す実母の壮絶な苦悶を見るに見かねず、致死量のモルヒネを注射することで、実質的な自殺幇助の直接の加担者となって逮捕され、裁判となった。結局、形ばかりの有罪となったが、この事件を契機に「オランダ自発的安楽死協会」が発足し、安楽死法制化運動の先駆けとなったのである。
 
 1981年に「オランダ国家安全安楽死委員会」が設置され、やがて法制化へと至るのだが、ここで重要なのは、1985年の「ハーグ下級裁判所事件」である。

 これは多発性硬化症(脳と脊髄の病気で、視覚・運動・感覚障害など症状は様々で、原因不明だが、多くは回復するとされる・筆者注)の患者に対して安楽死を実行し、最終的に無罪判決に至った事件であるが、注目すべきは、この患者が終末期の患者ではなかったという事実だ。

 即ち、安楽死の絶対要件とされる激しい肉体的苦痛の訴えではなく、患者の精神的苦痛の訴えに対して安楽死を実行し、それが「緊急避難」として認知されたという驚くべき事件だった。しかも、患者が訴えた内容は、「自分で何一つ自分のことができない」というもの。
 
 これは明からかに、「海を飛ぶ夢」のラモン・サンペドロのケースと全く同一の内容を含むものなのだ。オランダで可能だったことが、同時期に四肢麻痺状態を継続していたラモンの母国、スペインでは不可能だったということである。

 1994年、かのオランダにおいて、私たちの通念ではとうてい理解が及ばない震撼すべき事件が起こった。

 「シャボット医師事件」がそれである。

 夫と離別した一人の中年女性が、相次いで二人の息子を喪ったことで人生に絶望し、強い自殺願望を持ち続けた挙句、「オランダ自発的安楽死協会」を訪ね、そこで精神科医のシャボット医師を紹介される。女性は医師に安楽死を懇願し、精神科の治療を受けるように医師に手配されたが、彼女はそれを拒み、安楽死を切望するのみ。シャボット医師は他の精神科医と相談した上彼女に致死量の薬剤を与え、それを服用した女性が自殺を既遂するという事件に至ったのである。

 医師は最高裁で形式的な有罪判決を受けて事件は完了するが、この事件で特筆すべき点は、安楽死を遂行したその女性が、「厭世的な気分の状態=深刻な精神的苦痛」を理由に致死量の薬剤を手に入れられたという事実である。

 その状態を一時的な鬱症状と判断できなくもないが、彼女が健常者であったことは間違いないとされる。即ち健常者であっても、その精神的苦痛の故に安楽死の遂行が可能となったという一点において、この事件の持つ意味の大きさは測り知れないと言えるだろう。(ネットサイトarsvi.com「死の権利」の現状について~日本、オランダ、アメリカの比較から~ 田村亜子 2000 愛知県立看護大学卒業論文 参照)


 以上の三つの事件を通して、オランダの安楽死の現状を俯瞰してみたが、尊厳死の法制化にはほど遠い距離にある、私たち日本の現状と比較すると、どうしてもそこに文化や国情の違いを無視する訳にはいかなくなる。その国の文化は、長い歴史の中で様々な紆余曲折を経て形成されてきたものだから、文化の壁をグローバル化の名によって容易に越えていくと考えるのは傲慢ですらあるだろう。

 オランダにはオランダの、日本には日本の文化がある。
 
 そしてスペインにはスペインの文化がある。ラモンの辛さは充分すぎるほど理解できるが、しかしカトリックの彼の国で、「安楽死法」の制定はとうてい許容されるものではないだろう。個人的には、私はオランダの尊厳死に関わる制度の実現を切望するが、現実的には、「安楽死問題のオランダ化」は難しいと考えざるを得ないし、それもまた仕方ないと括っている。


 因みに、オランダでこのような状況が形成されたのは、そこに歴史的、文化的、経済的要因がその土壌を成していることと関係するだろう。

 本稿の中枢的テーマと些か離れていくが、どうしても、「尊厳死」の深い背景を検証したかったので、それについて簡単に言及したい。

 まず第一に言えるのは、個人の権利を徹底して尊重するオランダの精神文化。

 多民族国家と言われるオランダは、他国から迫害された人々を多く受け入れてきて、国土の4分の3が海であった土地を干拓し、自らの手で自分の国を作り出したという誇りと自立心が極めて強く、その精神はカルビン派の質素、倹約というメンタリティに支えられ、そこに際立って強烈な個人主義が定着し、確立してきたという歴史がある。

 他人がアポなしで勝手に自分の家に訪問することを拒むほどの、この国の人々の権利意識の強さの背景には、スペインからの独立戦争をイギリスの協力を得て勝ち取ったという矜持や、カルビン的なピューリタニズム、近代哲学を開いたデカルト(フランス人だが、晩年の20年間はオランダで過ごす)や、スピノザの合理主義的で自由主義イデオロギーが脈々と流れているという把握は看過できないだろう。従って、そんな精神風土から強烈な自我を貫いたレンブラントフェルメール、更には、ゴッホという芸術家を生み出したのは不思議ではないと思われる。

 近年公開された「キャラクター」という映画には、両親とその息子の、あまりに強烈な自我の愛憎と葛藤が描かれていたが、些かデフォルメされているものの、まさに、オランダ人のメンタリティのその極北のさまを見たような思いがしたものだ。「独立自尊」こそ、オランダ人の真骨頂なのだろう。

 
(「心の風景/生きること、必ずしも義務にあらず」より)http://www.freezilx2g.com/2008/12/blog-post_24.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)