それが日暮れの道であっても

 ここに一冊の本がある。

 今から40年以上前の雑誌だ。「キネマ旬報 第392号 昭和40年6月上旬号」というレア物の雑誌を、私は在住する清瀬市内の図書館を経由して、都立多摩図書館から取り寄せてもらった。そこに、とても興味深い一文が載っているからだ。

 そのエッセイのタイトルは、「『なくて七癖⑲ 成瀬巳喜男の巻』――冷厳な職業的レアリスト」。

 筆者は森谷司郎。「日本沈没」(1973年)、「八甲田山」(1977年)、「動乱」(1980年)等の作品で著名な映画監督である。

 その森谷司郎が一時(いっとき)、成瀬組の助監督を勤めていた頃のエピソードが、そのエッセイに紹介されていて、幸運にもそれが手に入ったのである。その中で印象に残っている部分を、ここに引用する。


 「助監督となって一年余、やっと撮影現場のABCを知りはじめた頃だ。私がカチンコを持っていたばっかりに、すでに名作『めし』や『浮雲』を撮った成瀬さんのそばに、いやでも、いつもくっついていられたことは、先輩たちに聞かされる虚々実々の、数々の伝説に半ばおびえながらも楽しくてならなかったし、今思えば大へん幸いだったと思う。

 成瀬さんは、私が生まれた時にはすでに映画監督をしている人だ。いわば私から見れば親爺のような年齢の人。だからしだいに雰囲気に慣れてくれば、何となく甘える気持ちが出てきても不思議ではない。しかし、私は、十日もたつとあることに気がついた・・・・・。

 朝、九時十五分前、成瀬さんはぴたっと控室に入る。わたしは挨拶をする。低い、静かな声で『お早う』というと、成瀬さんはいつものようにセットに入る時間まで、ピースをうまそうに喫いながら、やや斜めに膝をくんで、どこか遠くの方を見つめるようにじっと坐っている。ところが、今挨拶をしたこの人を、私はその日はじめて会う人のようにしか感じられない。このそっけなさ、よそよそしさは希有のものだ。それが接する相手に常に初心を要求しているようで、まだ青臭い私でさえも何か襟をただす思いがした。慣れすぎるということは失敗のもとなのだ・・・・・。

 監督とスタッフとの連帯感は、映画をつくることへの努力によって結ばれるのだが、往々にして人情というか、いわば感傷的な慣れ合いというものがあり、殊に固定したスタッフの中では長い間にどうしてもそういうニュアンスが出て来て、時にはそれが仕事の邪魔になるものだが、成瀬さんの仕事の中に私はそういう感傷的な肌ざわりを感じることがなかった。

 大げさないい方をすれば、私は社会へ出てはじめて、ほんとうの大人を、冷たく、厳しいレアルな職業的人間を見る思いがした。

 自分だけ芸術家を気取って、映画そのものをつくるより、先ずラジカルに理屈をいい、自己顕示欲に取り憑かれたような映画監督の多い昨今、こういうアマチュアたちが真似しようにもできないであろうレアリスト成瀬巳喜男のプロフェッショナルな一面を私は深い尊敬と親しみをもってのぞかせてもらったわけだ。(略)

 成瀬さんは俳優の演技を導くのに決して抽象的な言葉をつかわない。『違うでしょう・・・』『もっと低い声で』『・・・早口でしゃべってみたら・・・』とか、『・・・そこで煙草をつけましょうか・・・』といった具合だ。また、一つの演技の背景とか状況といったものも、ほとんど説明しない。『本を読めばわかるでしょう・・・・・・』というわけだ。

 極端な時は、握りこぶしを出して「ここ見てしゃべってよ」というだけで、その『ここ』に、誰が、何をしているのかわからないで演じている俳優さんもいるはずだ。
 しかし、成瀬さんの計算しつくされた演出で、それらの全てが自家薬籠中のものにされる。芸術論も演技論も、成瀬さんにかかると見事なまでに平凡な日常的な言葉に置きかえられてしまう。『アレがアレでしょう・・・・・だからアレなのよ』という表現でもこと足りる。

 要は、自分の意図が、映像に充足されればいい・・・。モブシーンであれ、ラブ・シーンであれ演出する顔色は変らず、どんな事態が起きても大きな声を出さないし、決して激さない。
 俳優の演技を見ながら、感情移入し、一しょになって刻刻と表情を変えるタイプの演出家とは全く対照的に、ただ淡々と無感動なまでに無表情で顔でカメラの横に坐っているのだ。(略)

 成瀬さんは、あらゆる意味で人間の特権らしき何ものも持たないし、他人にもそれを認めない。だから権威にもそうでないものにも常に同じ態度で接する。何ごとも無理のない平凡さを愛し、必要以上の自己顕示を厭がる。成瀬さんは他人を信じないから人間を自分の眼で確かめねば気がすまない。だから、いつも物腰低く人ごみの中を歩きまわる。

 そこで、人間の何かを確かめたとしても、成瀬さんは人生に一つの結論を押しつけようとはしない。そんな熱っぽい理想やロマンティシズムには無縁だ。成瀬さんの淡々としたラスト・シーンはいつも帰趨知れぬ人生の暗示で、ざらざらと乾いている。あれは成瀬さんだけの肌触りだ。

 私の描こうとした成瀬さんの顔は、名作『浮雲』という映画のラストシーンと重なる。

 一切の幻滅の底に行きついた男女間の描写、あの微塵の感傷もない、そっけなく、乾いた、ぎりぎりの生臭さで人間の生命を表現したラスト・シーンの本当の顔を見ることができるのだ。
 映画『浮雲』はレアリズムの限界をはるかに越えてひとつの象徴に高まっている。

 映画のカメラは黙っていてもレアルなものだ。レンズにいきなり『観念』というフィルターをかけようとしてもそうはゆかない。
 だからこそ、映画における真にレアルな作家というのは希有で、価値ある芸術家なのだ」(筆者段落構成)


 成瀬をプロフェッショナルなレアリストとして尊敬する森谷司郎は、体調を崩しているものの、存命中の成瀬へのオマージュとして、この一文を書いたかのような印象を受けさえする。

 確かに本文には、「成瀬さんは他人を信じないから・・・」という冷ややかな記述も含まれているが、その人物評は、成瀬が「あらゆる意味で人間の特権らしき何ものも持たない」映像作家であるが故に、「自分の眼で確かめねば気がすまない。だから、いつも物腰低く人ごみの中を歩きまわる」という言い得て妙の把握の内に、矛盾なく収まっているとも言えるものだ。

 「人生に一つの結論を押しつけようとはしない」成瀬は、常に、「そんな熱っぽい理想やロマンティシズムには無縁」な映像作家であるという森谷の把握が、彼の残した多くの秀逸なる映像作品によって、充分に検証されるものであることは言わずもがなのことなのである。

 だから、私は成瀬が好きなのだ。

 一切の奇麗事や観念的理想主義に、ここまで確信的に流れ込まない映像作家が他にいるだろうか。

 そこに情緒的な理念系や、社会派的な啓蒙主義、更にアーティストとしての独善性や、偏頗(へんぱ)なまでにスタイリッシュな自己顕示を抑制できない分だけ、それらの作品は声高になったり、過剰になったり、しばしば奇形的な自己了解世界の中で惑溺したりもするだろう。お陰で私たちは、極端なまでに独りよがりの映像作品と劇場で付き合わされることにもなる。

 作家の思いが過剰に振れ過ぎてしまった分だけ、それと知らずに付き合わされる観客の不幸は、ある一定の確率で必ず出来する文化的クロスゲームの運命(さだめ)であることを認知しつつも、さすがに閉口するものだ。

 そのストレス浄化を必要とする不合理性に対して、自らの不明を恥じるしかないからである。近年、こんな映像作品が、巷間に掃いて捨てるほどあるから余計に厄介なのである。

 成瀬巳喜男の作品は、そのようなミスマッチが最も少ないか、極端に言えば、それが殆どないと言っていいくらいに、私の満足度を、常にある一定の確率で保証してくれるのだ。それが何より有り難いのである。

 なぜか。

 彼の作品には、一欠片(ひとかけら)の傲慢性、独善性、欺瞞性が含まれていないからだ。そのまま人生の真実の姿を切り取って、それをより本質的な表現の内に純化し、加工処理した上で、抑制的にフィルムに鏤刻(るこく)していく。だから表現されたものの中から、不必要なまでの過剰さが見事に削り取られていて、削り取られた分だけ、観る者は、より人間の真実の姿の映像と出会えるという訳である。

 森谷司郎も言及していたが、その典型的な表現が「浮雲」であったと、私は考えている。

 あのラストシーンで、当初、成瀬はゆき子の死の描写を撮りたくなかったらしい。死をダイレクトに描くことを忌避する成瀬の心情は想像できるが、脚本を書いた水木洋子への妥協もあって、あのシーンに結実したと言う。

 成瀬は感傷に流されたくなかったのだ。

 確かに、あの場面の挿入によって、観る者の感涙を誘発したであろうが、私も正直言えば、この描写は必要なかったと考えている。

 女の死に顔をアップで撮り、そこに人工光を当てる描写は、やはり成瀬らしくない。それでも、この描写によって、映像の「メロドラマ」性を強めた効果はあっても、それが映像の表現的な均衡を崩すに足る致命的な瑕疵になっていないが故に、私の中では看過できる描写であった。

 なぜなら、そんな描写を必要としない冷厳なリアリズムの内に、観る者が痛々しく共振して止まないほど、そこには人の心の自然な流れ方に対する哀感が、一篇の人間ドラマを括るに必要な分量だけは間違いなく含まれていたからである。

 それでも、冷厳なリアリズムで駆け抜けたかったであろう成瀬の作家精神の凄みは、「思うようにならない人生」を存分に知る者だけが会得した内面世界に起因する、言わば、「寡黙さの中の苛烈さ」と脈絡する何かであるのかも知れない。

 
(「心の風景/それが日暮れの道であっても 」より)http://www.freezilx2g.com/2008/11/blog-post_20.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)