私たちの大衆消費社会の中では、「他人の幸福は自分の不幸」であり、「他人の不幸は自分の幸福」である。
かつての地域共同体社会では、あらゆる面で人々の近接度が極めて高く、隣人の不幸が我が家の不幸になりやすかったから、そこに否応なく仲間意識が生まれた。必然的に相互扶助観念が育ち、困った隣人を助けることはあまりに常識的なことなので、いちいち助ける度に相手からの返報など期待したりはしなかった。自分もまた、いつか隣人に助けてもらうに違いないからだ。今でも共同体が根付いているエリアでは、皆そうしているはずである。
大体、都市社会の快楽装置の只中に囲繞(いにょう)されている者が他者の不幸に無関心になりやすいのは、隣人の不幸が我が家の不幸になりやすかった共同体社会の存在の構造性と無縁でいられるからであって、恐らく、それ以外の何ものでもないであろう。
〈助け合いの精神〉が特段に強調されるようになったのは、近代社会に入ってからだ。それは単に、近代が競争原理によって動くようになったからではなく、高度な産業社会へのシフトによって、〈結い〉という概念に集約されるように、広範囲な協力システムを不可欠とする農業から人々が急速に離れていき、給与生活者としての一定の自立が可能になっていったからである。
地域での相互扶助の基盤が崩れたこと(注)が、紛う方なく、人々の意識を変えていく。地域は必ずしも、人々の生命と生活の拠って立つ何ものかではなくなったのである。
これは、都市の夏祭りを見れば分る。
三社祭(毎年5月に行われる浅草神社の例大祭/写真)などの熱狂は、今や人工的な仮説空間の中での、それ自体商品価値を持ったイベントとなっている。
下町共同体の連帯確認という付加価値がそこに残っていたにしても、夏祭りという大仕掛けな求心力を必要としなければならないほどに、人々の繋がりは儀礼化しているように見えるのだ。
そしてまたそれは、そこからより都心に拡散していった消費者を、簡単に呼び戻せなくなっている現実を垣間見せているのである。
共同体の自壊を多少延滞できても、共同体を根柢で支えた精神の自壊をもう止めることができないのである。
どれほどのエリアにミニ共同体を仮構しても、それが相互扶助を条件付ける基盤に支えられない限り、それはどこまでも擬似共同体であり、やがて都市という快楽に収斂されていく運命から逃れられないだろう。
相互扶助精神による結合力こそが、共同体の生命線なのである。
だからそこでは当然、「他人の不幸は自分の幸福」にならない。
そこに愛情関係のどろどろした縺(もつ)れが生じたにしても、道徳次元の倫理による復元力が普通に期待されるものが健在である限り、「他人の不幸が自分の不幸」に流れていくという感覚によって、人々はそこで出来した事態に反応していくしかなかったのである。
ところが、こういう近接そのものを、パーソナルスペースに敏感な都市大衆は初めから敬遠する。個人という意識は、過剰に近接した関係の中からは生まれにくいのだ。
距離を取ることに馴致した人々は、もはや、近接した関係をコアとする世界には入れなくなっている。
だから隣人の存在を、共同体の一角を成す中枢の関係者であるとは必ずしも見ていない。隣人は単に、最も身近に出会う他人に過ぎないのだ。
隣人の不幸は、当然、自分の不幸にならない。それは自分以外の多くの不幸の中の、末梢的な一つの不幸でしかないのである。
それほどまでに、隣人の存在性を客観化できてしまうということなのだ。
まして見知らぬ他者の不幸は、自分にとっては本当はどうでもいい不幸なのである。
然るにそこに、「特定他者としての物語」が恣意的に作られてしまうと、本来自分にはどうでもいい関係であるからこそ、その者たちのより惨めな不幸が必要以上に期待され、彼らに対する継続的で、陰湿なるバッシング自体が、過剰なほどに自分の快楽となってしまうのである。
ネットでの「祭り」に象徴されるような「悪意(本音)の暴走」が氾濫する社会に、今、私たちは普通の感覚で呼吸を繋いでいる。
それが、私たちが苦労して作り上げてきた近代社会の、シビアなる現実の闇の実相の紛れもない様態であると言っていい。
それでもなお、この社会における人並みの快楽を簡単に捨てたくないと切に望むならば、私たちは安直に、過剰なるものに流れ込んでいかないように努めていくしかないのである。
でき得る限り奇麗事など吐くことなく、「恥じらいながら偽善に酔う」という程度のスタンスで、適度に 「善」(道徳的価値の高さ)を散らして、そこで手に入れる心地良き精神的満足感の適量感度に自足していられるならば、それで殆ど充分であると括っていけるような自己像に見合った物語を生きていけるではないか。
「特定他者の消費」に流れ込まない知恵の自覚的な確保こそ、過剰な時代と関わることを避けられない私たちの、際立って枢要な日常的テーマであると思われるのだ。
かつての地域共同体社会では、あらゆる面で人々の近接度が極めて高く、隣人の不幸が我が家の不幸になりやすかったから、そこに否応なく仲間意識が生まれた。必然的に相互扶助観念が育ち、困った隣人を助けることはあまりに常識的なことなので、いちいち助ける度に相手からの返報など期待したりはしなかった。自分もまた、いつか隣人に助けてもらうに違いないからだ。今でも共同体が根付いているエリアでは、皆そうしているはずである。
大体、都市社会の快楽装置の只中に囲繞(いにょう)されている者が他者の不幸に無関心になりやすいのは、隣人の不幸が我が家の不幸になりやすかった共同体社会の存在の構造性と無縁でいられるからであって、恐らく、それ以外の何ものでもないであろう。
〈助け合いの精神〉が特段に強調されるようになったのは、近代社会に入ってからだ。それは単に、近代が競争原理によって動くようになったからではなく、高度な産業社会へのシフトによって、〈結い〉という概念に集約されるように、広範囲な協力システムを不可欠とする農業から人々が急速に離れていき、給与生活者としての一定の自立が可能になっていったからである。
地域での相互扶助の基盤が崩れたこと(注)が、紛う方なく、人々の意識を変えていく。地域は必ずしも、人々の生命と生活の拠って立つ何ものかではなくなったのである。
これは、都市の夏祭りを見れば分る。
三社祭(毎年5月に行われる浅草神社の例大祭/写真)などの熱狂は、今や人工的な仮説空間の中での、それ自体商品価値を持ったイベントとなっている。
下町共同体の連帯確認という付加価値がそこに残っていたにしても、夏祭りという大仕掛けな求心力を必要としなければならないほどに、人々の繋がりは儀礼化しているように見えるのだ。
そしてまたそれは、そこからより都心に拡散していった消費者を、簡単に呼び戻せなくなっている現実を垣間見せているのである。
共同体の自壊を多少延滞できても、共同体を根柢で支えた精神の自壊をもう止めることができないのである。
どれほどのエリアにミニ共同体を仮構しても、それが相互扶助を条件付ける基盤に支えられない限り、それはどこまでも擬似共同体であり、やがて都市という快楽に収斂されていく運命から逃れられないだろう。
相互扶助精神による結合力こそが、共同体の生命線なのである。
だからそこでは当然、「他人の不幸は自分の幸福」にならない。
そこに愛情関係のどろどろした縺(もつ)れが生じたにしても、道徳次元の倫理による復元力が普通に期待されるものが健在である限り、「他人の不幸が自分の不幸」に流れていくという感覚によって、人々はそこで出来した事態に反応していくしかなかったのである。
ところが、こういう近接そのものを、パーソナルスペースに敏感な都市大衆は初めから敬遠する。個人という意識は、過剰に近接した関係の中からは生まれにくいのだ。
距離を取ることに馴致した人々は、もはや、近接した関係をコアとする世界には入れなくなっている。
だから隣人の存在を、共同体の一角を成す中枢の関係者であるとは必ずしも見ていない。隣人は単に、最も身近に出会う他人に過ぎないのだ。
隣人の不幸は、当然、自分の不幸にならない。それは自分以外の多くの不幸の中の、末梢的な一つの不幸でしかないのである。
それほどまでに、隣人の存在性を客観化できてしまうということなのだ。
まして見知らぬ他者の不幸は、自分にとっては本当はどうでもいい不幸なのである。
然るにそこに、「特定他者としての物語」が恣意的に作られてしまうと、本来自分にはどうでもいい関係であるからこそ、その者たちのより惨めな不幸が必要以上に期待され、彼らに対する継続的で、陰湿なるバッシング自体が、過剰なほどに自分の快楽となってしまうのである。
ネットでの「祭り」に象徴されるような「悪意(本音)の暴走」が氾濫する社会に、今、私たちは普通の感覚で呼吸を繋いでいる。
それが、私たちが苦労して作り上げてきた近代社会の、シビアなる現実の闇の実相の紛れもない様態であると言っていい。
それでもなお、この社会における人並みの快楽を簡単に捨てたくないと切に望むならば、私たちは安直に、過剰なるものに流れ込んでいかないように努めていくしかないのである。
でき得る限り奇麗事など吐くことなく、「恥じらいながら偽善に酔う」という程度のスタンスで、適度に 「善」(道徳的価値の高さ)を散らして、そこで手に入れる心地良き精神的満足感の適量感度に自足していられるならば、それで殆ど充分であると括っていけるような自己像に見合った物語を生きていけるではないか。
「特定他者の消費」に流れ込まない知恵の自覚的な確保こそ、過剰な時代と関わることを避けられない私たちの、際立って枢要な日常的テーマであると思われるのだ。
(心の風景/他人の不幸は自分の幸福 より)http://www.freezilx2g.com/2008/12/blog-post_14.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)