2012-07-12から1日間の記事一覧

映画史に残したい「名画」あれこれ  外国映画編(その4)

フルメタル・ジャケット(スタンリー・キューブリック) 本作の物語構造は、とても分りやすい。それを要約すれば、こういう文脈で把握し得るだろう。 「殺人マシーン」を量産する「軍隊」の、極めて合理的だが、それ故に苛酷なる短期集中の特殊な新兵訓練を…

映画史に残したい「名画」あれこれ  外国映画編(その3)

戦場のピアニスト(ロマン・ポランスキー ) この映画の凄いところは、以下の5点のうちに要約できると思う。 その1 観る者にカタルシスを保証する、ハリウッド的な「英雄譚」に流さなかったこと。 その2 人物造形を「善悪二元論」のうちに類型化しなかっ…

映画史に残したい「名画」あれこれ  外国映画編(その2)

セントラル・ステーション(ヴァルテル・サレス) 本作は、善悪の感覚に鈍磨した中年女性が、父を捜し求める少年との長旅を通して、感覚鈍磨した自我が、本来そこにあったと思わせる辺りにまで、曲接的に心情変容していくプロセスを、精緻で説得力のある映像…

映画史に残したい「名画」あれこれ  外国映画編(その1)

映画のランク付けを好まない私だが、邦画の「ベストワン」を「浮雲」(1955年製作)に決めているように、外国映画でも、紛れもなく、「ベストワン」と思わせる映像がある。 ジェリー・シャッツバーグ監督の「スケアクロウ」(1973年製作)である。 …

映画史に残したい「名画」あれこれ  邦画編(その2)

偽れる盛装 (吉村公三郎) 恐らく、このような役柄を演じさせたら、京マチ子の全人格が放つ圧倒的存在感は、数多の女優の姑息な「演技力」が嵩(かさ)に懸かって来ても、それらを蹴散らす「身体表現力」において一頭地を抜くものがある。 近代的自我を保持…

映画史に残したい「名画」あれこれ  邦画編(その1)

ここでは、このような作品を特定的に拾い上げた私の「名画」を、個人的感懐を添えながら、順位をつけることなく、アトランダムに列記していきたい。 因みに、成瀬巳喜男の作品が多いのは、私にとって、成瀬巳喜男こそ最高の映画監督であると考えているからで…

映画史に残したい「名画」あれこれ 序文

1 突沸した「前線」に「決め台詞」を吐かせるファンタジームービーの愚昧さ 常々思うのだが、国内外問わず、なぜ、この程度の作品が様々な映画賞の栄誉に浴するレベルの評価を受けるのか、理解に苦しむことがあまりに多い現状に言葉を失う程だ。(画像は、…

不幸という感情

なぜ自分ばかり、こんな目に遭うのか。なぜ自分だけが、こんな不運なのか。なぜ自分だけが、と無限に続く、この種の被虐観念の強い人々に共通するのは、「全てが公平ではないと我慢できない」という感情と、普通の人の普通の経験ですら、不幸で不運な出来事…

物語のサイズ

「難しい理想を、正しく生きるために到達しなければならない理想のように掲げるのは、多くの人を無理な努力に追い込み、結果的にはかえってよくないんじゃないですか」(「心はなぜ苦しむのか」朝日文庫)という岸田秀(注)の指摘に、私は我が意を得たとい…

諦めの哲学

不可能な状況にあって、意識の枠組みを変える方法の中で著名なのは、「酸っぱいブドウ」の戦略である。高いところにあるブドウを、遂に努力しても獲れなかったキツネは、「あれは元々、酸っぱいブドウなんだ」と考えることで、不可能な状況を諦める方法論を…

確信という快楽

分らなさと共存することは、ある意味でとても大切なことである。 自分は常にぼんやりとしか分っていない。それでも少しは、そのぼんやりとした部分を晴らしたい。別に、果てしなき進化の幻想に憑かれているわけではない。分らなさに居直りたくないだけである…

プレッシャーの心理学

プロ野球の勝敗の予想は、かつてのシンボリ牧場(注1)の名馬たちのように、絶対の本命馬を出走させた年の有馬記念を予想するよりも遥かに難しい。確率は2分の1だが、野球には、何が起るか見当つかない不確定要素が多すぎるのだ。 野球のゲームの展開の妙…