耐性獲得の恐怖

 アラン・パーカー監督の「ミッドナイト・エクスプレス」(1978年製作/写真)についての映画評論を書き終えた際に、その【余稿】のつもりで言及したテーマがある。「ハシシの有害性」についての小論である。

 私なりの見解を、そこで簡単に触れた一文を、2008年12月現在、「マリファナ問題」が喧(かまびす)しく話題になっている折なので、【余稿】から切り取ってここに転載したい。

 以下、その一文である。 

 ハシシはマリファナの一種であるとされているが、実際、その効用に関して共有されている情報は、マリファナよりもリラックス効果が強く、鬱や末期ガン、エイズなどに有効であるとされている。但し、気分がより安定するという報告がある一方、逆に気分がより塞いでしまうという報告もある。

 このことは、言わずもがなのことだが、このような作用を持つドラッグやアルコール、タバコ等を含めて、嗜癖性の強い物質には個人差が存在するということである。

 そして今、マリファナの医療効果を評価して、それを解放する運動を推進する人々がいる。「医療マリファナ」の法令化は困難だが、しかしアメリカの一部の州や市で、それを条例として認可している現実も存在する。

 もっともわが国では、GHQの強い指導の下に「大麻取締法」(昭和23年)が施行され、今でもその現状は変わらない。

 GHQの本国であるアメリカにおいても、連邦政府マリファナ規制の判断は揺るがない現状なのである。(因みに、当初のマリファナ規制の最大の根拠は、「精神病」になるという極めて乱暴な議論だった)。

 しかし今、いわゆる「ゲートウェイ理論」(飛び石理論)と言われるものが、マリファナ規制の有力な根拠とされている。

 それは、マリファナ自体は最も軽い麻薬だが、しかしそれを吸い始めると、必ずやコカインやヘロインにシフトするという危険性を持つとされる考えである。

 この規制理論に、解放運動を推進する人々は、当然の如く、激しく反発する。「飛び石理論」には全く科学的根拠がなく、その吸引の依存性を含めて完全否定しているのである。

 「マリファナが与える健康へのリスクは、自由な社会において個人が選択可能な範囲内である」という報告に見られるように、アメリカでは連邦最高裁による「医療マリファナ」の違法判断が下されても(2001年)、概ね、「マリファナ無害論」の活発な議論が浸透しつつあるようだ。

 ―― そして私の見解。

 マリファナはおろか、シンナーの類、今では喫煙すらしない私のような脊髄損傷患者には、経験則からものを言える立場にないが、安定剤や睡眠導入剤を常用する現在、「医療マリファナ」の認可はすぐにでも欲する所である。中枢性疼痛に効用があることを期待するからだ。

 しかし、それ以外の理由での認可については、私は明瞭にそれを是認しないという立場である。

 勿論、「飛び石理論」を科学的、医学的見地から完全に支持するからではない。

 しかし、薬物の最大の怖さが「耐性獲得」にあるとするこの見解の本質を否定することは困難であるだろう。

 依存性の有無について個人差があるにも関わらず、それを吸引することで自我機能を麻痺させる恐れを持つ者が必ず現出すると、私は考えるからである。そこにこそ、この問題の本質があるということだ。

 人間は一度人工的に快楽の世界に浸かってしまうと、その「何とも言えない気持ち良さ」から、簡単に脱出することが困難な存在体である。

 人間は必ずそこで、より強い快楽を求める心理に駆られてしまうことで、そこからの軟着点を確保し得る根源的な解放には、相当程度堅固な自我能力の強靭さが必要となるだろう。

 人間の自我はそれほど強靭なものではないのだ。

 私たちの眼前にそれらの類の固塊や結晶体が存在し、且つ、その蠱惑(こわく)的なイメージに捉われていて、それを自在に使用し得る状況下に置かれたとき、そこで生まれた心理の微妙な波動を、私たちは常に確信的に統御すると言い切れるだろうか。

 だから決してそれらを、自分たちの生活圏の最近接ゾーンに近づけてはならない。

 この世には、そのように観念させるものが明瞭に存在するということ。それを知るべきである。

 それは単に、「自己責任」の範疇で括れない何かであるだろう。全く位相が異なるからだ。

 以上、「ハシシ有害論」に関わる私の見解を簡単に記述した次第である。
 
 
(心の風景 「耐性獲得の恐怖」 より)http://www.freezilx2g.com/2008/12/blog-post_17.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)