2012-07-20から1日間の記事一覧

「絶対孤独」の闇に呑まれた叫び  文学的な、あまりにも文学的な

「君の現実が悪夢以上のものなら、誰かが君を救える振りをする方が残酷だ」 この言葉は、「ジョニーは戦場へ行った」(ドルトン・トランボ監督)の中で、一切の自由を奪われた主人公が、その残酷極まる悪夢で語られた、イエス・キリストの決定的な一言。 映…

「手に入れたものの小ささ」と「失ったものの大きさ」との損益分岐点の攻防戦

1 「競馬の醍醐味」への「スノッブ効果」的侵入 「ギャンブル依存症」と言ったら大袈裟になるが、私はかつて競馬三昧の生活を送っていたことがあった。 遥か成人に届く前の青臭い頃だ。 アルバイトで知り合った年長の先輩たちから、「競馬の醍醐味」を教え…

「目立たない程度に愚かなる者」の厄介さ

私たちは「「程ほどに愚かなる者」であるか、殆んど「丸ごと愚かなる者」であるか、そして稀に、その愚かさが僅かなために「目立たない程度に愚かなる者」であるか、極端に言えば、この三つの、しかしそこだけを特化した人格像のいずれかに、誰もが収まって…

「脆弱性」―― 心の風景の深奥 或いは、「虚偽自白」の心理学

1 極限的な苦痛の終りの見えない恐怖 こんな状況を仮定してみよう。 まだ眠気が残る早朝、寝床の中に体が埋まっていて、およそ覚醒とは無縁な半睡気分下に、突然、見たこともない男たちが乱入して来て、何某かの事件の容疑事実を告げるや、殆ど着の身着のま…

自己満足感

人は仕事を果たすために、この世界に在る。これは私にしかできないし、私がそれを果たすことで、私の内側で価値が生じるような何か、私はそれを「仕事」と呼ぶ。 この「仕事」が、私を世界と繋いでいく。「仕事」は私によって確信された何かであり、私自身に…

耐性獲得の恐怖

アラン・パーカー監督の「ミッドナイト・エクスプレス」(1978年製作/写真)についての映画評論を書き終えた際に、その【余稿】のつもりで言及したテーマがある。「ハシシの有害性」についての小論である。 私なりの見解を、そこで簡単に触れた一文を、…

病識からの自己解放

「病気」とは何だろうか。 38度の熱があっても普通に生活するなら、恐らく、その人は「病気」ではない。 微熱が気になって仕事に集中できない人がいるなら、その人は「病気」であると言っていい。 「病人」とは、自らを「病気」であると認識する人である。…

志野の小宇宙

志野茶碗は、何故、かくも日本人の心を打つのか。 温かい白い釉(うわぐすり)に柔らかい土。その釉を汚すことを拒むように、遠慮げに加えられた簡素な絵柄。ナイーブで、自在なラインとその形。特別に奇を衒(てら)って、個性をセールスする愚を拒み、静か…

フォーレの小顕示

私は元々、交響曲が好きではない。 私の狭量な音楽的感性の中では、その騒々しさにどうしても馴染めないのである。敢えて挑発的に言ってしまえば、空間を仕切ったつもりの、その「大顕示」が苦手なのかもしれない。だからワグナーも、マーラーも、ベートーベ…

過分な優越感情に浸る新たな愚かしさ

「集団にとっても個人にとっても、人生というものは風解と再構成、状況と形態の変化、及び死と再生の絶え間ない連続である。人生はまた行動と休止、待つことの休むこと、そして再び、しかし今度はちがうやり方で行動を開始することである。そして、いつも超…

日常性の危ういリアリズム

この国でベストワンの映像作家を選べと言われたら、私は躊躇なく「成瀬巳喜男」の名を挙げる。 確かにこの国には、成瀬より名の知られた巨匠級の映像作家がいる。溝口健二、黒澤明、小津安二郎の三氏である。三氏とも極めて個性的な映像世界を構築し、世界で…