ベニスに死す('71) ルキノ・ヴィスコンティ <エロスとの睦みの内に老境を突き抜けて>

イメージ 11  海からの風の冷たさに身を寄せるようにして



一艘(いっそう)の豪華客船が、朝焼けの美しい風景の中にゆっくりとした律動で、静寂な海洋の画面を支配するかのように、薄明の時間が作り出す柔和な色彩の内に、その堂々とした存在感を乗せていく。

マーラー交響曲第5番第4章のアダージェット(ゆるやかな演奏)が、その短調の旋律をゆっくりと運んできて、観る者にいつまでも余情を張り付けたまま、マイルドな風景の中に溶け込んでいくかのようだ。1911年のことである。

甲板に初老の男が一人、海からの風の冷たさに身を寄せるようにして、本を読んではそれを閉じ、物憂げな表情を浮かべている。

男の名は、グスタフ・アッシェンバッハ。ドイツの著名な作曲家である。

彼は今休暇を取って、ベニスの港に着くところだった。

船上から見るベニスの風景は、まさに水の都。揺蕩(たゆた)っている船から見ると、建物が揺れているように見える。

ゴンドラに乗り換えて、サンマルコに立ち寄って遊覧船に乗るつもりの彼は、狡猾な船頭とひと悶着。ベニスの港リドに着くことになった彼の表情から、終始苛立ちと不安の感情が炙り出されていた。

このファーストシーンで映し出された老作曲家の物憂げな表情の内に、既に映像のモチーフが滲み出ているようだった。



2  タッジオの視線に捕捉されて 


リドに着くや、アッシェンバッハは風格のあるホテルに部屋を取った。

「最高のお部屋をとりました。いかがでしょう?海もよくご覧になれます。でも今日はお天気がどうも・・・明日は良くなります」

ホテルのボーイの説明に、彼は全く反応しない。支配人がやって来て、挨拶しても無反応。彼は部屋の窓を開けて、海辺の風景を見渡していく。潮騒に混じって、観光客の声が聞こえるだけだった。

―― アッシェンバッハは、ドイツの自宅のソファに横たわっていた。

顔色が悪く、彼の友人アルフレッドがドクターに診断を仰いでいた。

「大丈夫です」
「仕事はいつ頃から?」
「それはまだ何とも言えません。心臓が余り丈夫ではないし・・・仕事から離れて当分の間、休養が必要です」

その休養をとるために、アッシェンバッハは自室にこもっていた。

ピアノを優しく奏でる友人のアルフレッドに、彼は語っていく。

「父の家にも砂時計があった。砂の落ちる道が非常に狭くて、最初はいつまでも上の砂が変わらずに見える。砂がなくなったことに気づくのは、お終いの頃だ。それまでは誰も殆んど気にしない。最後の頃まで。時間が過ぎて、気がついたときは既に終わってしまっている」

アッシェンバッハの回想シーンである。

彼はそもそも、なぜベニスにやって来たのか。

回想シーンにあるように、健康上の問題だけではないことが分る。
因みに、本作の原作となったトーマス・マンの同名小説の中で、その冒頭にこんな文章がある。

「ことに、生涯もおいおいと残りすくなになりはじめ、仕事を完成できぬではあるまいかという芸術家としての心配を、すでに単なる気紛れとしてしりぞけることもできなくなってきた・・・」

「自分でもみとめたのだが、これは逃亡の衝動なのだ。遠いところへの、あたらしいものへのあこがれなのだ。解放されたい、重荷をおろし、万事を忘れ去りたいという欲求は、 じつは逃亡の衝動なのである。仕事から逃れよう、かたくなで冷静で、しかも情熱的な日々の献身の場から、逃れようとする衝動なのである」

「しかしながら、国民は彼の手腕を尊敬しているというのに、彼自身は、その手腕をよろこぶ気にはなれないのだ。自分の作品には、あの熱烈にたわむれる気分の表出が欠けているような気がする。この気分の表出こそ、よろこびがつくりだすものであって、いかなる重要な内容、いかなる本質的な特徴にもまして、芸術を享受する人たちをよろこばせるものなのだ」(世界文学全集23 トーマス・マン「ヴェニスに死す」野島正城訳 講談社刊より)


原作を引用するのがルール違反であることを承知で敢えて書くならば、アッシェンバッハのベニス行きは、彼自身の内面的問題に起因しているのである。
 
 
 
(人生論的映画評論/ベニスに死す('71) ルキノ・ヴィスコンティ <エロスとの睦みの内に老境を突き抜けて>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/11/71.html