黒い雨('89) 今村昌平 <「ピカで結ばれた運命共同体――「戦後」を手に入れられなかった苛酷なる状況性>

イメージ 1どこまでも長閑(のどか)で、穏やかな瀬戸内の海に、小さな島々が浮かんでいる。

そこに、「黒い雨」というタイトルが映し出されていく。

昭和20年8月6日。晴れ上がった朝だった。

トラックの荷台に何人かの女性たちが乗っていて、一軒の屋敷の前で止まり、荷物を蔵に運び入れていく。

「昨日、工場長に欠勤届を提出し、今朝はご近所の能島(のじま)さんのトラックで疎開の荷物を運ぶ。内容は叔母さんの夏冬の紋付、帯三本、冬着三枚。このうち、曾婆さんの嫁入りの時に着ていたという黄八丈(きはちじょう・注1)。これは大事な品。叔父さんの冬のモーニング、紋付、私の夏冬の式服、帯三本、女学校の卒業証書」

映像に合わせるように、本作の主人公である高丸矢須子のモノローグが追いかけていく。

「8月6日は、朝から暑い日だった。私は工場へ出勤するため、いつもの通り可部(かべ)線(注2)の横川(よこがわ)駅に急いだ」
このモノローグは、本作のもう一人の主人公である閑間重松の声。

彼は出勤途上にある小さな神社に軽く参拝して、その歩を足早に運んでいく。

時計の針が、8時13分30秒を刻んでいて、彼の足はホームに着いたばかりの電車に乗り入れていた。
一方、能島家では、広々とした座敷の中で、矢須子の義父が茶を点てようとしていた。

その瞬間だった。

一瞬、白い閃光が激しく炸裂するや、猛烈な爆風が静かな街を切り裂いた。

重松は乗客と共に、ホームの反対側の線路に押し飛ばされて、其処彼処で人々の悲鳴が劈(つんざ)いていく。

動かなくなった電車の下から、重松は自分の眼鏡を拾って、何とかその身体を這い出していった。

能島家の人々は異変を察知して、次々に庭に飛び出していく。

彼らは土塀越しに、大きなキノコ雲を恐々と眺めている。やがて、その雲が徐々に形を壊していき、空一杯に拡散していった。

見る見るうちに風景が変色し、黒々とした空が広がっていくのだ。

海には小さな小船が、黒い空の下で進んでいる。その中に矢須子もいた。

「こりゃいけん。こりゃ、よっぽどの新兵器じゃ」

船を漕ぐ能島の言葉を裏付けるように、その後、異様な現象が出来した。
大粒の黒い雨(注3)が突然降り始め、矢須子の白いブラウスを不気味な黒が染め上げていく。

そのとき、広島市内は炎に焦がれていて、殆ど倒壊した暗がりの家屋の中に、重松夫婦はいた。

「ラジオも駄目か。大手町から練兵場辺りまでえらい火の手じゃ。能島さんは漁師に顔がきくけえ、船で戻るじゃろ」

矢須子のことで心配する妻シゲ子に、重松は諭すように話した。

二人が防空頭巾を被って矢須子を迎えに出ようとして、玄関の戸を開けようとするが、簡単に開かない。

そこに姪の矢須子が入って来て、無事、叔父夫婦との対面を果たしたのである。
 
 
 
(人生論的映画評論/黒い雨('89) 今村昌平 <「ピカで結ばれた運命共同体――「戦後」を手に入れられなかった苛酷なる状況性>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/11/blog-post_21.html