(ハル)('96)  森田芳光 <「異性身体」を視覚的に捕捉していく緩やかなステップの心地良さ>

イメージ 11  緩やかなステップを上り詰めていく男と女の物語 ―― プロット紹介



恋人を交通事故で喪ったトラウマを持つ(ほし)と、アメフトの選手としての挫折経験を引き摺る(ハル)が、パソコン通信によるメール交換を介して急速に関係を構築していく。

同時に、(ハル)は(ローズ)と知り合い、デートを重ねるが、(ローズ)が(ほし)の妹だと知った(ほし)は、(ハル)とのメール交換を途絶させてしまう。

(ほし)からのメールが途絶した理由を知った(ハル)は誠実に弁明するが、(ほし)の思いを変えることができなかった。

それでも(ハル)は、「僕だけでも」と題したメールを(ほし)に送っていく。

以下、(ハル)のメール。

(ハル) 題名『僕だけでも』

これからも僕が勝手にメールを送ります。ほしが、遠い所に行ってパソコンを使えないと思うことにしました。ほしにメールを書くことが僕の日常なのです。今までのメールの記録を見て、自分が変わって行くのが解りました。ほし、ありがとう。これからもよろしく」

(ハル)のメールに込められた人間的誠実さに触れた(ほし)は、(ハル)の存在の大きさを感受して、自分の過去の告白を込めた長い返信のメールを出すに至った。

以下、(ほし)のメール。

「(ほし) 題名『ごめんね』
ハル、御無沙汰しています。メールを出さなくてごめんなさい。妹が、ローズだったなんて本当にショックでした。私たちがメールを交したり、新幹線の通過で会ったり、そんな事を長い時間を掛けて少しずつ積み重ねていたのに・・・・・・。(略)映画フォーラムで、(ハル)と云う名前を見つけた時、“春間次郎” のような気がしてとても嬉しかったのです。春間次郎は交通事故で亡くなりました。私は彼を忘れられない、どうして生きて行ったらいいのだろうと考えていました。(略)人間関係や見聞はパソコン通信で、職業は何でもチャレンジしてやれとか、彼のことを乗り越えるために私を変えるようにしてきたのです。そうやって新しい自分なりの生き方を自分なりに模索していたのです。(略)私にはハルが必要です」

更に、堰を切ったように溢れ出した(ほし)の思いは、遂に「暗黙の了解」の内に成立していたかのようなルールを突き抜けて、「一線」を超えていく。

「(ほし) 題名『東京に行きます』

知りたい、もっとハルを知りたい。ハルの存在をもっと確かにすれば、私が大きく変る様な気がするのです。東京に行きます。会って下さい」

当然、(ハル)の反応は受容的なものだった。

それは、相互の「異性身体」を視覚的に捕捉していく、その緩やかなステップを上り詰めていく二人の特殊な関係にあって、殆ど必然的な現象だった。

(ハル) 題名『一番前で』
東京駅に着いたら、新幹線の一番前のホームのところに歩いて行ってください。僕が立っています。もちろん僕もフロッピーディスクを持っています。
 
東京駅での新幹線の一番前のホームでの初めての、しかし、最も心ときめかす瞬間。

それが、ラストシーンに全てを賭けた映像の括りとなったのは言うまでもない。
 
 
(人生論的映画評論/(ハル)('96)  森田芳光  <「異性身体」を視覚的に捕捉していく緩やかなステップの心地良さ> )より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2010/06/96.html