アメリカン・ヒストリーX(‘98) トニー・ケイ <溶融し合うことを求めない者たちが、物理的に最近接したときの最悪の事態に流れ込んだとき>

イメージ 11  「ホワイト・バックラッシュ」の攻撃性が極点に達したときの厄介な「負の状況」



かつてアメリカは、「様々な人種が、何でもそこに溶けて混ざり合ってしまう」という意味の「人種の坩堝」という用語で説明されることがあったが、今は「それぞれの人種、民族の価値観や伝統文化を尊重して、それらが多元的な価値を持つ、「サラダボウル」という言葉で説明されることが多い。

元々、坩堝(るつぼ)とは、物質の溶融・合成を行う際に使用する耐熱性容器のこと。

だから、トマトやレタスが盛られていても、決して溶け合うことがないので、世界でも有数の多民族国家であるアメリカを表現するイメージとして、「サラダボウル」という概念の方が相応しいように思える。

溶けて混ざり合ってしまうことがないから、アメリカ独立戦争(1776年)を機に増大した綿花の需要によって、南部の綿花プランテーションの急激な発展を支える労働力である奴隷として、三角貿易によって送り込まれて来た黒人たちと、元々、ネイティブアメリカンを駆逐して作ったヨーロッパ系白人たちとの間の心理的距離は決定的なものだった。

同時に、シャビーな小屋に住まわされた、黒人たちとの物理的距離の近接度もまた縮まりようがなかった。

「黒人は人間ではない」という観念が、永く、白人たちの脳裏に刷り込まれていたからである。

しかし、時代は目まぐるしく変わっていく。
 
キング牧師らによって主導された、「ワシントン大行進」(1963年8月)に象徴される、マイノリティの差別撤廃を目途とした公民権運動の幕が拓かれるに至った。

これは、ある意味で、歴史の必然であると言っていい。

そして、それもまた、「ストレンジフルーツ」(奇妙な果実)として、木に吊るされ、焼殺されてきた黒人たちが、自らの命を賭けて拓いた、この運動の累加の一つの結晶が、「アファーマティブ・アクション」(積極的差別是正措置/注1)に流れ込んでいったのも、それなしに済まないほどの「負の歴史」を、躊躇(ためら)いなく実行してきた、この国の宿命だったかもしれない。

然るに、特定の人種のみを特定的に優遇するこの政策によって、何が起こったのか。

黒人中流層が幅広く形成されるようになり、黒人間の貧富の格差をより拡大してしまったのである。
 
更に、「クラッシュ」(2004年年製作)でも描かれていたように、白人中流層でも没落する人々が現出するに及んで、「逆差別」という批判がアメリカ全土で巻き起こった。

「ホワイト・バックラッシュ」である。

そして、自ら経済的格差に悩まされる、プアー・ホワイト」と呼ばれる白人貧困層が、より貧しくなることで、各州で街の相貌が変容していく。

没落した白人中流層や「プアー・ホワイト」が、中流層にまで昇り切れないマイノリティ(黒人貧困層など)と、物理的に最近接する現象が出来したのである。

本作で描かれていたように、都市の荒廃が波及していくのは必至だったのだ

物理的に最近接することで、「プアー・ホワイト」と黒人貧困層に代表されるマイノリティの、「憎悪の連鎖」という悲劇を必然化する。

勿論、全ては「アファーマティブ・アクション」の問題に起因する訳ではないが、本作では、主人公のデレクが、消防隊員であった自分の父を、消火活動中に黒人によって射殺されるという由々しき事態に遭遇したことで、それまで、黒人に対する差別意識を隠さなかった父親の影響を受けていた聡明な青年は、この事件を機に、「ネオナチ」の組織にのめり込んでいった経緯が描かれていた。

デレクが住むカリフォルニア州では、とりわけ、不法移入が引きも切らないヒスパニックへの、「アファーマティブ・アクション」の適用に対する不満をぶちまけるシーンが、印象的に拾われていた。(注2

「今、200万の不法移民者がヌクヌクと眠っている。去年、政府は30億ドルを使って、よそ者たちの面倒をみた。30億ドルだ。連中の犯罪を検挙するのに4億ドル。なぜなら、移住帰化局が、罪人の入国に眼を瞑るからだ。政府は無関心だ。国境は形だけだ。毎晩、無数の寄生虫たちが国境を越えて這ってくる。俺たちの死活問題だ。政府は正直で、勤勉なアメリカ人を不当に扱って、国民でもない者の権利を守ろうとしている。今、貧しいのはアメリカ人だ。この国から奴らを排除しろ。アメリカはよそ者に占領される。遠い未来の話じゃない。遠い土地の話じゃない。今ここで、あのビルで起きている現実だ。あそこはミラーの店だった。ところが、アジア系が店を乗っ取り、アメリカ人を首にして、奴らを雇っている。それなのに、皆知らん顔だ。俺は頭に来た!ここは戦場と化した。俺たちは、この戦場の真っ只中だ。出陣だ!」
 
この直後、目出し帽やストッキングマスクを被り、ハーケンクロイツの刺青をしたデレクをリーダーにする、「ネオナチ」の一派がアジア系の店を襲撃に行くシーンを映し出した。

ここでデレクがアジった内容は、「アファーマティブ・アクション」によって守られている、メキシコから不法に入国して来るヒスパニック対する不満と、同様に、「アファーマティブ・アクション」によって、アメリカ人の店がアジア系の住民に譲り渡された現実に対する憤怒である。

そして、この憤怒の感情が「プアー・ホワイト」ばかりか、典型的なWASP(アングロ-サクソン系で、且つ、新教徒である白人)の中流家庭で育った聡明な青年で、「アメリカの息子」(注3)を読み、真面目に授業に取り組む高校生だったデレクの「憎悪の連帯」を惹起するに至った。

デレクの変貌が、前述したように、彼の父親の不幸な死に起因していたのは言うまでもない。

 父親の不幸な死が惹起したのは、自ら働いて稼がねばならないという「生活の圧力」であった。

喫煙を止められない母親と、弟妹たちの生活の面倒をも看なければならないという「生活の圧力」は、このような状況下に追い遣った黒人貧困層に対する憎悪を、弥増(いやま)していくのだった。

この極めてインパクトの強い衝撃的な映画の社会的背景には、「ホワイト・バックラッシュ」の攻撃性が極点に達したときの、極めて厄介な「負の状況」が横臥(おうが)しているのである。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/アメリカン・ヒストリーX(‘98) トニー・ケイ  <溶融し合うことを求めない者たちが、物理的に最近接したときの最悪の事態に流れ込んだとき>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/02/x98.html