アンダルシアの犬('29)  ルイス・ブニュエル サルバドール・ダリ <「殺人への絶望的かつ情熱的な呼びかけ」というライトモチーフの破壊力>

イメージ 11  第一次世界大戦インパクトが分娩したもの



ヨーロッパを主戦場にした第一次世界大戦 ―― それは、開戦当時の予想を遥かに超える膨大な犠牲者を生み出した悲惨な戦争だった。

2000万人近くの死者を生み出した、このサバイバルな消耗戦を終焉させたとも言われるスペイン風邪(1918年から19年にかけて、5000万人の犠牲者を出した)によって、全世界を襲う本格的なインフルエンザ・パンデミックが惹起しなかったら、敵軍に決定的な打撃を与えられず、終わりの見えない陰鬱な塹壕戦に収斂される長期消耗戦を延長させていたかも知れない恐怖が、そこにあった。

とりわけ、「西部戦線異状なし」(1930年製作)で描かれたように、陰鬱な塹壕戦による長期消耗戦は、極度の寒さによる感染症を招来したことで、そこに閉じこもる兵士たちのディストレス(最悪な心身状態)は尋常ではなかったのである。

帝国主義の時代を背景とする、世界再分割のための帝国主義戦争であった第一次世界大戦は、史上初の世界戦争であり、同時に、総力戦であった現実のインパクトの凄惨さを鮮烈に印象付けただけの、前例のない不毛な神経戦であったと言えるだろう。
加えて未知なる恐怖を分娩したその戦争は、戦闘機、戦車、火炎放射器と毒ガスの登場によって、人間の物理的抹殺を容易に遂行し得たのだ。

それは、独仏両軍合わせて70万人以上の死傷者を出した、「ベルダンの地獄」(1916年)と呼ばれた陰惨さに象徴される、「20世紀の地獄」の様相を晒したのである。

この一次世界大戦のインパクトによって齎(もたら)された不安・恐怖、怒り・嫌悪、抵抗・虚無を根柢にして、それを内面化したダダイズムという名の芸術運動の立ち上げは、殆ど必然的であったに違いない。

既成秩序に対する挑発的否定の精神の沸騰が、一群の芸術家を自覚的な表現者に変えていったのである。



2  シュールレアリスムの原点としての、「挑発的否定と攻撃性の精神」



当時、既に「夢判断」を発表していて、ヨーロッパ文化に影響を与えつつあったフロイトの心理学に触れた、一人のフランス文学者がいる。
シュールレアリスムの法王」と言われた、アンドレ・ブルトンである。

既成秩序や常識に対する反抗心において接続しつつも、極端に自己破滅的で、退廃的、且つ、生産性の乏しい印象を濃密に残すダダイズムと切れたブルトンが目指したのは、フロイト心理学の影響による、「意識下の世界を客観的に表現する芸術」の立ち上げであり、「無意識において心象風景を捉える芸術表現」の具現であった。

その手法は、「オートマティスム」(自動記述)という意味を持つ、理性的自我の介在を許容しない「自動筆記」という、一種の時代限定の鮮度の高い表現技巧。

まさに、夢という至極日常的な体感現象の記述こそ、「オートマティスム」の格好の方法論であった。

このように、ブルトン主導による「シュールレアリスム宣言」を嚆矢とする芸術運動が、映画表現の世界で挑発的に開かれたとき、そこに現出したのが、観る者を驚嘆させるに足るインパクトを包含した、「アンダルシアの犬」という衝撃的映像だった。

スペインの敬虔なカトリック教徒の家庭で育ったルイス・ブニュエルが、当時、無名だった前衛画家のダリと、二人で見た夢の話をベースに映画製作を企図し、その処女作が「アンダルシアの犬」であったというのは有名な話。

その「アンダルシアの犬」の公開が、当時の前衛芸術のフィールドで熱狂的な拍手で迎えられたことで、彼らがシュールレアリスムの芸術運動に自己投企していったのは自然の成り行きだったし、彼らもまた自覚的な表現者だった。

そこで表現されていたものは、紛れもなく、シュールレアリスムの原点である、既存の秩序・体制への「挑発的否定と攻撃性」。

「美学」やポエムの抒情性、更に合理的な「物語性」を全否定した、本作の「アンダルシアの犬」が内包する「挑発的否定と攻撃性の精神」こそ、シュールレアリスムアナーキーな思想性を包含する表現様式そのものだったのだ。


 
(人生論的映画評論/アンダルシアの犬('29)  ルイス・ブニュエル サルバドール・ダリ <「殺人への絶望的かつ情熱的な呼びかけ」というライトモチーフの破壊力>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2010/04/29.html