十二人の怒れる男('57)  シドニー・ルメット <「特定化された非日常の空間」として形成された【状況性】>

イメージ 11  「特定化された非日常の空間」として形成された<状況>



「早く、片付けようぜ」
陪審員の一人のこの言葉が、評決に参加する者たちの空気を代弁していた。

「本件は第一級殺人事件だから、有罪と決まったら、必然的に被告は電気椅子に送られる」

夏の暑さで評決を簡単に済ませるために、投票することを確認する陪審員の性急な結論を抑制する、この陪審員長の言葉が投げられても投票行為が決議されたのである。

決議の結果、11人が有罪で、一人が無罪。

「私が賛成したら、簡単に死刑が決まる・・・人の生死を5分で決めて、間違ったら?・・・あの子はひどい人生を過ごした。スラムで生まれ、9歳で母が死んだ。父親が服役中は、1年半を孤児院で過ごした。不幸な子供だった。反抗的な少年になったのも、毎日、誰かに頭を殴られたからだ。惨めな18年だった。少しは討論してやろう」

これは、被告の無罪を主張した陪審員の一人(第8番)の正攻法の弁舌。

一切は、この穏やかな口調の中にも、凛とした態度を崩さない男の異議の提示によって開かれたのである。

そこにこそ、この映画の最も重要なメッセージがあった。

そこから開かれた、評決のプロセスの中で展開される様々な人間模様、そこに作り手は映像における最も重要な価値を見出したのである。

それについての言及が、当然、本稿のテーマになる。

こういうことだ。

第8番の陪審員による、非難の余地のない弁舌が包含する意味は、決して彼が、被告である「反抗的な少年」の無罪を確信したからではなく、「惨めな18年」を送ってきた被告の裁判で印象付けられた、「電気椅子に送られる」確率の高い陪審による評決を、5分で決めてしまう事務的処理の安直さに対して、「推定無罪」の原則(疑わしきは罰せず)に拠って立つ法の原点を捨てずに、少しでも「討論してやろう」という正攻法のアピールだった。

要するに、事件の背景に横臥(おうが)するだろう問題の複雑さを考えるとき、有罪への合理的な疑いが僅かでも存在するなら、「推定無罪」の原則に拠って立つ法の原点を決して捨ててはならないということだ。

まさに、その態度こそが、陪審員室での安直な評決を防ぐ唯一の方法論である。

第8番の陪審員は、こう言いたかったのである。
この問題意識によって、彼は有罪への合理的な疑いについて、一つずつ提示していったのだ。

因みに、公判から評決のプロセスを通して、陪審員は一貫して記号で呼ばれる。

それは、固有名詞の開示を必要としない者たちによる陪審の評決が、「非日常」であることを意味している。

それ故にこそ、と言うべきか、この裁判に関わった陪審員たちの多くは、この「非日常」への主体的アクセスを望んでいなかった。

彼らの一人は、ホームのNYで行われる、名匠ケーシー・ステンゲル監督が率いて、ミッキー・マントルを擁する、黄金期を謳歌するヤンキースの試合観戦の方が気になるのである。そこにこそ、彼らの「日常性」が存在するからだ。

だから彼らは、固有名詞として生活を繋ぐ「日常性」に、一時(いっとき)でも早く帰還したかったのである。

ところが、陪審員第8番の提議によって、彼らの安直な目論見が壊れてしまった。彼らは、その直前に結審した裁判の現実に向き合うことになったのだ。

一言で言えば、陪審員第8番によって、大人が10人も入れば窒息しそうな密閉された空間が、「特定化された非日常の空間」として形成されたのである。即ち、そこに<状況>が作り出されたのだ。

<状況>が作り出されたということは、12名の陪審員たちの「日常性」への帰還が延長され、否が応でも、彼らは陪審員番号で呼ばれることで、彼らが当初、単純な親殺しの事犯として処理していた事件と対峙し、そこで、何某かの個人的見解の表明の開示を要請されることを意味する。
陪審員第8番によって作り出された<状況>は、彼が提示する、事件に関する様々な問題点によって、被告の有罪性の根拠が曖昧とされ、稀薄になっていくことで、その内実において、より深化していくに至った。

<状況>の深化の内実は、事件を評決する陪審員たちの態度を徐々に変容させ、いつしか、彼らの人生観や裸形の人間性が露わにされていく事態によって説明できる何かであった。

陪審員による一つの事件の評決という、「非日常」の現象が炙り出したのは、まさに個々の陪審員たちの態度の変容と、その変容の中で洩れ出してしまう極めて人間学的な様態だった。

本作の作り手のメッセージの中枢は、以上の文脈に集約される問題意識にこそあったと言える。


(人生論的映画評論/十二人の怒れる男('57)  シドニー・ルメット <「特定化された非日常の空間」として形成された【状況性】> )より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2009/12/57.html