インビクタス/負けざる者たち('09) クリント・イーストウッド <「偉大なる黒人大統領」の視線を追い続けることで、間断なく提示していく「主題提起力」の一気の快走>

イメージ 11  「英雄」という名の未知のゾーンに搦め捕られる心理の鮮度の持つ、「初頭効果」の訴求力



 作品が持つ直截な政治的メッセージの濃度の高さを限りなく相対化するためなのか、ほんの少し加工するだけで、もっと面白くなる物語を比較的淡々と構成化することで、「英雄礼賛」に流れる俗流メッセージを稀釈化させたつもりなのかも知れないが、恐らく、本作を観終わった後の感懐の多くは、ネルソン・マンデラという実在人物に対する、崇拝にも近い「偉人伝」もどきの評価の高さで埋まってしまうだろう。

 それもまた良い。

 「英雄」を必要とする時代があり、「英雄」を必要とする国家に住む人々の悲哀を感傷的に理解できても、アパルトヘイトが分娩した、憎悪の連鎖から解放されない人々の心奥の集合的感情にまで届き得るには、差し当たり、パンの問題から解放された先進国の端っこに住む私たちの、その「強靭なる紐帯」への思いの情感濃度ではとうてい太刀打ちできないだろう。

 「英雄」を必要とする人々の心奥の集合的感情にまで容易に届くとは思えないが故に、「英雄」という名の未知のゾーンに搦(から)め捕られる心理の鮮度は、感動譚の物語の「初頭効果」の訴求力によって剝落しない情感を持つに違いないからである。
然るに、直截な政治的メッセージの濃度の高い映画を批評する知的営為もどきの一切は、国境を越える自在性を有する「鑑賞者利得」をフル稼働させる趣味の範疇にあるので、ここでも簡単に相対思考の嗜好的快感を解き放ってみよう。



 2  「偉大なる黒人大統領」の視線を追い続けることで、間断なく提示していく「主題提起力」の一気の快走



 「体系性」を生命とする思想に対して、「完成度」を生命とする芸術表現のコンテンツの一つである映像表現の「完成度」は、「映像構築力」を根幹とするという意味において、本作の「映像構築力」は決して高くないと、私は思う。

 その「映像構築力」は、「主題提起力」と「構成力」に支えられていると私は考える。

 「構成力」とは、一言で言えば、映像展開を破綻なくまとめていく技巧的力量である。

 さて、本作のこと。

 暑苦しいまでに炸裂する本作の「主題提起力」が、物語の「構成力」を押しのける勢いで最後まで貫徹されていた、というのが私の率直な感懐。

 決して駄作を作らないクリント・イーストウッド監督の、安定感溢れる作品群の瑕疵があるとすれば、せいぜい、凡作程度の辛口批評に留まるレベルで収まっていたことは事実。

 従って、本作もまた、完成度は決して高くないが、だからと言って駄作ではない。

 それこそが、常に3割バッターを維持し続けた感のあるクリント・イーストウッドの監督の真骨頂であるだろうが、私の本作への不満も、凡作性の物足りなさに起因すると言っていい。

 何より、そこで提示された主題の中枢が、「非暴力主義」という思想で人格武装した「偉大なる黒人大統領」と、その大統領の人格的求心力によって覚醒したラグビーチームのリーダーである、「誠実なる白人青年」という補完的な関係のうちに特化されていて、人たらしの達人の如き、マンデラ・マジックとも言うべき効果覿面のサポートを得た挙句、件のチームの自国開催ゆえに出場権を得たに過ぎないラグビーワールドカップ(1995年)において、世界最強のオールブラックスニュージーランド代表)を破る奇跡的快挙を成し遂げたという、スポ根ジャンルとは一線を画す物語の「構成力」を支配し切ってしまっていたこと。

 これが、私の内側にストレートに入り込んできた物語イメージである。
 
そして、奇跡的快挙の果てに交叉した、二人の短い会話に流れていったとき、本作に対する私の違和感はピークアウトに達してしまったのである。

 「諸君の貢献に心から感謝する」と大統領。
 「祖国を変えて下さった大統領のお陰です」とリーダー青年。その名はフランソワ。

 仮にこの会話が事実であったとしても、殆ど外連味(けれんみ)なく、ここまで直截に挿入されたワンカットを目の当たりにして、正直言って、私は二の句が継げなかった。

 まさかクリント・イーストウッド監督が、ここまで露骨に、煮沸された理念系を言語化するとは思いも寄らなかったからだ。

 殆ど腹一杯になるほど提示され続けてきた主題、即ち、「憎悪の連鎖を断ち切って共存していこう」という基幹メッセージが連射されて、もう、膨れ上がった私の感性受容器はアウト・オブ・コントロールの状態だった。

 何より始末に悪いのは、基幹メッセージの全てが、観る者の思考力を奪う程の、極めて分りやすい説明的描写で映像化されてしまっていることである。
思うに、ネルソン・マンデラの思想のコアである「非暴力主義」に収斂された基幹メッセージは、ユーモア含みで描くことで、「英雄礼賛主義」に流れない程度の節度を保持していて、それが却って、マンデラの政治家としての傑出した能力を感じさせるが、それでもなお、このような会話を必要とせざるを得ない映画に昇華させたことによって、政治色の濃度の高い物語ラインが、エンドロールの「平和の賛歌」に繋がってしまうのだ。
 
 
 
(人生論的映画評論/インビクタス/負けざる者たち('09) クリント・イーストウッド <「偉大なる黒人大統領」の視線を追い続けることで、間断なく提示していく「主題提起力」の一気の快走> )より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2012/01/09.html