JAWS/ジョーズ(‘75)  スティーヴン・スピルバーグ <「三人の男VS人食い鮫」の直接対決を本丸の物語にした、海洋アドベンチャー映画の決定版>

イメージ 11  「三人の男VS人食い鮫」の直接対決を本丸の物語にした、海洋アドベンチャー映画の決定版
 
 
 
 アメリ東海岸の海辺の町・「アミティ島」(架空の島)を餌場と決めたホオジロザメから、海水浴場というレジャーランドを守る争いは、「人がいる限り襲う、縄張り持ちの一匹狼」(海洋学フーパーの言葉)との戦争だった。

 この時点で、5人の死者が出ている。
 
 僅か1週間である。

 遊泳者の動きと音に反応し、「人食う機械」(フーパー)と化した「縄張り持ちの一匹狼」との戦争は、「殺すか、餌を断つか」(フーパー)の戦争と化していた。

 
平均体長が4~5メートルで、体重は1キログラムと言われるホオジロザメだが、この映画での人食い鮫の体長は、鮫狩りの地元の漁師・クイントの直感によると、優に7.6メートル、重さ3トンという「得体の知れないモンスター」である。

 何回でも生え変わり、肉を切り裂く鋭利な鋸歯を有し、今でも、世界中で死傷事故が多発している。

 沿岸域に生息しているが故に、人間の生存圏に近接しているからである。

 だから、この映画のように、海水浴場での遊泳中に襲われる場合が多いのである。
 
 「この食う機械は、厄介なことに泳ぎ、子を産むことだ」
 
これは、アミティ市長に「遊泳禁止」を訴えたときの、海洋学者・フーパーの言葉。
 
ところが、遊泳禁止に躊躇(ためら)う市長は、海開きを強行する。

 東海岸に浮かぶ小さなアミティ市の経済が、夏の海水浴客に依拠しているためである。

 
今や、メディアの注目の下、好奇心でアミティ島の浜辺に集まる人々。
 
 人食い鮫の存在を否定する市長の後押しで、恐々と、海に入っていく海水浴客。
 
 そこに新たな犠牲者が発生したことで、パニックになる海水浴場。
 
  最悪の事態が発生したのである。
 
 「縄張り持ちの一匹狼」の出現時に、ニューヨーク出身の作曲家・ジョン・ウィリアムズの音楽(アカデミー作曲賞)が効果的に使われて、「得体の知れないモンスター」への恐怖が増幅される。
 
  ニューヨークから赴任まもない温厚な警察署長・ブロディはアミティ市長の同意を得て、「鮫ハンター」として名高い地元の漁師・クイントを雇い、更に、クイントの反対を押し切ってフーパーを同乗させ、「得体の知れないモンスター」との直接対決に挑むに至った。
 
クイントの漁船・「オーガ号」が、大海原へ乗り出していくのである。
 
  その名を知らぬ者がいないほど有名な本作は、緊張感溢れるパニック映画を誘導因にして、「三人の男VS人食い鮫」の直接対決を本丸の物語にした、海洋アドベンチャー映画の決定版と言っていい。
 
 その意味で、この映画の成功は、「自然を侵す人間の生存圏の拡大への、自然からのリベンジ」というような、形而上学的メッセージを徹底的に排除した、殆ど「完全無欠」のエンタメムービーとして描き切ったことにある。
 
 従って、この映画の求心力が、三人の男たちの人物造形によって支えられていると言っても過言ではない。
 
 以下、その点に注視して、本稿を繋いでいきたい。
 
 
 
2  「得体の知れないモンスター」の破壊的攻撃力に無力な男たちの攻撃限界点
 
 
 
  「船が小さい」
 
突然、出現した「得体の知れないモンスター」を視認したときの、ブロディの言葉である。
 
かくて、人食い鮫を合理的に屠る戦法が具現化していく。
 
 樽の浮力によって深く潜らせることなく、常に、「得体の知れないモンスター」の遊泳地点を特定する。
 
  この戦術は、クィントの考案による「樽の撃ち付け」という、「鮫ハンター」の異名を取る、如何にも海のプロフェッショナルならではの方略だったが、当初こそ成功裡に収めていたものの、「得体の知れないモンスター」の破壊力の前では容易に効力を発揮し得なかった。
 
 ある夜のこと。
 
 フーパーと傷自慢をしていたクイントが、意想外な話を切り出した。
 
 「“インディアナポリス”・・・日本の魚雷攻撃を食らった。広島用の原爆を、密かに届けた帰りだ。1100名が海に投げ出された。すぐイタチザメが来た。まずいことに極秘任務だった。SOSも打てん。次の朝、サメの群れが来た。我々も円陣を作った。サメが迫ると、全員で喚いて追っ払うわけだ。だが、逃げずにまっすぐ進んで来るサメもいる。サメの目には表情がない。ところが、食いつく瞬間、死んだような目が、ひっくり返って白くなる。そして、悲鳴が響き渡り、血の海だ。最初の朝だけで100人やられた。木曜の朝、ロビンソンの体にぶつかった。元プロ野球選手だ。眠ってるらしいから、揺り起した。波間でコマみたいに揺れていたからだ。だが、腰の下は食われていた。5日目に友軍機が来て、我々を発見してくれた。おかげで、3時間後に救援機が到着した。救助を待つ間が、最も怖かった。もう、救命胴衣は着ないぞ。1100名の将兵のうち、サメの餌食にならなかったのは316人だ」
 
  クイントの話を真剣に聞いていた二人は、人食い鮫との戦争に入れ揚げる男の心のルーツを知るに至った。
 
「救助を待つ間が、最も怖かった」
 
この言葉には、異様なリアリティがある。
 
本作でも、「縄張り持ちの一匹狼」と誤認されたエピソードがあったが、世界中の温帯・熱帯海域に分布するイタチザメは、ホオジロザメ同様、サメの中で大型の部類に属し、どのような海洋生物をも捕食する食性も手伝ってか、その攻撃的な性格が人食い鮫として恐れられている。

 
因みに、クイントのトラウマと化していた“インディアナポリス”の話は、「インディアナポリス号の悲劇」として、つとに有名であるが、このシーンは、自作の中で、第二次世界大戦に言及することが多いスピルバーグ監督らしい挿入でもある。
 
  クイントの言葉通りに、極秘任務でテニアン島(原爆投下作戦の発進基地になったサイパン島南部の島)へ原子爆弾を運んだ直後、米海軍巡洋艦インディアナポリス号は、フィリピン海日本海軍の「伊号第五八潜水艦」の魚雷により撃沈された。
 
  乗員約1200名のうち、救助が完了するまでの5日間に、体温低下によって多数の乗組員が死亡したという由々しき事件である。
 
  その中には、イタチザメの犠牲者になった者もいたが、実際は、体力的限界が決定的な死因とされている。
 
  いずれにせよ、生存者が僅か316名であったというクイントの説明は、紛れもない事実である。
 
原子爆弾の投下の1週間前、1945年7月30日のことだった。
 
 物語に戻す。
 
その後、3人が酔って歌っているとき、恰も忍び込むように樽が近づいて来て、「オーガ号」に向かって攻撃が開かれていく。
 
  過去の失敗経験から学習するホオジロザメの能力の高さは、近年の研究で判明しているが故に、「オーガ号」への攻撃も周到であるように見えるのだ。
 
  そんな「得体の知れないモンスター」の破壊力の威力を見せつけられた3人は、想像以上の「戦争」の困難さに逡巡するが、クィントだけは士気が衰える気配がない。
 
  それでも船底は破られ、海水が止め処なく浸水してきて、さすがのクィントも、防戦一方の「戦争」に為す術がなかった。
 
  そのシビアな状況下で、フーパーは鉄製の檻を海中に投下し、そこに自ら入って、「得体の知れないモンスター」に毒を打ち込むという作戦を実行する。
 
  この檻は、「オーガ号」に乗り込むときに用意され、学術的知識に裏付けられた、海洋学者らしい合理的な戦法だが、しかし、現在でも観察用に使用されているこの戦法が有効なのは、鉄製の檻がフーパーの安全を保証するという絶対条件を不可避とする。
 
  残念ながら、モンスターの破壊力は、海洋学者の合理的な戦法を呆気なく砕いてしまうのだ。
 
  だから、「得体の知れないモンスター」なのである。
 
  鉄製の檻が砕かれて、ホオジロザメ支配下にある海中に投げ出されたフーパーの命は、もはや風前の灯だった。
 
  一方、海上では、「オーガ号」に体当たりしてくるモンスターの餌食になることなく、必死に格闘しているクィントとブロディ。
 
しかし、モンスターの破壊的攻撃力は、半壊し切った「オーガ号」の崩れの中で、ほんの僅かな
 
攻撃限界点(攻撃優勢の頂点)を身体表現しただけの男たちを、その絶体絶命の際(きわ)にまで追い込んでいて、「戦争」の帰趨は瞭然たる現実を露わにしていた。
 
 最も好戦的なばかりに、「鮫ハンター」のプロとしての冷静さを欠くクィントが、モンスターの餌食になったのは、殆ど必然的な悲劇と言ってよかった。
 
  イタチザメの執拗な攻撃から生還し得たクィントの幸運は、獲物と定めた人間を特定的に狙って来るモンスターの攻撃の前で、呆気なく粉砕されてしまったのである。
 
 ただ一人残ったブロディには、己が命の死守という防衛的意識が強かった分だけ、「戦争」の偶然による僥倖が彼に天恵を与えてくれたが、その防衛的意識が、「得体の知れないモンスター」に対する攻撃的意志に瞬時に変換されたことで、彼は初めて、この苛烈な「戦争」の主体として立ち上げることが可能になった。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/JAWS/ジョーズ(‘75)  スティーヴン・スピルバーグ <「三人の男VS人食い鮫」の直接対決を本丸の物語にした、海洋アドベンチャー映画の決定版>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/04/jaws75.html