偽りなき者(‘12) トマス・ヴィンターベア<「爆発的共同絶交」を本質にする、集団ヒステリー現象の爛れ方を描き切った傑作>

イメージ 11  固有の治癒力という「特効薬」と暴力的な「排除の論理 ―― 地域コミュニティの諸刃の剣
 
 
 
置かれた立場の弱い特定他者が犯したとされる、反証不能の忌まわしき行為に対して、大きな影響力を持つ者の、客観的合理性の希薄な思い込みが独り歩きし、一気に確信にまで下降した幻想が、近接度の高い周囲の者たちをインボルブしてしまうとき、相当程度の確率で、そこに「犯罪」が生れてしまうだろう
 
地域コミュニティの構成員同士の近接度の高さが、ここでは、その内側に本来的に有する、固有の治癒力という「特効薬」を無化してしまって、件の特定他者への集中攻撃を連射する事態を生んでいく。
 
事実無根であっても、忌まわしき行為に関わる情報は、あっという間に、地域コミュニティの構成員の間に尾ひれを付け伝播し、受容されてしまうのだ。
 
それは、情報社会における「サイバーカスケード」(ネットでの異端狩り)にも酷似するが、「爆発的共同絶交」を本質にする集団ヒステリー現象である。
 
固有の治癒力という「特効薬」を発揮する一方、コミュニティの暗黙の掟に背馳する者や外部侵入者を「特定敵対者」としてラベリングし、徹底的に排除していくのだ。
 
コミュニティの構成員にとって、徹底的に排除していく行為こそ、紛うことなく「絶対的正義」となる。
 
時にはヘドニズムを隠し込み、殺意を剥き出しにした破壊力で犠牲者を甚振(いたぶ)り、存分にハンティングしていくのである。
 
 この異様な状況下では、極端に振れれることで均衡を保持する、リスキーシフトの危うさが常態化されてしまうから厄介なのだ。
 
固有の治癒力という「特効薬」と、暴力的な「排除の論理」。
 
それは、閉鎖系に自己完結していく地域コミュニティの諸刃の剣と言っていい。
 
本作では、その両面が対極的に描かれていて、それが観る者に相当のインパクトを与えている。
 
―― ここから物語に入っていく。
 
暴力的な「排除の論理」によって激越に被弾される、先の特定他者の名はルーカス。
 
失業の果てに転職した、離婚歴のある幼稚園教師である。
 
 前妻から「42歳で幼稚園勤めなんて情けない」と軽侮されるが、本人は幼稚園の男児に絡まれて、楽しそうに相手をする真面目な中年である。
 
そのルーカスに対して、思い込みによる暴走で追い詰める起動点となった、大きな影響力を持つ者の名はグレテ。
 
 ルーカスが勤める幼稚園の園長である。
 
反証不能の忌まわしき行為とは、自らが通う幼稚園女児に性的虐待をしたという疑いをかけられたこと。
 
しかも、大の親友・テオの子供であった。
 
忌まわしき行為の「被害者」である、幼稚園女児の名はクララ。
 
ルーカスの幼稚園に通っていて、単に独占意識が強いだけで、明確な異性感情に届き得ぬ幼さの制約下にあって、「大好きな小父さん」という思いで、誰よりもルーカスに懐いている女児である。
 
では、そこで何が起こったか。
 
いつものように、幼稚園男児たちに纏(まと)わりつかれて、楽しそうに遊ぶルーカス。
 
それを見て、笑みを湛えるクララ。
 
そんなクララが、ルーカスの唇にキスをしたのは、ルーカスが遊びの中で死んだ真似をしているときだった。
 
幼女のナイーブな気持ちを忖度し得ないルーカスは、唇にキスをした行為を優しく咎め、自分へのプレゼントを他の男児に上げるようにアドバイスする。
 
些か包容力の欠けるルーカスの行為を考えれば、多感なクララの心が傷つき、悄然として俯(うつむ)き、意気消沈したのも首肯し得る。
 
そんなクララの沈み切った様子を目視した園長グレテが、慰撫する気持ちも手伝って、事情を聴くために近づいた。
 
以下、クララとグレテとの会話。
 
「ルーカス、大嫌い」
 「仲が良かったのに」
 「よくないわ」
 「どうして?」
 「すごくバカだし、変な顔してるし、おちんちんがあるもの」
 「男の子は、みんなそう。パパやお兄ちゃんもよ」
 「でも、ルーカスのは、ピンと立ってるの。すごく太い棒みたいに」
 「なぜ、そんなことを?」
 「だって、本当だもの」
 「何かあったの?」
 
首を横に振るクララ。
 
  「このハートをくれたんだけど、私は欲しくないの」
 「良くないことだわ。捨てなくちゃ」
 「今年、サンタさんは来る?」
 「さあね、どうかしら」
 「来るわ」
 「いい子にしてれば、きっとね」
 
 ざっとこんな会話だったが、クララから発せられた言葉の下品な内容に驚いたグレテが過剰反応し、幼女への性的虐待の事件と決めつけ、一気に情報を拡大させるに至ったのは、園長として理解できなくもないが、一方的に子供の話を信じるグレテの心の振れ具合には、包摂力が顕著に欠けた大人の対応としてあまりに不適切だったと言う外にない。
 
「クララは想像力が豊かな子だけど、これは、ただの想像とは思えない」
 
 グレテの言葉である。
 
 「私は子供を信じる。ウソをつかない」
 
これもグレテの言葉だが、その相手は、事情を説明せんと迫るルーカスだった。
 
実は、クララから発せられた下品な言葉には伏線があった。
 
「見ろよ。すげえ太い棒だろ。空に向かってピンと立ってる!」
 
これは、その意味すら理解し得ないクララの前で、クララの兄・トルステンと、彼の友人間の会話の中で発せられた言葉である。
 
女性の画像を見てジョークを飛ばし合う思春期の少年たちの、年齢相応の他愛ない会話が毒性の強い言語記号と化して、クララの短期記憶にリンクしてしまったのである。
 
 下品な言葉が内包する現実をイメージできない幼女の脳裏に、一過的に張り付いた言語記号がクララの嘘の軽量感を炙り出すが、それが大人の思い込みに変換されたとき、事態は劇的に一変する。
 
クララが吐いた言語記号を思い込みによって受容した、グレテの主観の暴走が開かれるからである。
 
 
 
 
(人生論的映画評論・続/偽りなき者(‘12) トマス・ヴィンターベア<「爆発的共同絶交」を本質にする、集団ヒステリー現象の爛れ方を描き切った傑作>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/06/12.html