ツレがうつになりまして(‘11) 佐々部清 <「頑張らないぞ」 ―― 鬱病対応の一つの理想的映像提示>

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1  「僕、何もできない。死にたい」

 

 
「その食欲、羨ましいよ」

 

「ベニスに死す」で有名な、マーラー交響曲第5番・「アダージェット」から開かれる物語は、ペットで飼っているイグアナの「イグ」の食欲を俯瞰しながら吐露する、会社に出勤する主人公・髙崎幹男の、気怠い早朝の風景だった。

 

髪の毛が立ったまま、出勤しようとする夫を、仕事の忙しさで寝坊していた妻が、いつものように送り出す。

 

携帯を忘れた「ツレ」(夫の愛称)を追って、表に出た妻・晴子が、そこで見た風景は、ゴミ集積所の前で立ち竦んでいる夫の姿だった。

 

「これって、皆、いらないものなんだよね」

「ゴミだからね」

 

それだけの会話だったが、自らが「ゴミ」であるという意識にまで下降する精神状態こそ、追い詰められた男の心境を露わにするシーンだった。

 

「ツレは、とても几帳面な人だ。毎朝、自分でお弁当を作り、曜日毎に決めたお気に入りのチーズを入れる。毎日、締めるネクタイも決めている。私の仕事は漫画を描くことだ。でも、プロの漫画家と呼ばれる人たちとは、少し違う。バリバリと描いて、バリバリと稼ぐ人たちだ」(晴子のナレーション)

 

そんな「プロの漫画家」に成り切る感情を持ち得ない晴子は、出版社から、連載の打ち切りを言い渡され、それを抵抗なく受容する。

 

一方、顧客からのクレームを受ける仕事を常態化している幹男は、今日も食欲がなく、自分が作った弁当を後輩に譲る始末。

 

翌朝のこと。

 

いよいよ、幹男の精神状態の悪化が顕在化する。

 

「僕、何もできない。死にたい」

 

調理用ナイフを手に持って、寝床にいる晴子に吐露する「ツレ」が、そこにいた。

 

「会社に行かなきゃ・・・」

「休んで、病院行った方がいいよ」

「休めないよ」

「じゃあ、病院だけでも」

 

晴子の言葉に促され、クリニックで診療を受ける「ツレ」。

 

「症状から見て、典型的な鬱病ですね。ご存じだと思いますが、鬱とは、気分が落ち込んだ状態を指します。普通は、気持ちを切り替えたり、割り切ったりして、落ち込んだ状態から脱する訳ですが、それを自力ではできなくなってしまっている状態のことを、鬱病と言います。鬱病には、身体的症状も現れます。鬱病は『心の風邪』とも言われる病気です。ですから、いたずらに不安がる必要はありません。投薬治療で症状を抑えて、原因となった問題を、少しずつ解決していきましょう」

 

ここまで院長の説明を聞いていた幹男は、恐々と問いなおす。

 

「薬を飲んだら、どれくらいで治るんでしょうか?」

「個人差がありますが、順調に治療が進んでも、元の状態に戻るまでに、半年から、1年半はかかります。」

 

「ツレ」からクリニックの診療結果を聞き、鬱病と知った晴子は困惑し、実家に相談の電話をかけても埒が明かなかった。

 

それでも晴子は、「ツレ」の精神状態が変化を及ぼしていた過去を回想しながら、全ての変調が鬱病に起因する事実を認知することで、今、「ツレ」との柔和な会話を繋いでいく。

 

「仕事が忙し過ぎたんだよ。この機会に、少しのんびりしたら?」

鬱病なんかになって、ごめんね。でも、原因が分って、少しほっとしてるんだ」

「眠れないのも、腰が痛かったのも、そのせいだったんだね。気がつかなくて、ごめんね」

鬱病は『心の風邪』で、誰でもかかるものなんだって・・・会社、リストラして、人も減ったし、僕が休むと大変なんだ」

「無理しないで」

 

晴子の温厚従順なストローク(働きかけ)に、頷きながら、蚊の泣くような声で言葉に結ぶ、

 

「自分の体は、自分が一番分っているから、心配しないで」

 

しかし、蚊の泣くような声が端的に語っているように、幹男は、翌朝、最寄りの駅から、いつもの通勤列車に乗車できなかった。

 

駅のトイレで、吐き下すばかり。

 

彼の鬱病は、まさに今、疾病の破壊力を顕在化するようだった。

 

吐き下した直後の映像は、幹男が上司に、自分の実情を告白するシーン。

 

「私、鬱病なんです」

 

驚く周囲の社員たち。

 

「こんなに忙しいと、皆、鬱病みたいなもんだよ。泣きごと言ってないで、リストラされた奴らの分まで頑張ってくれよ」

 

鬱病の破壊力を理解できないこの言葉で、幹男の告白は、灰燼(かいじん)に帰したのである。

 

 

2  「たかがガラス瓶だが、割れなかったから、今、ここにある」

 

 

晴子は、行きつけの骨董屋で、小さなガラス瓶を買っていた。

 

そのときの骨董屋の一言は、晴子の心の中枢に、直截(ちょくさい)に響くものがあった

 

「その瓶も、たかがガラス瓶だが、割れなかったから、今、ここにある」

 

この一言を反芻する晴子。

 

「割れなかったから、価値があるってことか…」

 

晴子が「ツレ」に、退職を促したのは、その夜だった。

 

「それはできない。皆、困るよ」

「皆なんて、関係ない。割れないであることに価値があるんだよ」

 

そこまで言った後、晴子は、厳しい表情で言い切った。

 

「会社を辞めないなら離婚する」

 

この一言で、一過的に風景が一変する。

 

難儀な引き継ぎの出勤が残っているだけで、会社の退職が決まったからである。

 

そんな「ツレ」の第一声は、冬の季節感を体一杯に感じた者の、この映画で初めて見せる〈生〉へのマニフェスト

 

「何だか、すごく気分がいいんだ。薬が効いてきたみたい」

 

鬱病に関する本を読み漁った晴子の心遣いに、存分に感謝する「ツレ」の新しい日常は、まるで、鬱病の負の連鎖から解放された者の充実感に満ちていた。

 

この充実感の中でクリニックに通院する幹男は、「鬱病は油断禁物です」と言われ、日記を書くことを勧められる。

 

しかし、彼の鬱病は甘くない。

 

日記を書いても、気持ちが持続しないのだ。

 

それでも、日記を書くことを義務化するようなオブセッション(強迫観念)が気質的に張り付いているから、今度は、心に響くことのない、また別の義務的作業が加わってしまうこと ―― これが、何より厄介なのである。

 
 

(人生論的映画評論・続/ツレがうつになりまして(‘11) 佐々部清<「頑張らないぞ」 ―― 鬱病対応の一つの理想的映像提示>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/02/11.html