1 「知りたくないと思ったら、見ぬ振りする」女の厄介な感情ライン
これは、殆ど心理学の世界である。
それも、ほぼ完璧な構築力で、シビアなドラマを描き切った心理学の世界である。
だから、心理学的アプローチなしに書き逃げできない評論となった。
それが、ウディ・アレン監督の最高傑作と評価され得る、本作に対する私の基本的スタンスである。
想像以上に深く、且つ、人間の〈生〉に関わる根源的な問題を突き付けられ、様々に思いを巡らし、思考の稜線を限りなく伸ばされるに至った時間に感謝する思いで一杯である。
―― 以下、「『人生脚本』を書き換えられない女の予約された着地点」と銘打ったサブタイトルの映画を、テーマの本質に関わる問題意識の下、その梗概をフォローしていく。
ニューヨークからサンフランシスコへ向かう飛行機の中で、その女は、偶(たま)さか、隣り合わせただけの老婦人相手に、一人で喋り続けていた。
9歳年上の夫・ハルという男に見染められ、「人類学者」を諦め、ボストン大学を中退して、結婚したこと。
「出会った頃には、前よりリッチに。何もかもダイナミック。彼に教わったセックスもよ」
更に、里子の姉妹ゆえ、血縁のないシングルマザーの妹の住むシスコに行くということ。
DV夫に耐えた末、離婚したその妹のもとで、「過去は忘れて新しい人生。“西へ行け”よ」という決意でいる心境などを、滔々(とうとう)と話すのだ。
因みに、「ジャスミン」への改名も、「全身セレブ」のイメージをトレースしたもの。
そのジャスミンの、妹の名はジンジャー。
「私には、ここしかないの。一文無しで家賃も払えない。あの豪邸から、ブルックリンのアパート暮らしよ。全財産をを国税庁に取られた。裁判で弁護士にも」
妹・ジンジャーに語る、ジャスミンの慨嘆である。
この時点で、彼女のシスコ暮らしには、刑事事件に関与した果ての、シビアな生活の極端な変化が予想されるが、未だ、その内実は分らない。
然るに、姉の心理を見透かす妹の前では、口から出任せのブラフが有効でない事実を認知しているから、「莫大な借金を背負ってる」という本音を吐露するのである。
「ジャスミンは、知りたくないと思ったら、見ぬ振りする人よ」
これは、20万ドルの宝くじを当て、当時の夫・オーギーと共に、NYにジャスミンを訪ねたときのジンジャーの言葉。
ジャスミンが惚れ抜いて結婚したハルに愛人がいることを、たまたま目視したジンジャーが、元夫のオーギーに吐露したもの。
ジンジャーは、血縁関係がないものの、里子の姉妹として、同じ両親から共に養育された環境下で、既に、性格の全く異なるジャスミンを知り尽くしているが故に、たった一言で、彼女の本質を言い当てることができるのだろう。
そんなジャスミンがサンフランシスコにやって来ても、極端なまでに、「狭隘なプライド」を体現してしまう自己愛的な性格は全く変わらない。
だから、自分の妹のジンジャーを含めて、平気で人を見下すような差別的な視線が、いつしか、生理的に変えられない彼女の偏頗(へんぱ)な自己像を形成させてしまっていた。
「知りたくないと思ったら、見ぬ振りする」という風に、ジャスミンの本質を見抜いたジンジャーの指摘は間違っていないのである。
サンフランシスコでのジャスミンの不満は、表面的には、NY時代で存分に刷り込まれたセレブの生活環境との「快楽の落差」がもたらしたもの。
しかし、ジャスミンの心理の内側に張り付く厄介な感情ラインが、ジンジャーを取り巻く世俗的な人間関係と生活風景との折り合いを悪化させるばかりだった。
「エディが話してた歯医者の受付、どう?」
仕事先の心配するジンジャーの誘いに対して、ジャスミンは激しく捲し立てる。
「そんな雑用係!頭がどうかなりそう!学校へ戻りたいの。学位を取って、やりがいのある仕事に就く。二度と下働きは嫌。マディソン街の靴店で働かされたのよ。あの屈辱ったら、うちのパーティに来てた友達連中が買い物に来て、その耐えがたさ、分る?」
こんな愚痴を妹の前で吐き出す女が、極めて、庶民的な西海岸での生活に適応できる訳がない。
「あなた、センスがいいから、ファッション関係の仕事に向いているかも。デザインとか・・・」
「インテリア・コーディネーターがいい」
妹のこの一言で、本来の自分の能力の発現の場を思い出したかのように、突然、元気を出すジャスミン。
ネットでインテリアの勉強をするために、パソコンの操作を覚えようとするのだ。
結局、無一文の状態から脱するために、パソコンの講座を受けつつ、歯医者の受付から始動するジャスミン。
このエピソード一つとっても、彼女の「現実検討能力」(自己を客観的に把握し、その分析ができる能力で、所謂、「大人の思考」のこと)の欠如、そして、感情の起伏の激しさと、「気分変調症」的な性格傾向が容易に見てとれる。
それでも、抗鬱剤を飲みながら、深呼吸しつつ、彼女の能力を超える複数の課題に挑戦するが、どだい無理な相談だった。
歯医者の受付の仕事が頓挫したのは、ジャスミンのセクシーさに惹かれた歯科医の邪心が露わになったこと。
そんなジャスミンが、パソコン講座の友人・シャロンに、自分に合った「マジメな人」を紹介してもらうために、「大きなパーティ」(シャロンの言葉)に参加するが、以下の稿では、時間軸を遡って、NY時代に惹起した事件に言及する。
2 「人生脚本」を書き換えられない女の予約された着地点
NY時代に、ジャスミンに起こった事件は、夫のハルの浮気と、それを追求する彼女の憤怒から始まった。
「浮気が事実なら私、キレるわ」
「違うからキレるな。悪い癖だ」
「愛してるから妬いてるの。他の女が惚れるのは仕方がない。でも、御気の毒。あなたは私のものよ」
そう言って、夫・ハルの否認を引き出すことで、自分の中にある、ほぼ確信的な疑惑の感情を安寧にさせるジャスミン。
思うに、ジャスミンにとって、セレブな社会的地位を保持し、その階層に属する人間として、特定的に選んでくれたと信じるハルの存在は、彼女の自尊心を十全に満たすに足る、「人生の救世主」であると同時に、絶対に失ってはならない、極度に依存的な対象人格であった。
然るに、彼女はその極度な依存性の濃度と同等に、ハルの方も自分に依存していると思い込むことで、自我の安寧を図っていた。
彼女なりの防衛機制である。
それ故に、「火遊び」程度なら看過できるが、その自我の安寧を破壊する夫の裏切りなど、とうてい受容できようがない。
しかし、夫・ハルは、ジャスミンを裏切った。
それも、決定的に裏切った。
「だが、今度は違う。軽い火遊びは何度かしてきた」
10代の女の子との真剣な結婚を考えている夫・ハルの、信じ難き言葉に取り乱し、狼狽(うろた)え、「じゃあ、私はどうなの?」と叫びを上げるジャスミンの心的状況は、一気にクリティカルポイントに達していた。
「こんな屈辱ないわ!皆に知られているだけでも恥なのに、小娘のために捨てられるなんて!」
決定的な裏切りに被弾したジャスミンの興奮は、当然の如く収まらない。
「息が苦しい。私、何してるのかしら。絶対に許せない。あなたが私を捨てるなんて、許せない!」
(人生論的映画評論・続/ブルージャスミン(‘13) ウディ・アレン<「人生脚本」を書き換えられない女の予約された着地点>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/03/13.html