1 「自由黒人」の名残を留め、自己の尊厳に拘泥する「黒人奴隷」の受難
観る者を感動させようと思えば幾らでも可能な映画を、スティーヴ・マックィーン監督は敢えて拒絶した。
どこまでも、主人公の内面世界に入り込み、「自由黒人」であった主人公が経験したおぞましき世界を目の当たりにし、自らも、その恐怖の渦にインボルブされていく歴史の現実の一端を、徹底的に抉り出していく映像の訴求力は抜きん出ていた。
紛れもない傑作である。
―― 以下、その梗概。
この町に、妻子のある「自由黒人」(注1)のバイオリニストである、ソロモン・ノーサップが相応に豊かで幸福な生活を送っていた。
そのソロモンが、二人組の男たちによって、多額の報酬で、ワシントンでのサーカスの公演に参加する誘惑に乗ったことから、ソロモンの言語を絶する悲劇が開かれていく。
会食の場で睡眠薬入りのワインを飲まされ、酩酊状態になったソロモンが覚醒した時、両手両足が鎖で縛られるという信じ難い事態に直面する。
自分が「自由黒人」であることを主張しても、恐らく、「自由証明書」を奪われてしまったが故に、「ジョージアから逃げて来た奴隷」とされ、奴隷商人に木の板と鞭で激しく打ち叩かれ、奴隷市場に運ばれ、黒人奴隷として売り飛ばされるに至った(注2)。
「生き残りたいなら、余計なことをするな。自分の素姓や読み書きができることも言うな。ニガーの死体になるぞ」
南部の奴隷市場に運ばれる船内で、クレマンスという黒人奴隷から言われた言葉である。
「そんなに絶望的か?生き残るのは、素性を隠せだと?耐える気はない。ちゃんと生きたい」
その際のソロモンの反応である。
ソロモンが騙されて売り飛ばされた、合衆国最大の奴隷市場(競売市場)、且つ、奴隷売却地である。
ここで、1840年時点で、最大の奴隷輸入港であったニューオリンズについて、簡単に書いておく。
「本領土内のニグロ、ムラート(白人と黒人との混血者)、及び、インディアンの奴隷はすべて(略)不動産と見なされるものとする」
ここでの「不動産」が、「物的財産」を意味するのは、言うまでもない。
一切は、ここから開かれていく。
生産効率性が悪いという理由のみで、黒人奴隷制への反対を標榜し、1854年に結成された共和党に結集する、当時の北部資本家たちが奴隷制度を採用しなかったのに対して、アメリカ南部が奴隷制を堅持したのは、広大な農地に大量の資本を投入し、亜熱帯地域に耐え得る綿花プランテーションという生産形態が、奴隷制という生産様式に最も好都合だったからである。
因みに、奴隷にされた人々の多くは、アメリカに近い大西洋側である西アフリカ出身であることを考えれば、「アメリカ植民地協会」(アメリカホイッグ党の創設者・ヘンリー・クレイらによって作られ、植民地・リベリアを設立した組織)が、西アフリカ海岸の植民地をリベリアに作ったのは、地理学的視点から言って必然的であるだろう。
―― 物語を追っていく。
奴隷市場に送られたソロモンが、「プラット」という名で、奴隷商人を媒介し、荷馬車に乗せられて運ばれていく。
ソロモンを買ったのは、ウィリアム・フォードという奴隷オーナーだが、共に購買したイライザという名の女は、市場で子供と引き離されて、絶望的なまでの叫びを上げていた。
「よく食べて休むの。子供のことは忘れなさい」
イライザの事情を知った、フォード夫人の憐みの言葉である。
かくて、ウィリアムの農園の監督官・大工のジョン・ティビッツは、黒人奴隷を前に、「旦那様」と呼ぶことを強要し、「ニガー」を強制管理する歌を歌い、奴隷たちに拍手を求めるのだ。
そんな中で、森林伐採における一連の作業の中で、川下りでの木材輸送によって、流通コストを低減させるというソロモンの合理的提案が奏効し、敬虔なクリスチャンであるフォード夫妻に特別待遇を受けるに至ったが、それもまた、オーナーに恵まれたソロモンの有効な適応戦略の成就でもあった。
しかし、子供と引き離されたイライザの嗚咽を聞かされる日々に耐えられないソロモンは、彼女に自分の思いを激しく表現する。
「私は絶望などしないし、媚を売ることもしない。自由のために演じてるだけだ!」
ここまで言われたイライザも反論する。
「あなたは貴重な家畜なの。“プラット”に馴れてきたのよ」
ソロモンも、怒りを隠せない。
「私の背中は、ムチ打ちで傷だらけだ!自由を求めたからだ。責めるなよ」
「責めてないわ。私に、そんな資格ないもの。恥になることもしたけど、結局、奴隷になってしまった。自分を守れなかったの。だから泣かせてよ」
しかし、環境に適応できないイライザが売られていくのは必至だった。
その現場を目視し、何もできないソロモンは、ニセの自由証明書を渡され、農場を追い出されたイライザの話を聞いていたときのエピソードを回想するばかりだった。
この時代、経済的利益の確保のため、農園主が奴隷家族の安定を保証することで、奴隷の大半は家族ごと売られるケースが普通であった事実を思う時、イライザの悲劇は同情するに余りある。
イライザの悲劇は、同様に、家族と引き離されたソロモンの悲劇でもあったのだ。
その悲劇の稜線が伸ばされていった時、命の危機に遭うことがなかったイライザと違って、ソロモンは決定的に被弾する。
ソロモンの決定的な被弾が、「自由黒人」であった時代に形成されたであろう、自己の尊厳に拘泥する男の、その有能さ・矜持(きょうじ)に起因するからである。
「生き残りたいなら、余計なことをするな」
このクレマンスの言葉は、的を射ていたのだ。
有能なソロモンへの特別待遇に不満を募らせる一方の、ジョン・ティビッツの理不尽な行為に怒りを炸裂されたソロモンが、あろうことか、白人大工のティビッツに暴力を振ったことで、言語に絶する恐るべき報復が待っていた。
ティビッツら、白人の3人がかりで、「ストレンジフルーツ」(黒人を縛り首にして木に吊るすリンチ)の受難を受けるのだ。
監督官の救済があっても、農園主のウィリアム・フォードが帰還するまで何もできない異様な風景が映像提示され、観る者を震撼させるに充分だった。
必死に爪先で立って、縊首の恐怖と闘うソロモンの向こうには、このような風景に馴致し、すっかり感覚鈍磨した人間たちがいる。
自らの命の危機に繋がる黒人奴隷は当然だが、フォード夫人までもが何も為し得ないのだ。
半日経ち、ウィリアム・フォードの帰還があって、漸く解放されるソロモン。
「ティビッツは、お前を殺すまで諦めないだろう。ここにいたら危険だ」
これが、農園主・フォードの言葉。
結局、どれほど敬虔なクリスチャンであっても、黒人奴隷を家畜と看做す南部の絶対規範に逆らえないということなのだ。
かくて、ソロモンは、エドウィン・エップスに売られることに至った。
その内実は、エドウィン・エップスへの借金の肩代わりに、ソロモンが利用されただけなのである。
当時、利益の少ない農園主は、余剰奴隷を売却することで利益を上げていた歴史的事実を忘れてはならないだろう。
殺害されることが「予約」されていて、その現実を止められない南部社会のシステムの中では、なお「自由黒人」の名残を留め、自己の尊厳に拘泥する「黒人奴隷」を「買い続けておく」メリットなど、どこにもなかったということだ。
(注1)様々な経緯で奴隷の身分から解放された北部に住む黒人のことで、黒人全体の1割に満たなかった。特に、ソロモンが生活するニューヨーク州は、自由黒人の社会的地位が高かったと言われている。それ故にこそ、ソロモンの受難が、「拉致された者の悲劇」の極限状況をトレースする風景だったと言える。
(注2)当時、「自由黒人」の拉致・奴隷事件の発生は、少なからず存在し、正式に公証された「自由証明書」が破り捨てられる事件もあったと言われる。
人生論的映画評論・続/それでも夜は明ける(‘13) スティーヴ・マックィーン<極限状況下に置かれた男の内面に入り込んだ映像の出色の着地点>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/04/13.html