トゥヤーの結婚(‘06) ワン・チュアンアン <新たに開いた時間を紡いでいく、モンゴル牧畜民の気概のある女の物語>

イメージ 11  「家族は誰も死なせない!」
 
 
 
中国共産党支配下内モンゴル自治区西北部の草原のゲルに住む、トゥヤーの家族は相当数の羊の放牧で生計を立てている
 
今、このゲルには、酔ってバイクで転倒した隣人のセンゲーが厄介になっている。
 
嫁に駆け落ちされたセンゲーは、あろうことか、トゥヤーを嫁と間違えて抱きついてくる始末だった。
 
「嫁は別れたいのよ。早く離婚した方がいい」
 
夫のバータルに語るトゥヤーの言葉である。
 
そんなとき、息子のザヤから「羊が3頭ないよ」と報告があり、一頭360元だから3頭分の損失を、ザヤに計算させる父・バータル。
 
その間、一日の疲労で寝入ってしまうトゥヤーの苦労が透けて見える。
 
「父さんが井戸掘りでケガして、家には男手がない。ザヤが頼りなんだよ」
 
このトゥヤーの言葉にあるように、井戸掘りの発破(はっぱ)で下半身不随になってしまった夫のバータルは、今や放牧の戦力になり得ないから、家族の生活の一切はトゥヤーの双肩にかかっているのだ。
 
ラクダを利用しての、毎日の水汲みのために、30キロの道のりを、息子のザヤと二往復するトゥヤーの負荷は常態化しているが故に、彼女の能力の限界近くにまで事態が切迫しているように見える。
 
「3年前、井戸を掘ったが・・・」とバータル。
「水が出る前に、脚を追ったわ」とトゥヤー。
「水を運ぶ男でも見つけろよ」
「あなたはどうするの?」
「姉と暮らす」
「旦那が早死にした上、子沢山でしょ。あんたまで無理よ」
 
淡々とした会話だが、その内実は深刻である。
 
「車と金があれば、俺を好きになるさ。男が稼ぎ、女が使う。それが人の世の常だ」
 
トゥヤーに大言壮語するセンゲーの言葉である。
 
嫁に逃げられても、そんなことを口にするセンゲーのふがいなさが垣間見えるが、厄介なことに、バイクから転倒しているのを発見したトゥヤーが救い出し、自らが軽傷を負ってしまう。
 
腰を痛めたトゥヤーは、踏んだり蹴ったりの状態だった。
 
バータルの姉から、トゥヤーの離婚話が出たのは、そのときだった。
 
「バータルと別れなさい。弟は私と暮らす。子供が6人だから、弟一人増えても、同じだよ。あんたが倒れて、一家4人抱えたら、私一人じゃ養い切れない」
「バータルは何て?」とトゥヤー。
「歩けるものなら砂漠に行って、死にたいって」
「私も歩けないなら、離婚しかない」
 
この深刻な状況下で、義理の姉の督促に従って、トゥヤーは夫を連れて裁判所に赴く。
 
「再婚相手と一緒に、バータルの面倒を。認めてくれた人と結婚します」
 
これが、トゥヤーの再婚の条件だった。
 
井戸掘りの事故で下半身不随になってしまった夫を見捨てる行為など、彼女にはとうてい受け入れられようがなかったのだ。
 
やがて、そんなトゥヤーの再婚条件を認めて、彼女のもとに次々に現れる男たち。
 
しかし、些かトゥヤーの再婚条件のハードルは高過ぎた。
 
「6人目の求婚者も断って来たわ」とトゥヤー。
「俺がイヤなんだろ」と。
「あなたを一人にしない。今日来た求婚者は本人かと思ったら、結婚相手は父親だって」
「いくつだ?」
「64歳。退職した先生。退職金もあって、家は3LDK。子供らに勉強させ、大学に行かせるって。どうしよう?」
「やめとけよ」
 
笑み含みの夫婦の会話はユーモアに満ちているが、その内容の深刻さは変わらない。
 
中学の同級生のボロルが乗用車に乗って、再婚の志願者として現れたのは、その直後だった。
 
「油田を探している。石油で飯喰ってるんだ」
 
今や、石油屋として各地を回っているボロルの言葉。
 
ナーダム(モンゴルの夏の祭典)で、モンゴル相撲の人気者だったバータルを尊敬すると言うボロルは、トゥヤーに求婚する。
 
「君の離婚の話を聞き、慌てて駆けつけた。これを言うため、17年も待ったんだ」
 
即答は避けたが、生活苦で限界にきていたトゥヤーは、結局、別れた妻に今でも生活費を送っているというボロルの求婚を受け入れるに至る。
 
しかし、ボロルの求婚には、バータルを施設に預けるという条件が含まれていて、それを了承するバータル。
 
その施設は、公費で賄う政府機関の幹部らの公務員と、高額の私費で賄っているが故に条件が良く、富裕層の入所が多い特別な設備を有するスポットらしいが、バータルには居心地が悪かった。
 
「トゥヤーの再婚は、あんたを愛しているからだ」
 
駆け落ちした妻への未練が捨て切れないセンゲーが施設に見舞い、バータルを励ますが、だからこそと言うべきか、当のバータルには、止むを得ず離婚したトゥヤーと子供たちのことしか頭にないのである。
 
そんなバータルの思いが分るトゥヤーは、初夜の晩に、「バータルと一緒に暮らして」とボロルに要求するのだ。
 
「俺もひとかどの男だ。人の笑い物になる。それじゃ面子が立たない。一緒に住んだら、俺が辛い」
 
これがボロルの答え。
 
それでも、バータルを気にかけるトゥヤーの思いが変わらないと見るや、大きな家を建て、そこでバータルに介護付きの生活を提案するボロル。
 
「嫁を紹介してもいい。好きに暮らしてもらおう」
 
これも、ボロルの提案の一つだった。
 
「妹は父さんと、僕が母さんと暮らす。母さんを守るんだ」
 
これは、息子のザヤの言葉。
 
子供たちにとっても、思いも寄らない事態の展開に翻弄されているから、こんな親思いの言葉が出てくるのだ。
 
一方、寂しさを紛らすために、施設の部屋で酒を飲み続けるバータル。
 
そして、その酒瓶を割って、その破片で手首を切る自殺未遂を図ってしまうのである。
 
「死にたいの?生きるのが辛いと、死んで人を困らせ、脅すつもりなの!自殺したら偉いの?先に死んだら勝ちってわけ?飲まなきゃ、死ねないの?」
 
センゲーの連絡で、二人の子供を連れて急いで施設にやって来たトゥヤーの叫びが、バータルの病室で暴れ捲っていた。
 
子供たちも泣いている。
 
「家族は誰も死なせない!」
 
トゥヤーの思いが、この言葉に凝縮されていた。
 
ボロルとの再婚が、この一件で終焉したのは言うまでもない。
 
  
 
 人生論的映画評論・続/トゥヤーの結婚(‘06) ワン・チュアンアン <新たに開いた時間を紡いでいく、モンゴル牧畜民の気概のある女の物語>)より抜粋 http://zilgz.blogspot.jp/2015/05/06_24.html