インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(‘13) コーエン兄弟 <「俺の音楽」に拘泥する男の予約された人生行程>

イメージ 1<「俺の音楽」に拘泥する男の予約された人生行程>
 
 
 
1  プライドラインの絶対的城塞を手放さない男の流離いの旅
 
 
 
近すぎず遠すぎず、登場人物との適正な距離を保持ながら、緻密な構成力によって、コメディという衣裳を被せつつ構築し切った人間ドラマの傑作。
 
心の底から感動した。
 
さすが、コーエン兄弟である。
 
―― 以下、梗概。
 
ガスライト・カフェ。
 
ニュー・ヨーク市・マンハッタンのグリニッチ・ヴィレッジにあるカフェの名である。
 
1961年のこと。
 
ギターの弾き語りで、一人の男が自作のフォークを歌っている。
 
男の名はルーウィン。
 
疎らな拍手が歓声混じりの拍手に代わり、歌い終わったルーウィンは観客に向かって発信する。
 
「古くて新しけりゃ、フォークソングだ」
 
歌い終わり、呼び出された「スーツ姿の男」によって因縁をつけられ、いきなり顔面にパンチを食らわされた。
 
「昨夜、客席からヤジを飛ばしたな」と男。
「それがショーってもんだ」とルーウィン。
 
これが、「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」と称される映画の主人公・ルーウィン・デイヴィスを描くファーストシーンだった。
 
「昨夜はすみません。我ながら情けないです」
 
ルーウィンのメモ書きであるが、このファーストシーンの意味はラストで回収される。
 
ゴーファインという名の知人の大学教授のマンションに厄介になったルーウィンは、その教授の飼い猫が飛び出してしまって、まるでルーウィンの人生のように、自在気ままに行動するその猫を抱えてて移動することになった。
 
以降、この猫を随伴する男の奇妙だが、決して誇りだけは捨てず、自分に見合った最適な〈居場所〉を求めて流離(さすら)う旅が開かれる。
 
彼を雇った事務所のマネージャーと喧嘩し、辛うじて40ドルのギャラを受け取って、友人・知人宅を泊り渡る男の生活風景が映像提示されていく。
 
歌手仲間のジーンとジムのアパートを訪ねたルーウィンは、ジムのいない部屋にはトロイと名乗る「先客」の現役軍人の歌手がいて、唯一の寝床であるソファを確保できず、床に寝ることになる。
 
そればかりではない。
 
寝床を共にしたジーンの妊娠を知らされ、トロイのギグ(小さな会場でのライブコンサート)で、ジムに中絶費用を求める始末。
 
ギグでは、特別のゲストとして、隣に座る「ジム&ジーン」がステージに呼ばれ、軽やかにフォークソングを歌っている。
 
ピーター・ポール&マリーをイメージさせつつ歌うのは、フォークの名曲「500マイル」。
 
私を乗せて列車は出る 
それが あなたへの別れ
汽笛が聞こえるでしょう
100マイルの 彼方から
 
自分が呼ばれると思ったルーウィンは、ここでも置き去りにされるのだ。
 
「あんたが触ったものは全部、クソ!」
 
妊娠したジーンから一撃を食らうルーウィンは、ジムには内緒で中絶費用を捻出するリスクを負うに至った。
 
姉のジョーイに無心をするが、それも儘ならなかったルーウィンにチャンスが巡ってきた。
 
ジムの紹介でコロンビア社の録音の代役を無事にこなし、印税を放棄し、200ドルのギャラを現金化したルーウィンは、そのときのパートナーとなったアルという男のソファを借用し、この日も、辛うじて寝床を確保することに成功する。
 
これが、その日暮らしの男の生活の一端である。
 
以下、そんな男の生活を厳しく非難するジーンとの会話。
 
「将来のことって考える?」とジーン。
「将来?空飛ぶ自動車?月の上のホテル?粉ジュース?」とルーウィン。
「ダメな男」
「君こそダメだ。将来の設計図を描いてる。ジムと郊外に住んで子育て」
「悪い?」
「もし、そのための音楽なら、君は出世主義者で、少し退屈な人間。哀しいよ」
「私が?成功する気すらないくせに何よ。私とジムは努力している。あんたは家もない」
「グサっと来た」
「負け犬だから、地べたを這い回ってる。自業自得よ。それと、あんたはゲス野郎の間男よ。それも忘れないで!」
 
ここまで言われても、相手の暴言を無視できるのは、ルーウィンのマイペース人生が貫徹されていることもあるだろうが、それ以上に中絶を強いる男に弱みがあるからに違いない。
 
しかし、打たれ強いルーウィンのストレスは、今や、封印できない辺りにまで累加されているようにも思われる。
 
だから、このストレスが噴き上げてしまうのは必至だった。
 
音楽好きな大学教授・ゴーファインの元に、逃げた猫を見つけて、教授の家を訪ねた時だった。
 
そのゴーファイン教授に、たまたま居合わせた婦人客のために歌うように懇願され、ギターを渡されるルーウィンは、気乗りしないまま弾き語っていく。
 
ところが、ルーウィンの弾き語りが、ゴーファイン教授宅の婦人客にハモられてしまうことで、ルーウィンはもう、ダメになった。
 
「悪いが、もうやめるよ。俺は生活のために歌っている、遊びじゃない」
 
そう言い放つや、とうとう、ルーウィンの怒りが炸裂する。
 
この炸裂には、投身自殺したパートナーのマイクの非在性によるトラウマが、ルーウィンの自我に張り付いていることと無縁でないだろう。
 
彼にとって、忘れ得ぬパートナーの領域を冒される事態は、決してあってはならないことだったのか。
 
まもなく、アルからのシカゴでの仕事の誘いに乗ったルーウィンは、ガソリン代を節約するために、アルの友人の肥満の男の車に同乗する。
 
ジャズ・ミュージシャンと思しき肥満の男の名はローランド。
 
ジョニーという名の付き人も付き、彼が運転するシカゴへの車の旅は、ローランドの一方的な饒舌に辟易したばかりか、途中のドライブインのトイレで倒れ、挙句の果てに、運転手である前科持ちのジョニーが巡回パトカーの警官に逆らい、連行されてしまう始末。
 
ローランドを乗せた車に残されたルーウィンは、飼い猫を置き去りにし、何とかヒッチハイクなどを繋いでシカゴにやって来た。
 
「ゲイト・オブ・ホーン」
 
シカゴのクラブの名前である。
 
ここのプロデューサーであるグロスマンと会えたルーウィンは、オーディションを受けるに至る。
 
「金の匂いがせんな」
 
観る者の心を揺さぶるようなルーウィンのフォークの弾き語りが冴えわたるが、グロスマンのこの一言は、自分の音楽に誇りを持つ男の気概を萎えさせた。
 
「分った。それだけか?」とルーウィン
「君は決してヘタじゃない」
「トロイ・ネルソンの才能はない?」
「知ってるのか?」
「トロイはいいものを持ってる」
「ああ。人の心に響く。実は今、トリオを考えてる。男二人と女一人だ。君はフロント向きじゃないが、髭を剃り、身ぎれいにしたら、声の相性を見てもいい。ハモれるか?」
「ダメだ。できれば、やりたくない。相棒がいた」
「それで分った。助言だ。ヨリを戻せ」
「良い助言です。ありがとう」
 
本作の中で、最も重要な会話である。
 
「金の匂い」を発現させるために、「商品価値」を高めようとするグロスマンの言辞に反発したばかりか、マイクの代替を拒絶するルーウィンの心情がここでも想起され、敢えて自ら、「金の匂い」と縁遠い「俺の音楽世界に復元していくのだ。
 
この「俺の音楽」こそ、決して譲れない男の、そのプライドラインの絶対的城塞なのである。
 
プライドラインの絶対的城塞を手放さない男の、予約された人生行程のイメージが、そこにもう垣間見えるのだ。
 
 
 
人生論的映画評論・続/インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(‘13) コーエン兄弟 <「俺の音楽」に拘泥する男の予約された人生行程>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/05/13_31.html