武士の家計簿('10)  森田芳光 <「質素」、「勤勉」、「倹約」、「正直」、「孝行」、「『分』の弁え」という美徳を有する、稀有なる「善き官僚」であった男の物語>

イメージ 11  「ホームコメディ」と「シリアスドラマ」という二つの風景を、「技」の継承への使命感を有する堅固な信念によって接合した一篇
 
 
 
 
これは、時代の変容の圧力から相対的に解放された秩序の追い風の中にあって、それ以外にない「技」を、恐らく特段に問題なく繋いで、繋いで、繋いでいった果てに現出した一人の男の、確信的な主導による「生活革命」に関わる大部の「ホームコメディ」と、更に、その男によって架橋された「技」の継承が、劇的に変容した時代のニーズに睦み、相変わらず目立たないが、しかし今や、その「技」が特化され、時代を支える決定的な戦力にまで上り詰めていくエピソードを拾った、小分の「シリアスドラマ」という二つの風景を、件の「生活革命」を主導した男についての個性的で、且つ、一貫して「お家芸」への矜持を捨てることなく、「技」の「世代間継承」への使命感を有する堅固な信念によって接合した一篇である。
 
 
ここで言う、「相対的に開放された秩序」とは、「幕末の騒乱期」にあって、外様大名でありながら、将軍家との婚姻政策に成就(注1)するなどして、大名取り潰しの危機を事前に防いだことで、御三家に準ずる待遇を受けていた加賀百万石の安定的な経営秩序のこと。
 
 
「それ以外にない『技』」とは、「刀でなく、そろばんで家族を守った侍がいた」というキャッチコピーで表現されているように、算盤による「算用者」(さんようもの)と言われた、会計処理の役人の商売道具である「そろばん」と「筆」の技巧のことである。
 
 
さすがに、加賀百万石となれば、下級藩士が集合する「算用者」の人数は、常時、150人を抱えていて、他藩を圧倒していたらしい。
 
 
また、「一人の男」とは、本作の主人公猪山直之のこと。
 
 
加賀藩御算用者の「超絶的技巧」の持ち主であるが故にか、「そろばん馬鹿」と揶揄されていた直之は、一切の帳尻合わせを許容しない「完璧主義症候群」と思しき性向を有していて、この性向が、物語の中枢を「ホームコメディ」のイメージラインで固めた、猪山家の「生活革命」を主導したばかりか、長男の直吉(成之の幼名)に対する厳格な教育において顕著に身体化されていったのである。
 
 
しかし、この厳格な教育に象徴されるように、「技」の「世代間継承」に使命感を持つ猪山直之の、固有なる「完璧主義症候群」のエピソードを切り取った物語のイメージラインは、本作の生命線でもあった「ホームコメディ」と異なって、明らかに、「シリアスドラマ」の風景を印象付けるものだった。
 
 
更に、「生活革命」については、本作の肝だから、稿を変えて言及したい。
 
 
 
(注1)これは、加賀藩江戸上屋敷の御守殿門(現在の東京大学の赤門のこと)の建築に、猪山家7代目の信之が尽力したエピソードが、信之自身の自慢話として紹介されていたが、その内実は、徳川家斉の第21女である溶姫が、第12代加賀藩主の前田斉泰に輿入(こしい)れする際に建造されたというもの。
 
 
 
 
2  「絵鯛」の接待によって開かれた猪山家の「生活革命」
 
 
 
 
各藩に財政的負荷を負わせる目的で制度化された参勤交代の際に、藩主に随伴した父信之が、江戸詰の折に出費した生活費や交際費、遊興費などが累積され、そこに母の社交費用も加わって、猪山家の財政を完全に逼迫させている事実を知った直之が、不退転の決意で主導し、猪山家の「財政改革」に取り組んだ「家内革命」―-― これが「生活革命」である。
 
 
その契機となったのは、「お救い米」(注2)の横流しに抗議して惹起した、加賀藩での農民騒動を知った藩主が、責任者を処罰した人事改革にあった。
 
 
当時、御蔵米勘定役を勤めていた直行が、生来の「完璧主義症候群」の性格から、供出量との数字が合わないことに不審を持ち、独自に調べた結果、横流しの事実を知っていながら、直近の上役に説明しただけで、口封じされて断念したが、それは下級武士の限界でもあった。
 
ところが、「算用者」としての直之の才能が藩主に評価され、まもなく、藩主の前田斉泰の側仕え(御次執筆役)に抜擢されるに及んで、破格の栄達を極めるに至った。
 
 
栄達を極めたはずの直之が、猪山家の財政事情を知って驚愕した。
 
 
自らがコントロールし得る環境にあると認知したときの、直之の行動には、常に覚悟を決める精神力が発現される。
 
 
まさに、決定的局面でこそ動く男のイメージには、外見的な「ひ弱さ」と切れた果断さが身体表現されるのだ。
 
 
だからこそ、成就した「生活革命」であったが、その直接の契機となったのは、直吉の袴着の祝いの場であった。
 
 
袴着のお祝いのために親戚一同を招待した際に、財政不足のために、祝儀に付き物の鯛料理を出すことが叶わず、あろうことか、鯛の絵を描いた紙を食膳に 上(のぼ)せたのである。
 
 
「絵鯛」を描いたのは、直之の妻である駒。
 
 
そして、妻に「絵鯛」を描かせたのは、直之。
 
 
一切が、直之のプランであった。
 
 
怒りが収まらないのは、直之の両親。
 
 
猪山家当主の信之と、その妻の常である。
 
 
親戚一同が帰った後、当然の如く、彼らの怒りが炸裂する。
 
 
「このままでは、ご簡略屋敷(注3)に移されます」
 
 
父子の碌を合わせても、支出の半分に満たない事実を突き付けた直之は、猪山家が全員協力して家財を処分し、倹約を断行しなければご簡略になると説いたのである。
 
 
嫌がる父母に、「生活革命」への協力を求めたのだ。
 
 
「恥じゃ」と父。
 
「ご簡略となることが恥。決意のほどを内外に示すのです」と直之。
 
「噂がたてば、表を歩けぬ」と母。
 
「人の噂も七十五日。一時の恥や困窮など、藩祖利家公の御苦労を思えば」
 
 
それは、リアリティのある恫喝だったと言っていい。
 
 
かくて、父母の説得が成功した。
 
 
加えて、家計簿をつけることを提起し、了承された。
 
 
「生活革命」が開かれた瞬間だった。
 
 
この「生活革命」には、幾つかの面白いエピソードが拾われていた。
 
 
ここでは、父信之のエピソードのみを紹介する。
 
 
見知りの商人と膝を突き合わせた信之は、姫君から頂いたという品物を売り、更に、「武士の命」である脇差まで売ろうとして、相手の商人を驚愕させた。
 
 
「我が猪山家の命は刀ではない。あれだ」
 
 
信之はそう言って、障子の棚に置かれたそろばんを指差したのである。



それだけの話だが、猪山家の命を守り、繋いでいくために、「生活革命」を遂行せざるを得ない切迫感がリアリティを持てば持つほど、観る者を大いに楽しませてくれるエピソードの連射は、明らかに、「ホームコメディ」基調の物語のラインを占有するものだった。
 
 
かくて、物語の大部を構成する「ホームコメディ」が、余情を残して終焉するに至る
 
 
「貧乏が面白いか?」と直之。
 
「貧乏と思えば暗くなりますが、工夫だと思えば」と駒。
 
 
この駒の一言のうちに、本作のの基幹メッセージが読み取れるのは言うまでもないだろう。
 
 
 
(注2)飢饉などの際に配給される備蓄米のこと。また18世紀末に、松平定信が実施した寛政の改革において、江戸の町費の倹約令によって倹約額の7割を積み立てることで、飢饉に備えた「七分金積立」(しちぶきんつみたて)や、「囲米」(かこいまい)などの備蓄制度があり、これが、後述する、「下層階級に要求される実践倫理」の基盤となっているという仮説あり。
 
 
(注3)拝領屋敷(本来の家屋)を追い出され、強制的に住まわされる狭い長家のこと。
 
 
 
 
 
3   その「技」が特化され、時代を支える決定的な戦力としての覚醒と、和解にまで至る「予定調和の感動譚」
 
 
 
 
 
 
「その『技』が特化され、時代を支える決定的な戦力」とは、猪山家で代々継承されてきた「そろばん」と「筆」の技巧である。
 
 
 これは、直之で8代目を迎えた事実によって、まさに信之が言うように、「我が猪山家の命はそろばんだ」という言葉のうちに集約されるもの。
 
 
また、「『技』の継承への使命感を有する堅固な信念」とは、単に「そろばん馬鹿」ではなく、不正とは無縁に、真っ正直に生きようとする直之の「人生哲学」であると言えるだろう。
 
 
これは、農民騒動の際に、多くの藩士が不正に関わった事実に、一抹の不安を持った直之が、父との会話の中で拾われていた。
 
 
「お救い米で揉めておるそうだな。難しいところよのぅ。あれは奇麗にし過ぎても軋(きし)む」
 
「ですが、数字が合わぬのが我慢なりません父上は、帳尻だけあっていれば良いと?」
 
「どういう意味だ?」
 
「いえ、信じております。私なりに励んでみます」
 
「気をつけろよ。そろばんは間違って弾くと戻せぬぞ」
 
「そろばんなら間違えませんが
 
 
直之はそう言って、棚に置いてある硯箱に視線を移した。
 
 
「そろばんと筆だけが、我が猪山家のお家芸だからな」
 


この父の言葉で、息子は父を信じることで安堵したのである。

 



 
 
 人生論的映画評論・続/武士の家計簿('10)  森田芳光 <「質素」、「勤勉」、「倹約」、「正直」、「孝行」、「『分』の弁え」という美徳を有する、稀有なる「善き官僚」であった男の物語>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2012/04/10_11.html