フルートベール駅で(‘13)  ライアン・クーグラー  <「犯罪の臭気」を漂動させている「少なくない黒人」への「権力的構え」の暴走>

イメージ 11  「ムショは、もういやだ。あの服役で懲りた」
 
 
 
とかく暴走しやすい主題を、一人の黒人の生活風景のうちにシンプルに特化した構成力によって均衡を保持した、インディーズムービーの傑作。
 
―― 以下、梗概。
 
フルートベール駅。
 
2009年元旦に、その事件は起こった。
 
 
「警察の暴力だ!」
 
騒動の中で、そんな叫びが拾われていた。
 
誰かが投稿した動画の実写である。
 
一発の銃声音が聞こえた瞬間、その動画が切れてしまうのだ。
 
ここから、アメリカ社会を震撼させた事件を描く物語が開かれる。
 
カリフォルニア州ヘイワード。
 
かつて、19世紀半ばに起こったゴールドラッシュの波に乗り、ホテル経営で成功した東部の靴職人の名に由来するサンフランシスコ湾東岸に位置する街である。
 
その街に在住する一人の黒人男性が、黒人女性に言い寄っていた。
 
黒人男性の名はオスカー・グラント。
 
失業中の22歳の青年である。
 
「触られると、あんたの浮気を思い出すの」
 
そう言って、オスカーを拒んだ黒人女性の名はソフィーナ
 
籍に入っていない事実上の夫婦だが、オスカーの浮気に拘泥するほど、愛情の確かさが読み取れる。
 
だから、「永遠に好きだ」と言われれば、ソフィーナもオスカーを受け入れるのだ。
 
そこに、「眠れないの」と言って、二人の部屋に娘のタチアナが入って来た。
 
娘の声を聞いた途端に、ドラッグを隠し込むオスカーはタチアナを受け入れ、3人で添い寝する。
 
それが、2008年・大晦日を迎えたばかりの若き黒人一家の、「最後の特別の夜」の風景の一端だった。
 
娘のタチアナを保育園に、妻のソフィーナを仕事場に送り届けたオスカーは、この日が誕生日の母親・ワンダに、「おめでとう」と携帯で連絡する
 
「40時間働いても、給料は20時間分でいいんだ」
 
解雇されたスーパーの店長に、再度、雇用を求めるオスカーの直談判のシーンが、その直後に映像提示されていく。
 
「別の者を雇った」
 
店長のこの一言で、新年を迎えるオスカーの失職中の侘しさが描かれるが、「遅刻の常習犯」であったオスカーの怠惰ぶりが全てだった。
 
それでも、家族を持つ本人の意識としては、「真面目に働く」思いがあるようだった。
 
しかし、家賃代を払えない妹からの借金の申し出を引き受けたオスカーが、隠し込んだドラッグの売人になることで、その金銭を用立てるという安直な手段に逃げ込む軽薄さが露呈されるのだ。
 
路上で轢かれたピットブル犬(闘犬として有名。ここでは黒人のメタファー)を必死になって助けようとする優しさと、少しのことでも切れてしまうほど喧嘩早くて、ドラッグの売人になって刑務所に入獄する愚かさが同居するオスカー。
 
人間とは、そんな矛盾を、一つの人格のうちに抱え込んでいる厄介な生き物である。
 
「白豚野郎!」
 
ちょうど一年前に、入獄していた刑務所で、面会に来た母親の前で、自分をバカにする白人の囚人に放った言葉である。
 
その母親を嘆かせたことを思い出し、後悔する人柄のオスカーだが、思春期までに作られた性格は簡単に変わらないのだ
 
「金はいらないよ」
 
そう言って、オスカーアジア系の男に隠し込んだマリファナを譲渡する。
 
マリファナを吸えよと言われても、拒絶するオスカー。
 
このシーンの前に、シスコの海を眺めるオスカーの暗欝な表情が描かれていたこと。
 
そこで、刑務所に面会に来た母・ワンダの嘆息を想起し、少しは自分の人生を真剣に考えるに至ったことが大きかったのだろう。
 
しかし、スーパーを解雇されていた事実を話さなかったことを、ソフィーナから難詰(なんきつ)される。
 
「社会を甘く見てるわ。クビにされて復職ですって?この先、どうやって暮らすの?私をダマしといて、娘にもウソを言ったわ」
 
ここまで言われてしまえば、オスカーも怒りをダイレクトに表現するしかなかった。
 
「俺だって苦労してるんだぜ!」
 
くすんだ風景の中の夫婦喧嘩が沈黙を生んだ時、オスカーは、どうしてもそこだけは言いたい思いを口に出す。
 
「疲れた。クサは捨てた。それが言いたかった。やり直そうとしたけど、うまくいかなくて・・・ムショは、もういやだ。あの服役で懲りた」
 
真剣な表情で語る、この夫の思いをソフィーナは受容する。
 
ソフィーナの実家でのエピソードだった。
 
母親の誕生日パーティーを皆で祝った後、オスカーはシスコの町に出て行く予定を立てていた。
 
花火を見るためである。
 
以下、娘・タチアナをソフィーナの姉に預けた際の短い会話。
 
「夜明け前には戻る」とオスカー。
「ダメ。行っちゃイヤ。怖いの」とタチアナ。
「何がだ?」
「鉄砲の音がする」
タチアナ。あれは爆竹の音だ。ここにいれば大丈夫
「パパも大丈夫?」
「勿論だ」
 
映画的に仮構された会話だが、この会話が、既に、その結末が分っている観る者の心を、苛酷なリアリズムの世界に誘(いざな)っていく。
 
 
 人生論的映画評論・続フルートベール駅で(‘13)  ライアン・クーグラー
 <「犯罪の臭気」を漂動させている「少なくない黒人」への「権力構え」の暴走>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/07/13.html