鉄くず拾いの物語(‘13)  ダニス・タノヴィッチ  <「忘れられた被害者」に対する「全称の誤用」のトラップの危うさ>

イメージ 11  貧しい国の家族が負った状況を突破する男物語
 
 
 
 
雪の積もる中、一人の男が細い木を伐採し、多くの薪を作っている。
 
更に、レフケという名の弟と共にハンマーを振り上げ、廃車を解体し、それを鉄くず状の小さな物質に加工していく。
 
その鉄くず状の小さな物質を業者に運び、金に換えるのだ。
 
「153マルク」
 
これが、冒頭から開かれる男の、今日の仕事の戦利品だった。
 
その金を持って、二人で飲み屋に入り、酒を酌み交わす。
 
「女房に殺されるよ」
「何で?」
「どこ行ってたのって」
「鉄くずを拾ってたと言えばいいじゃないか」
「微々たる金のために?」
「充分だよ」
 
男の名はナジフ。
 
愛する妻セナダと、二人の姉妹(サンドラとシェムサ)と共に、倹(つま)しい生活を送るロマの一家である。
 
セナダの夕食のパン作りにぴったりと寄り添い、明るい声を弾ませているサンドラとシェムサ。
 
如何にも、幸せな家族の印象を観る者に与える。
 
そのセナダに異変が起こったのは、その直後だった。
 
辛そうに、ソファにうつ伏せになっているのだ。
 
「お腹が痛いの」とセナダ。
「それは大変だ。医者に行こう」とナジフ。
「いい。明日まで様子を見る」
 
この日は、それで終わった。
 
いよいよ辛そうにしているセナダを車に乗せ、ナジフは街の病院に連れていく。
 
「赤ちゃんに問題が。死んでるって。産婦人科に行かないと。異常みたいよ」
 
3人目の子供をお腹に身ごもっているセナダが、診察を終え、廊下で待つナジフに話したこの言葉の意味が流産を指しているのは言うまでもない。
 
産婦人科に行って、掻爬(そうは)手術さえすれば、すぐ良くなります」
 
医師の言葉である。
 
紹介状を持って、その足で産婦人科に向かう4人の家族。
 
ところが、産婦人科に着いたナジフは保険証を持っていない事実を説明したら、「保険がないので、980マルクかかります」と言われるのだ
 
出血を止めたが、セナダの手術をするのに、980マルク(500ユーロ/ボスニア・ヘルツェゴビナは新通貨として兌換マルクを使用)の金が必要なのである。
 
「そんな金持ってない」とナジフ。
「手術を受けるなら、お金が必要です」
「そんな金はない。分割払いではダメか?何とかならないのか。妻を助けてくれ。お願いだ」
 
そこまで言われた看護士は、院長と掛け合ってみた結果、「分割は受けられない」と言われるに至る。
 
「俺たちの状況は分るだろ?頼むよ。子供たちのことも考えてくれ。妻に何かあったら・・・わざわざ、村から遠く離れたここまで来たんだ」
「できることはしました。もう、手はありません」
 
不毛な押し問答のあげく、結局、全く埒が明かず、自宅に戻る以外になかった。
 
ナジフができることは、ただ一つ。
 
鉄くずを集めて、それを金にすることである。
 
妻の命を救うために、雪の残っている荒れ果てた残土をまさぐって、ナジフは必死に鉄くずを集めるのだ。
 
台詞のない映像は、この男の懸命の仕事をフォローしていく。
 
しかし、妻の腹痛が再発したことで、先の産婦人科セナダを連れていく。
 
「金は払ったのか?」
 
この産婦人科医の言葉に、「簡単に用意できない」としか答えられないナジフ。
 
「金払えないなら、手術できない。院長の命令だから、どうにもできない
「頼むから助けてくれ」
「私も雇われてる身だから、仕方がない」
 
病室の扉を締められて、病院を追い出されるナジフとセナダ。
 
二度にわたって断られ、自分のもう一人の弟・カシミに子供たちの面倒を見てもらったナジフは、再び自宅に戻る。
 
追い詰められたナジフがとった行動は、ロマ民族女性協会」会長・インディラの元に赴き、彼女に社会福祉事務所に連絡してもらうが、全く埒が明かなかった。
 
「戦争中の方がまだ良かった。前線で弟を失くした。まさに惨劇だった。今でもはっきり覚えてるよ。あんな状況に耐えられる人なんかいない。ひどい光景だった。別の兄弟が死体を発見したんだが、頭だけしかなかった。木っ端微塵だよ」
 
改善されない状況の中のナジフの言葉である
 
且つ、4年間従軍した経験のあるナジフにとって、その後、恩給も生活保護子供手当てもなく、常に命の危険があった時代を回顧するほどに、手術をしなければ敗血症の危険のある妻・セナダの苛酷な状況が我慢できないのだろう。
 
そんなナジフが救いを求めたのは、「子供の地」という組織だった。
 
「もう、あそこには行きたくない」
 
「子供の地」に勤務する女性に放ったこのセナダの言葉には、病院に対する不信感が拭えないほど膨らみ切っていた。
 
義妹の保険証が借用できるという情報をナジフが得たのは、そんなときだった。
 
すっかり衰弱し切っているセナダを説得し、知人から車を借り、義妹の保険証を持って、別の産婦人科を訪れるナジフとセナダ。
 
家族以外の者の保険証を借用するという違法行為を犯すことよりも、ナジフはセナダの命を救わねばならないのだ。
 
「なぜ、今まで放置を?」
「車がなくて」
「手術をしました。問題はありません。でも、もう少し遅かったら大変でしたよ。しばらく休んだら、すぐに帰れます」
 
産科医とナジフの会話である。
 
家族以外の者の保険証のお陰で、医療費が安くなり、薬も処方されることで、セナダの命は救われたのである。
 
帰宅した家族を待ち受けていたのは、電気料金の不払いによって、電力会社に電気が切られるという、厄介な事態だったが、弟・カシミの協力を得て、車のバッテリーから電気を引いて、寒さを凌ぐに至る。
 
ナジフにとって、妻の命を救ったことに比べれば、このような作業はお手の物だった。
 
あとは、電気代と薬代を捻出するために、彼の「本業」である鉄くず拾いをすることだった。
 
しかし、今回の鉄くず拾いの内実は、あろうことか、中古の自家用車を解体することなのである。
 
304マルク。
 
これが、自家用車を解体して得た商品価値の全てである。
 
その金を持って、電気料金を払い、薬を買って、自宅に戻って来た男の物語は、ここで終焉していく。
 
ナジフの家に電気が灯り、このロマの家族に、かつてそうだったような明るさが戻ってきたのである。
 
―― 一貫して感傷を排し、「ロマ」への差別にも触れず、ただ単に、「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」という貧しい国の中で生きる家族が負った不幸な事態と、その状況を突破するために動く男を描く物語を、「ドキュドラマ」という名の再現ドラマのうちに描き切った映画の訴求力の大きさは、観る者の共感感情が決めるものだろう。
 
私の場合は、ボスニア内戦後のこの国の現実を学習できたことが最も大きかった。
 
 

人生論的映画評論・続鉄くず拾いの物語(‘13)  ダニス・タノヴィッチ  
 「忘れられた被害者」に対する「全称の誤用」のトラップの危うさ)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/08/13.html