薄氷の殺人(‘14) ディアオ・イーナン <「負け組」の男と女の、その究極の生き様を描き切った傑作>

イメージ 11  「ただ、やることを探しているだけ。でなきゃ、完全な負け犬だ」
 
 
 
検閲とのせめぎ合いの中で、基幹メッセージを巧みに隠し込み、商業映画としての成功を収めた映像は、見事なまでのラストシーンの提示のうちに、極めて作家性の高い結晶点に収斂されていく。
 
紛れもない傑作である。
 


―― 以下、梗概。

 


1999年夏。

 
中国北部の華北地方。
 
刑事であるジャンは、彼の妻から「離婚証明書」を突き付けられても、未練が残り、あろうことか、妻と別れる駅のホームで強引に押し倒し、なお、セクハラ紛いの行為に及ぶ。
 
そんな折、6都市・15箇所に及ぶ石炭工場の各所で、頭部を除く手足が切断されたバラバラの遺体が見つかるという猟奇事件が起こった。
 
近年、暖房用の燃料となる石炭の使用増の影響で、大気汚染が深刻化している華北地方のイメージ、報道を通して私たちにも馴染み深いエリアである。
 
その事件を担当するのはジャン刑事。
 
リアン・ジージュン。
 
この遺体の被害者の名である。
 
身分証と服が発見されたからである。
 
石炭工場の計量部で働き、人に恨みを買う人物ではないことを聞かされたジャン刑事は、嗚咽するばかりの若い妻から事情聴取も満足に遂行し得なかった。
 
捜査の中で、遺体を運んだと思われるトラックが特定され、そのトラック運転手のリウ兄弟が容疑者として浮かび上がり、華美な色彩に彩られたヘアサロンで拘束しようとしたとき、仲間の刑事二人が射殺され、間髪を容れず、リウ兄弟を射殺するジャン刑事。
 
リウ兄弟の死で、事件の真相は未解決のまま、年月だけが推移していく
 
2004年冬。
 
事件から5年経って、刑事を辞め、異動の警官として工場の保安課の一員となったジャンは、酒浸りの荒れ果てた日々を送っていた。
 
そのジャンが、いつものように飲んだくれて、路上脇に横たわっていた所で、自分のバイクが、通りかかりの男に盗まれてしまうシーンが映像提示される。
 
治安の悪さが目立ち、「法治国家」とは名ばかりな中国社会の現実を投影しているような構図だった。
 
かつての同僚で、例の事件を共に担当していて、今も刑事生活を送っているワンと再会したジャンは、そのワンの話から、例の事件後も似たような猟奇殺人事件が起こっていることを聞かされる。
 
スケート靴を履いている切断された足。
 
これが、この猟奇犯罪の被害者の画像だった。
 
その猟奇犯罪との関与を疑う一人の女を、ワン刑事らは張り込み中だったのである。
 
自転車に乗る女を尾行する警察の覆面車両
 
そこにジャンも同乗していた。
 
女の名は、ウー・ジージェン(以下、ウー)。
 
石炭工場での猟奇殺人事件の被害者・リアンの妻である。
 
「リアンも入れると、関係ある被害者は3人か」とジャン。
「彼女と関わると死ぬ」とワン。
 
そのウーが勤めるクリーニング店に、ジャンが客として訪問したのは、その直後だった。
 
「俺は好きでも、向こうにその気がない。でも、雇っているのは同情からだ。99年に店を始めてすぐ、彼女が革の上着をダメにした。その直後に、彼女の夫が死んだ。クビにはできない。」
 
クリーニング店主のホーをリーの愛人と疑っていたジャンは、そのホーから、直接、彼女を雇っている事情を聞き出した。
 
店主の話は続く。
 
「その客は賠償を要求してきた。2万8000元。99年当時は今より大金だ。ボタンぐらい何でもない。でも、彼女はツイてた。客は1週間騒ぎ続けて、突然、姿を消した。数日前、その革の上着を偶然見つけた。客に返そうかと思ったが、やめといた。面倒を起こすだけだ」
 
店主の話をここまで真剣に聞いていたジャンは、店のカウンターを拭き掃除していたウーからメモを受け取る。
 
「“私に付きまとわないで”」という内容のメモだった。
 
自転車で帰るウーを、オートバイで尾行するジャン。
 
ところが、ジャンのオートバイに何者かが仕掛けをしたので、エンジンがかからないのだ。
 
夜の雪面に、その者の足跡が残っていたことを確認するジャン。
 
明らかに、ウーの「共犯者」を想像させるに難くなかった。
 
その直後、ウーに対する店主のセクハラを提示した映像は、ウーへの疑念を深めるジャンが、帰宅する彼女のあとをゆっくりと尾行するシーンにシフトする。
 
「今度、野外スケートに行こう」
 
馴れ馴れしく近づき、デートに誘うジャンに、表情の変化を見せないウーは受け入れる。
 
「首を突っ込むな」
 
同様にウーをマークするワン刑事は、かつての仲間のジャンに忠告するが、ジャンは聞く耳を持たない。
 
「ただ、やることを探しているだけ。でなきゃ、完全な負け犬だ」とジャン。
「今さら、勝ち組になれると思う?」とワン。
 
ジャンの心象風景を炙(あぶ)り出すような会話の中に、現代中国が抱える社会的問題が垣間見える。
 
そんなジャンが、予定通り、ウーとのスケートリンクでのデートをするが、滑りが下手なジャンとは無縁に、相変わらず全く表情を変えないウーの滑らかなスケーティングの対比は、彼女を取り巻く男たちに対するウーの心の風景の澱(よど)みを想起させるに充分だった。
 
ウーの肉体に触れ、ジャンが強引にキスしたのは、スケートリンクから外れた氷道でのこと。
 
スケートリンクから外れた氷道に誘(いざな)ったのは、ウーであることを思えば、自分を付け狙うようなジャンに対する殺意を持って、「共犯者」に遂行してもらう画策が、そこに見え隠れする。
 
ともあれ、抗えない女と、その女の「魔性」に惹きつけられていく男の物語は、この辺りから大きく変容していく。
 
ワン刑事が、拘束した一人の容疑者からスケート靴で反撃され、殺害されるに至る事件が惹起する。
 
その辺りの関係は不分明である。
 
KF295。
 
ワン刑事の同僚が残したと思われるこのメモは、ワン刑事を殺したスケート靴を肩にかけた男が乗車するバスの車両番号である。
 
そのバスに乗り、男を尾行するジャン。
 
そして、ジャンが目撃したのは、鉄橋の上から、その真下を通る石炭車両にバラバラにした死体を放り投げる現場だった。
 
これは、5年前の事件との関連なしに説明できないのだ。
 
5年前の事件の真犯人は、スケート靴を肩にかけた男なのか。
 
未だ不分明だが、ジャンは、この男とウーとの関係を疑わざるを得なくなった。
 
その直後、スケート場で、ジャンは「リアン・ジージュン」を呼び出してもらう。
 
このことは、ジャンが、「スケート靴を肩にかけた男」=「リアン・ジージュン」であることを認識した事実を物語る。
 
要するに、5年前のバラバラ死体の主が、「リアン・ジージュン」を偽装した別の男であることを意味するのだ。
 
当然、「リアン・ジージュン」が出現することはない。
 
しかし、「スケート靴を肩にかけた男」はこの放送に驚き、疾走する。
 
彼を追いかけるジャン。
 
まさに彼が、「スケート靴を肩にかけた男」=「リアン・ジージュン」である事実を確信したからである。
 
しかし、男を捕捉できなかった。
 
その代わり、既にウーを捕捉していた刑事たちは、ジャンに会わせて欲しいというウーの要求を受け入れるに至り、ジャンとウーの二人だけの会話が交わされる。
 
「今朝、男が鉄橋の上から死体を投げてた。下を走る列車が、俺の同僚の体をいろんな町に運んでいく。そして思い出した。99年のあの事件。各地で見つかったバラバラ死体。たった1日で、死体をバラまけるのは誰か。知りたいか?計量員だ。すべてのトラックが計量台を通る。石炭を積んだ荷台に死体を載せれば、翌日には、各地の工場に送られ、焼かれて灰になる。君の旦那のリアン・ジージュンは計量員だったろ?」
 
「スケート靴を肩にかけた男」=「リアン・ジージュン」によって、鉄橋の上から放り投げられた死体の主はワン刑事だったのだ。
 
しばらくの「間」の中から、本質を衝く追及を受けたウーは、諦念した者のように答えていく。
 
「99年、彼は強盗をはかり、人を殺した。彼は怖くなり、死人と入れ替わった。そうすれば見つからない。結局、警察はダマせたけど、一生、戻れなかった」
「運が良かった。当時、DNA検査は普及してなかった」
「何年もの間、素性を隠し、私を監視する生活。私のそばには死人がいた。逃げたかった。でも、できなかった。彼は私に近寄る男を殺した。誰に言える?私も殺されるかも」
 
「彼は強盗をはかり、人を殺した」というウーの説明が嘘であることが後に判明するが、重要な情報を含むジャンとの会話はこれだけだった。
 
この時点で、ジャンは彼女の話を信用し、「罪を認めた」と担当刑事たちに報告する。
 
あとは、「死人」である夫・リアン・ジージュンを逮捕することが捜査班の基本方針になった
 
ホテルの一室で、そのリアン・ジージュンがウーの前に現れ、金を渡すシーンに繋がる。
 
まもなく、夜道を歩くリアン・ジージュンとウー。
 
しかし、ウーの無表情さだけが際立っている。
 
男は女の手を握ろうとするが交され、その手を引っ込める。
 
まるで、女によって支配されている男の脆弱さが印象づけられるのだ。
 
男はタバコを買いに店に近付くと、待っていた刑事たちに気づき、慌てて逃走するが、背後から撃たれ、銃殺されてしまう。
 
それを、影から見ていた女の悲痛な表情が映し出されていた。
 
女が男を裏切り、警察に通報したのである。
 
 
 
 人生論的映画評論・続薄氷の殺人(‘14) ディアオ・イーナン <「負け組」の男と女の、その究極の生き様を描き切った傑作)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/08/14.html