初恋のきた道(‘99) チャン・イーモウ <「再構成的想起」による完全無欠な純愛映画>

イメージ 11  村と町をつなぐありふれた山道で愛し合った父と母の物語
 
 
 
「父が突然、死んだ。私の故郷は三合屯(サンヘチュン)という小さな山村。父は村の小学校で、ずっと教師をしていた。私は一人っ子で、村でただ一人、大学に行った。残された母が、どうしているか心配だった」
 
都会で働くユーシェン(字幕では「ションズ」と紹介されていたが、本稿では「ユーシェン」とする)のモノローグから開かれる物語は、彼の父が吹雪の日に心臓発作で斃(たお)れた事実を三合屯の村長から知らされ、両親が円満だったが故に、残された母を案じる息子の心境をフォローしていく。
 
その父の葬儀をトラクターで運ぶことに母は反対し、家路を辿らせる昔からの習わしで、都市の病院から生まれ故郷の三合屯まで担いで帰りたいと、村長から聞かされるユーシェン。
 
しかし、若者たちが外に働きに出て、担ぎ手のいない村では、この習わしの踏襲(とうしゅう)難しい現実を知ったユーシェンは、母の説得を引き受ける。
 
その母は、「父が死んでから、ずっと学校の前にいて、何を言っても動かない。座ったっきりだ」(三合屯の村人・シアの言葉)と言うのだ。
 
学校の立て直しのために金策に奔走していた父の、あってはならない急死に衝撃を受ける母の元に行くユーシェン。
 
「もう、父さんに会えないんだよ」
 
号泣する母に寄り添い、ユーシェンは痩身(そうしん)の母を自宅まで連れて帰る。
 
棺にかける布を、機織(はたお)り機で織ると言い張る母の思いを受け取り、機織り機を修繕し、その作業を見守る息子。
 
1999年のことである。(母の実家のカレンダーに明示)
 
父母の新婚当時の写真を眺め続けるユーシェンの、温もりに満ちたイメージラインに誘(いざな)われて、二人の馴れ初め(なれそめ)が回想されていく。
 
「父は村の人間ではなく、よそからやって来た。父と母の恋愛は、村中を騒がせた。村人たちは、物語のように語ったものだ。母はまだ18歳。父も20歳だった。馬車が父を村に運んで来たと、母は言った」(ユーシェンのモノローグ/以下、モノローグ)
 
20歳の父の名は、ルオ・チャンユー(以下、チャンユー)。
18歳の母の名は、チャオ・ディ(以下、ディ)。
 
視覚障害の母を持つディが、チャンユーと出会った瞬間に一目惚れし、桃色の新しい服に着替えるディ。
 

何度も縁談がありながら、すべて断ったというディにとって、チャンユーとの出会いは決定的だった。

都会の香りを運ぶ魅力的な異性だったのだろう。

 
新築する校舎の建物の梁(はり)に赤い布を巻く風習で、村一番の美しい娘が織る決まりに倣(なら)って、その赤い布を織るのはディだった。
 
チャンユーの近くにいたいがために、新しい表井戸で水を汲むディ。
 
「当時、村で建物を建てるときは、各家が現場で働く男たちに食事を運んだ。母は父に食べさせたい一心で食事を用意した。昔は、女が手を出せないことが沢山あった。家や井戸を作るとき、女は不吉だと遠ざけられた」(モノローグ)
 
それ故、自分が作った「お焼き」を食べてもらおうと、チャンユーが食べるテーブルの一番手前の場所に「お焼き」を置くディ
 
識字能力のないディの楽しみは、チャンユーが朗読する声を聞くこと。
 
「村人が馴れて関心がなくなっても、母だけは聞きに行き、それは40年続いた」(モノローグ)
 
遠くから学校に通う子供を送るチャンユーを、追い駆けて行くディ。
 
このような行為が日常化し、ディの生活の中枢を占有していく。
 
このディの目立った行為が、チャンユーに知られるのも時間の問題だった。
 
自分を待つディに挨拶するチャンユー。
 
それで充分だった。
 
やがて、お互いを意識する関係になる。
 
そして、その関係が深まる絶好の機会がやってきた。
 
村人たちは順繰りにチャンユーを昼食に接待するが、いよいよ、ディの家をチャンユーが訪れるのだ。
 
「父は言った。初めて母の家に行ったとき、母が入り口に立って父を迎えた姿は、一幅の画のようで、一生、忘れないと」(モノローグ)
 
ディが、腕によりをかけて作った料理を食べながら、視覚障害のディの母と雑談を交すチャンユー。
 
その表情を奥から見るだけで満足するディ。
 
大学を出てもやりたい事が見つからず、教師の募集の張り紙を目にして、この村にやって来たと言うチャンユー。
 
未だ独身で、縁談もない若い教師の話を耳にしたディの心が一気に明るくなり、チャンユーが帰った後、彼が好きだと言う餃子を作るのである。
 
「良い人だけど、うちとは身分が違う。あきらめるんだね」
 
ディの母の言葉である。
 
母の言葉に耳を貸さないディの心が、決定的なダメージを負う。
 
未だ、一ヶ月間に過ぎない村の教師の仕事を辞めなければならない事実を、本人から知らされたからである。
 
「帰って来る?」とディ。
「もちろんさ。授業がある」とチャンユー。
「いつ帰る?」
「旧暦12月8日には。冬休みになる前に」
「待ってる」
 
赤い服に似合うと言って、髪留めをプレゼントされ、そこだけは笑みを隠せなかった。
 
村人たちの話では、チャンユーが「右派」であることが理由で、党の機関から呼び出されたようだった。
 
赤い服に髪留めを留めたディは、正確な理由も知らず連行されていく、チャンユーの馬車を必死に追い駆けていく。
 
チャンユーの好みである餃子を何とか届けようとするが、追いつける訳がなかった。
 
晩秋の紅葉があでやかな色彩を染める大自然の中枢に置き去りにされ、号泣するディ。
 
おまけに、大事な髪留めを失くしてしまって、途方に暮れるばかりだった。
 
「母は、それから何日も朝から晩まで山を歩き、髪留めを探し回った」(モノローグ)
 
そして、遂に見つけた髪留めをして、唯一のチャンユーとの思い出に、生きる縁(よすが)を見出そうとするディ。
 
そればかりではない。
 
餃子を入れた容器が壊れてしまったので、それを完璧に修繕してもらうのだ。
 
1957年のことである。(この事実は、チャンユーをひたすら待ち続けるディが、カレンダーをめくるシーンで明示される。カレンダーには、旧暦12月8日=1958年1月27日となっていたので、チャンユーの赴任が前年である事実が判然とする。この事実は、本作で重要な意味を持つので後述する)
 
冬になった。
 
誰もいない校舎を訪ねては、チャンユーとの見えない絆を深めていくディ。
 
「父は母に言った。授業中、目を上げると、赤い布が目に入る。すると、母の赤い服を思い出す。村長が天井を張ろうと提案したが、父は断った。だから校舎には、天井がないままだった」(モノローグ)
 
毎日、校舎を訪ねるディの姿を見た村長は、それを村人たちに振れ回ることをしなかった。
 
村で初めての「自由恋愛」の奇跡を、人情味のある村長は、世間話の種にすることを嫌ったのだろう。
 
「父が帰ると約束した日。母は朝から道で待った。父は確かに言った。“旧暦12月8日には帰る。冬休み前には・・・”帰らないはずがない」(モノローグ)
 
極寒の冬の一日を、「初恋のきた道」で待ち続けるディ。
 
日が暮れるまで、吹雪の中で待ち続けるのだ。
 
その結果、凍傷になりかかり、熱を出して自宅で寝込んでしまうディ。
 
母親の反対を振り切り、そんな体で、吹雪の中を町まで歩いて行くのだ。
 
その無理が祟(たた)って、ディは雪の路傍で倒れてしまう。
 
「村長とシアさんが馬車で連れ帰った。村長の話では、母の手は氷のように冷たく、毛皮で包んでも温まらなかった」(モノローグ)
 
しかし、奇跡が起こる。
 
2日間、寝込んだディの耳に、学校で授業をするチャンユーの弾んだ声が聞こえてきた。
 
約束の日から遅れたものの、チャンユーは無事に帰村したのだ。
 
帰村するや、ディの家を訪れ、一晩中、チャンユーはディの枕元に座っていたのである。
 
その話を母から耳にしたディは、矢も盾もたまらず、癒えぬ体で学校まで走っていく。
 
学校には多くの村人が集まっていて、再会を果たす二人。
 
残念ながら、この奇跡は一過的なものでしかなかった。
 
「夕方、父は町に連れ戻された。無断で帰ったのだ。母のことを聞いて、我慢できなくなったらしい。この一件のせいで、二人はその後2年、会えなかった。二人がついに再会を果たした日、母は父の好きな赤い服を着て、道で待っていた。以来、父は母のそばを離れなかった。これが父母の物語だ。二人は、この道で出会い、愛し合った。村と町をつなぐありふれた山道。必死の思いで待ち続けたこの道を、母は最後に父と辿り着いたのだろう」(モノローグ)
 
以上が、ユーシェンによって語られた、尊敬する父と母の物語である。
 
映像は一転して、モノクロで提示される現在のシーンを描き出す。
 
母の思いを汲み取り、生まれ故郷の三合屯まで担いでいきたいと決意したユーシェンは、隣村から人を雇ってでも実現したいと、村長と掛け合い、約36人分の雇い賃5000元 を支払った結果、昔の教え子100人が噂を聞いて、村外から集まって来たのである。
 
そればかりではない。
 
その100人は雇い賃を受け取らなかったのである。
 
教育熱心なチャンユーの人柄を想起させるエピソードである。
 
彼らは三合屯までの長い距離を、夜を徹して歩き続けるのだ。
 
「母の希望で、父は表井戸の脇に葬られた。村には水道が引かれ、水を汲む人はいない。ここなら父は、毎日、学校を眺められる。将来、自分もここにと、母は言った」(モノローグ)
 
村人たちの寄付で新しい校舎が建てられることになり、旧舎との別れをする母と息子。
 
ラストシーン。
 
師範学校を出たのにビジネスマンになったユーシェンに、一科目でも授業をして欲しいという母の願望に、息子は応えていく。
 
まるで、生き返った父が授業をするかの如く、生徒に朗読するユーシェンがそこにいた。
 
最初の日に父が作り、父が読んだ文章を朗読するのだ。
 
チャンユーと化したユーシェンの朗読に誘(いざな)われて、少女の日々を追い駆け、学校へ向って歩き出す
 
すべては、そんな母と、教育者の人生を全うした父のためだった。
 
それは、三合屯からたった一人、大学に行ったユーシェンにとって、せめてもの恩返しの気持ちだったのだろう。
 
 
 
人生論的映画評論・続初恋のきた道(‘99) チャン・イーモウ <「再構成的想起」による完全無欠な純愛映画>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/03/99.html