心の風景・「『感情』が人間を支配する」

イメージ 11  感情とは何か
 
 
 
私たちは普段、様々な感情経験をしているが、現代人にとって、感情は目的遂行の弊害となったり、事態を抑制できずに悪化させたりなど、どちらかと言えば、ネガティブなイメージを持たれやすい。
 
このことは、日常的に活用するインターネットでの議論の中で目立つ過剰な感情表出や、短絡的な原因帰属による決めつけ、根拠の希薄な主観的な物言い、更に、留まることを知らない「サイバーカスケード」(ネット上における異端狩り)に接する経験を想起すれば瞭然とするだろう。
 
敢えて感情的に書けば、その感情の過剰投入によるクリティカル・シンキングと理性的行動の欠如に反吐が出るほどだ。
 
然るに、ネガティブなイメージを持たれやすい感情を機能面でみると、学術的には、感情が人間の行動や生活に対して妨害的に作用していると考える立場の「感情有害説」よりも、感情が人間の行動や生活に役立っていると考える「感情有用説」の立場の方が優勢になっている。
 
感情に起因する人間関係や社会生活上のトラブルを思い起こす時、末梢的なものから重大事案に至るまで、「ヒューリスティクス」(直感・経験則)によるエラーが様々な損失を惹起させているのは事実である。
 
誰もが経験する不安感情や抑うつ気分で、事態の適切な処理が十全に遂行できないケース(SQ=社会的適応能力の資質に関与)や、感情抑制能力(EQ=心の知能指数)の致命的不足によって凶悪犯罪に発展する事例などである。
 
しかしながら、そうした弊害をもたらす妨害因と思われていた感情のメカニズムが、むしろ、人間の環境への適応において必要不可欠であり、自己保存にとって重要な役割を果たしていることが分ってきたのである。
 
それだけではない。
 
非合理的と思われていた感情が「認知プロセス」(対象を判断・解釈・記憶処理する過程)に影響を与えることで、人間は合理的に判断して支障なく日常生活を送っているというのだ。
 
こうした感情の機能に対して、「感情有用説」は「感情が生物学的生存または社会的生存に関係する様々な課題を解決し、個人の生存と集団生活の維持・促進に役立っている」と仮定している。
 
この「感情有用説」は、脳神経科学や感情の進化論など、近年の感情研究の成果である。
 
例えば、感情を生み出す脳のメカニズムを解明した神経科学分野では、その脳の部位の致命的損傷によって、本来、回避すべき危険な対象に近接したり、将来の予測や決断が困難になったりするという事例を報告している。
 
これは、感情の機能が、人間の自己保存や認知活動と相関していることを示す事例であると言っていい。
 
また、心理メカニズムが生物学的適応であると仮定する研究アプローチ・「進化心理学」では、喜び・怒り・恐怖といった感情は、長い生物進化の自然選択によってプログラミングされたものであり、人類が生き延びるための生存のメカニズムの本質として発達してきたと仮定している。
 
感情はまさに、人間の「生物学的生存」と「社会的生存」に関わる課題を解決するために、環境と相互作用しながら進化させてきたと言えるのである。
 
未だ、進化の途上にある感情が、人間を人間たらしめる脳を進化させてきたのだ。
 
では、感情とは、一体、何か。
 
「人が心的過程の中で行う様々な情報処理のうちで、人、物、出来事、環境について行う評価的な反応」
 
感情とは「評価的な反応」であるという、アメリカの認知心理学者・オートニーの説得力のある定義である。
 
ここで言う「評価」とは「対象を、良い―悪い、危険―安全、有用―有害、好き―嫌い、などの軸に位置づけ、認識すること」であり、「反応」とは「対象による脳や神経、身体器官の作用から、潜在的な行動の準備状態の形成、顕在的な表情や行動の表出、主観的な心的体験まで、広い範囲を含む」とされる。
 
要するに、「感情とは、自分自身も含めてあらゆる対象について、それが良いものか悪いものかを評価したときに人間に生じる状態の総体」であるということだ。
 
ここで抑えておきたいのは、情動(emotion)と感情(affection)を、厳密に区別する必要がないということである。
 
情動は脳が刺激を検出した際に誘発される、自動的で無意識的な行動・認知反応であるのに対して、感情は情動反応の意識的知覚であると捉えるのが正確さの度合いが高いとも言える。
 
この認識のもとに言えば、ダーウィン進化論に淵源(えんげん)する、ヒトの生存戦略のメカニズムとして重要な機能を有する基本情動(basicemotion)とは、怒り・恐れ・悲しみ・喜びなど、進化のプロセスで生得的にプログラミングされた感情群を意味する。
 
「感情心理学」(ナカニシヤ出版)の著者であるキャロル・イザード(米国の社会心理学者)は、興味・関心、愉快・喜び、驚き・驚愕、悲しみ、失望、怒り、嫌悪、不快・苦痛などの8つの基本情動の表出を挙げ、生後7~8か月齢のうちに完成するとした。
 
以上の情動反応を誘発する重要な脳の部位は、大脳辺縁系の一部である「扁桃体」(アーモンドの形)である。
 
扁桃体」によって誘発された情動反応は、環境に適応するために、前頭皮質によって適切に制御されるが、以下、側頭葉に左右一つずつある「扁桃体」という、この小さな器官の至要たる機能を説明したい。
 
対象が危険か有害か、良いか悪いかなどの評価的判断をして、行動の準備に必要な生理的反応を指令するという、生物の生存にとって重要な働きを担っているからである。
 
扁桃体は脳の警報装置の役目を果たしていて、脅威にさらされるとき、生き残るうえで役に立つ精神状態を作りだす。扁桃体のある部分を刺激すると、典型的な恐怖反応、つまりパニックになって逃げだしたい感情が生まれる。別の部分を刺激すると、『ふんわりした温かい感じ』になって、なれなれしい行動が見られる(懐柔)。さらに、怒りが噴出する第三の部分もある。逃走、闘争、懐柔という三大生きのこり戦略を引き起こすメカニズムが、小さな組織ひとつにまとまっているのは、戦略間ですばやい切りかえを行うためである」
 
これは、「新・脳と心の地形図」(リタ・カーター著、藤井留美訳、養老孟司監修/原書房)の一節であるが、危機に直面したときの「扁桃体」の役割の重要性が分るだろう。
 
ここで注意すべき点は、「扁桃体」は「非意識過程」(後述)のうちに情動的刺激を検出して処理するだけなく、フロイト流の無意識下でも、評価を伴う心的事象を記憶し、それを蓄積させているということだ。
 
しかも、無意識の記憶は非常に強力で、それを意識的に取り除くのは難しいとされている。
 
特に強いストレスを受けているときは、ストレス下で放出されるホルモンや、神経伝達物質が「扁桃体」の興奮をさらに高めるため、無意識の記憶は形成されやすく、且つ、意識的な記憶の処理にも影響を与えるのである。
 
例えば、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の状態では、「扁桃体」に焼き付けられた無意識の記憶が、その原因となった特定の体験との繋がりを持たずに、突然、襲いかかってきて、怒涛の勢いで押し寄せてくるので厄介なのだ。
 
私たちがストレスを溜めて大脳皮質の機能が低下しているとき、しばしば感情のコントロールが上手くいかなくなるのは、「扁桃体」の指令に押し切られてしまっているからである。
 
継続的に恐怖の情動刺激に晒されることで、実際の情動的刺激がなくても、過敏に反応してしまう「恐怖症」(特定の対象に対して、心理学的・生理学的に異常な恐怖を感じる症状)を発症する現象にも、「扁桃体」の記憶が関わっている。
 
 
 
人間が恐怖を感じることが、如何に重要なことか。
 
扁桃体」が機能しなくなると恐怖を感じることができなくなり、無鉄砲な行動をとってしまうようになる事態を想定すれば自明の理であるだろう。
 
そればかりではない。
 
扁桃体」は、特定他者との友好的な関係性を構築するために、相手の感情状態や意図を知る手がかりとなる、顔の表情を情動的刺激として検出する社会的評価も行っているのだ。
 
これは、友好的な他者を選んで近づいたり、害をもたらす可能性のある他者から遠ざかったりするための社会的能力の一つである。
 
後者が過剰に反応すれば、潜在的な偏見や差別感情を生み出すことにも繋がるのも事実。
 
例えば、白人に黒人の顔写真を見せると、「扁桃体」の活動が高まることが報告されている。
 
私たちは理屈では差別が悪いことだと理解していても、残念ながら、潜在意識レベルの否定的な構えをコントロールできないのである。
 
以上、「扁桃体」について縷々(るる)述べたが、怒りや恐れ、嫌悪や驚きといった情動だけではなく、恥や道徳的怒りなどの「複合的感情」の存在もまた、気の遠くなるような時間を経て、私たちが進化的に手に入れた財産である。
 
言葉以前のコミュニケーション手段として進化したこの「複合的感情」は、人類の社会的関係を支えるための極めて重要な役割を持つが、個体間の社会的関係を調整する役割を獲得することで、今度はそれをコントロールする必要が発生し、より複雑な感情状態を作り出すに至ったと考えられるからである。
 
総括的に言えば、「扁桃体」の自動的で鋭敏な情動反応と前頭前野による制御のメカニズムによって、複雑な感情状態を調整しつつ、生物学的、且つ、社会的に適応を果たしている様態は、私たちの感情が、生存戦略のメカニズムとして決定的に機能していることに他ならないということである。
 
人間は複雑なのだ。
 
生成の過程で「認知系」と「情動系」が混じり合っていて、これが複雑な感情状態を知覚し、意識=「心の働き」が捉える。
 
「情動的刺激」が「非意識過程」で処理され、身体が反応する。
 
現代心理学において、「非意識過程」とは、深層化に眠る意識であるフロイトの「無意識」と異なって、意識外で生じている身体的・認知的・行動的プロセスを説明する概念であるが、ここで重要なのは、「非意識過程」が、どこまでも、自分では意識することができない「プロセス」=「過程」であるということである。
 
しかし、この「非意識過程」での処理こそ、人間の生存戦略のコアにある。
 
人間の複雑さへの理解は、浅薄な思弁的解釈の範疇を越えているのである。
 
 
 
心の風景・「『感情』が人間を支配する」より抜粋http://www.freezilx2g.com/2016/03/blog-post.html