大統領の執事の涙(‘13) リー・ダニエルズ<「黒人の家畜化」を拒絶する父と子 ―― その復元の物語>

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1  同胞たちとの距離を感じつつも、威厳ある振る舞いによって人種間の壁を崩す戦士
 
 
   
【本作は公民権運動を背景に描いているので、公民権運動の流れについては3で後述します】
 
  
“闇は、闇を追い払えない。  闇を払うのは光だけ”

 
冒頭から、「ストレンジフルーツ」(黒人を縛り首にして木に吊るすリンチ)の画像が提示されて、キング牧師の名言が映し出される。
 
ここから、映画の主人公・セシル・ゲインズの回想シーンが開かれていく。
 
 1926年、ジョージア州メーコン。
  
「幼い頃から、綿花を摘んできた。きつい労働だ。仕事はきつくても、親父といられた」
  
家族で綿花採りをしていると、「小屋で仕事だ」と、足に障害を持つ一人の白人管理人(地主の息子)に母親が連れられて行く。
 
父親の制止を聞かず、追い駆けるセシル。
  
セシルの父親が妻をレイプした地主の息子に射殺されたのは、父親が抗議の姿勢を見せたからだった。
  
尊敬する父親を喪って、衝撃を受けるセシルを救ったのは、その綿花プランテーションの女性地主・アナベス。
 
地主の屋敷で執事=ハウスニガー(黒人給仕の蔑称)の仕事を得るが、母親をレイプした地主の息子に対する恐怖から、精神を破綻した母親を残し、農園を去っていくセシル。
  
「外の世界は、農園よりひどかった。仕事も食べる物も、寝る場所すらない。白人は黒人を殺しても罰せられなかった」(モノローグ)
 
店のガラスを割り、喰い物を貪っている時に、ここでもセシルが救われる。
 
 救ったのは執事の黒人。
 
 その黒人の推薦で、ワシントンDCのホテルの執事で働くセシル。
  
1957年だった。
 
 「私は政治というものに、興味がございません」
 
 白人客に尋ねられたときのセシルの答えであるが、この時点で、既に、セシルはメイドだったグロリアという名の妻と、2人の息子を持っていた。
  
公民権運動に高い関心を持っていた長男のルイスは、思春期反抗の兆しを見せていた。
 
まもなく、ホワイトハウスの事務主任・ウォーナーに見込まれたセシルが、ホワイトハウスの執事に昇進する。
 
アイゼンハワー政権下のホワイトハウスでは、「リトルロック高校事件」での州兵の派遣についての議論が交わされていた。
 
派遣に消極的なアイゼンハワーが、陸軍の派遣を決定する大統領令を発令した。
 
「大統領の英断だった。初めて白人が、黒人を守るために動いた。大統領は世の中を変えてくれる。息子も分ってくれるだろう」
  
その時のセシルの言葉である。
 
父を保守的であると決めつけるルイスとの関係が、政治的文脈の中で、今や、その確執が目立ち始めていたのである。
 
そのルイスが、テネシーのフィスク大に入学するに至る。
 
1960年、ルイスはフィスク大において、「シットイン」の活動に参加し、白人からの暴力を受け、逮捕されるのだ。
 
そのテレビ放送を、ワシントンDCで観ていたセシルは心を痛めるばかり。
 
裁判所の廊下で、父と子の激しい衝突が、遂に、折り合いがつかない状況を顕在化させていた。
 
 何もできずに、嗚咽するだけのグロリア。
  
1961年、ケネディ政権が発足する。
  
共和党リチャード・ニクソンとの激戦の結果、わずかな票差で破った43歳の大統領である。
 
 アラバマに向かう、「フリーダム・ライダーズ」の活動に参加したルイスのバスがKKKに襲われ、ミシシッピーで拘束されたのは、この直後だった。
  
「これがアメリカか?」
 
フリーダム・バスの事件をテレビで観ていた、ジョン・F・ケネディ大統領の言葉である。
 
「私は黒人の苦難を分っていなかった。デモを見るまで。弟は彼らの姿を見て、考えが変わったと。私もだ」
 
 これも、セシルに吐露したケネディの言葉。
  
ここで言う「弟」とは、ケネディ政権下で司法長官を務めたロバート・ケネディ(68年に暗殺)のこと。
 
そのケネディ大統領がテレビを通して、大統領執務室から国民に訴えかけ、公民権法案を提案するが、その直後の映像は、テキサス州ダラスで暗殺されるという衝撃的な事件が起こり、大統領を尊敬していたセシルは慟哭する。
 
1963年11月22日のことだった。(但し、ケネディ大統領暗殺事件と公民権運動との関連は全く不分明であるが、公民権法は1964年7月に制定)
 
 1964年、ケネディ政権の副大統領を務めていたリンドン・ジョンソンが大統領に昇格し、政権を引き継ぐ。
 
 この時点で、両親との「思想的確執」がピークになっていたルイスが、恋人と共に、マルコムXの講演会に参加する。
 
そんなルイスの政治的過熱化に不安を抱くグロリアは、仕事一途の夫・セシルに不満をぶつけ、妻の心情を受容したセシルはグロリアを暖かく抱擁する。
 
 一方、ベトナム戦争の泥沼化によって、トンキン湾事件(巡視中の米駆逐艦北ベトナム魚雷艇の攻撃を受けたという自作自演の事件)を機に「北爆」に踏み切り、本格介入したジョンソン政権への批判が高まっていく。
  
1968年、テネシー州メンフィス。
  
キング牧師が暗殺されるという衝撃的な事件が起こり、政治の風景が一変する。
 
「生きて帰れるか不安だった。初めて、同胞たちとの距離を感じた。変わりゆく世界に、私の居場所はあるのか?」
 
各地で発生する暴動を目の当たりにした、セシルのモノローグである。
 
キング牧師は非暴力にこだわったから殺された。これからは政治参加だ」
 
 既に、ブラックパンサーで活動しているルイスの言葉である。
 
 父子の口論のあげく、7年ぶりに戻って来たルイスは家を出て行くことになる。
 
 一方、弟のチャーリーは兄と異なった行動を選択する。
 
 「兄さんは国と闘う。俺は国のために戦う」
 
 チャーリーが「戦う」と言い切ったこの国の政権は、現在、ニクソン政権下にある。
 
 そのニクソン大統領は、キング牧師の暗殺後、急速に台頭してきているブラックパンサーへの対策に苦慮していた。
 
 「この運動を黒人の経済活動に発展させ、黒人の企業家を援助すれば?融和問題は裁判所に。黒人票を取り込めたら、次の選挙も勝てる」
 
ホワイトハウス内でのニクソン大統領の発言である。
 
 公民権運動の行方を分断化し、過激派のブラックパンサーと一線を画す戦略を採ろうとするのだ。
 
 1969年のことである。
 
 「マスコミは我々を“テロリスト”と。テロリストとは、他人を脅し、怯えさせる者だ。被害者はこっちだ。満足に道も歩けなくて、何が平和共存だ。天井が落ちても、家主は家賃を取るだけで、修理なんかしない。黒人社会を苦しめてきた。不正を正す時だ。一人殺されたら、倍にして返す」
 
ブラックパンサー党本部、オークランドでのヒューイ・ニュートンのアジである。
 
 この演説に疑問を抱くルイス。
  
明らかに、武器を持って戦うことに違和感を覚えるのだ。
 
かくて、警察との銃撃戦で、パンサー党員の多くの党員が殺害される事件が頻発する。
 
 そして、「俺は国のために戦う」と言い切って、ベトナム戦争に従軍したチャーリーの戦死が伝えられ、衝撃を隠せないセシルとグロリア。
 
「時が過ぎても、胸の痛みは去らなかった。ルイスとは絶縁状態だった」(セシルのモノローグ)
 
 1974年、第二期ニクソン政権下で、ニクソン大統領は、民主党本部盗聴侵入事件に端を発する、ウォーターゲート事件で辞任するに至る。
 
次々に変わる大統領。
 
 フォード政権からカーター政権へ。
 
 そんな中で、有色人種の失業率を下げるというスローガンを掲げ、パンサー党から離れたルイスは、民主党から下院議員選挙に出馬するが、あえなく落選する。
  
1986年、レーガン共和党政権が誕生する。
 
 年老いたセシルは、再び、ウォーナーに待遇の改善を申し出る。
 
 「私は勤めて20年以上になりますが、その間ずっと、黒人スタッフは白人より給料が低いままです。是正をお願いしたい。何年も前に、そうすべきでした。白人と同額の給料を払っていただけなければ、私は辞めます」
 
このセシルの正当な要求に、「では、辞めたまえ」と言い切るウォーナーに、セシルは今度ばかりは引き下がらない。
  
「大統領が、この件でお話ししたいそうです」
  
低所得層に理解を示すレーガン大統領を利用したセシルの戦略は、見事に実を結ぶのだ。
 
かくて、レーガン夫人の要請で、華やかな公式晩餐会に、夫婦ともども招待されるに至る。
 
 セシルにとって、ここまでの地位に上り詰めた男の誇りよりも、違和感を覚える気分の方が大きかった。
 
 ルイスたちの運動について記した本を手に取り、息子を受け入れる心境に達するセシルは、仕事に対する熱意を失っていく。
 
 妻と共に、故郷に戻るセシル。
 
 意を決して、セシルはレーガン大統領に辞職を申し出る。
  
「君は最高の執事だ。家族同然だよ。君は国のために尽くしてくれた」
  
レーガン大統領からの言葉である。
 
感謝の思いを伝えるセシル。
  
その直後のセシルの行動は、今や、ルイスとの心理的・政治的距離を埋めつつあった、元老執事の直截(ちょくせつ)な思いを具現するものだった。
 
人権法案を潰し、南アのアパルトヘイト政策を支持するレーガン政権を、強烈に非難するルイスに会いに行くセシル。
 
 父を目視し、自ら近寄っていくルイス。
 
 「何しに?」とルイス。
 
「デモに参加しようと…」
 
 言葉を噛みしめながら、自分の意志を息子に伝える父。
  
「仕事をなくすよ」
 
「お前を失った。すまなかった…許してくれ」
  
抱擁し合う二人。
 
 父と子の関係が復元された瞬間だった。
 
 2008年。
 
「グロリアと私は、毎晩、投票所を見に行った。我らのバラク・オバマに投票する場所を、ただ、微笑んで眺めていた」(モノローグ。)
 
 今や、ルイスは議員になっていたが、何十年もの間、連れ添ったグロリアは逝ってしまった。
 
そんな中で、父子が支援する47歳のオバマが次期大統領に当選する。
 
 オバマ大統領の演説をテレビで観て、涙を流すセシル。
  
ラストシーン。
  
ホワイトハウスに招かれたセシルは、オバマ大統領に会いに行くのだ。
 
 公民権運動を闘った勇気ある人々に捧ぐ」
 
 このキャプションがエンドロールとなって、民主党支持者が占有するハリウッドのリベラル派を結集した映画が閉じていく。
 
 
 
人生論的映画評論・続大統領の執事の涙(‘13) リー・ダニエルズ「黒人の家畜化」を拒絶する父と子 ―― その復元の物語)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/04/13.html