きみはいい子(‘14) 呉美保 <揚げパンを届けるために疾走する新米教師、或いは、トイレに隠れ込む母が負う荷が降ろされるとき>

イメージ 1
酒井家のしあわせ」、オカンの嫁入り」、「そこのみにて光輝く」、そして本作の「きみはいい子」と4作観てきたが、全て一級品である。
 
いつもながら、呉美保監督の抜きん出た演出力は、ここでも圧巻だった。
 
高良健吾尾野真千子。共に素晴らしい。
 
特に高良健吾。彼の代表作の一本になるだろう。
 
「そこのみにて」に続いて、池脇千鶴は「全身プロフェッショナル」の女優の凄みを見せてくれた。
 
本作では、包括的に収斂されていくメッセージのうちに、その一つ一つが深刻なテーマを盛り込み過ぎた感を否めないが、私はそれを、観る者への問題提起として受け止めたいと考える。
 
以下、三つの話が同時進行しつつも、交叉しない物語の批評含みの梗概と、提示されたテーマへの私的見解。
 
 
 
1  交叉しない物語の批評含みの梗概
 
 
 
    揚げパンを届けるために疾走する新米教師
 


ピンポンダッシュで近所中に迷惑をかける生徒たちの後始末のために、岡野匡(ただし/以下、岡野)は走り回っていた。

 
各家庭を回り、謝罪し続けた直後のシーンは、今度は、一人の生徒(小野君)のお漏らしで生徒が騒ぎ、殆ど授業にならずに、終了のチャイムを迎えるに至る。
 
桜ヶ丘小学校4年2組を受け持つ岡野は、この一件によって、新任教師の無力感を味わわされるのだ。
 
お漏らしした生徒の母親から、抗議の電話を受けたからである。
 
「どうして保健室に連れて行ってくれなかったんですか」

「でも、もう4年生ですし…」
「4年生になって、おしっこ漏らす方が悪いって言いたいんですか!」

結局、学年主任に代わってもらい、自分で事態を処理できない惨めさを味わうばかりだった。
 
恋人のアパートに寄り、その恋人に愚痴を漏らすが、全く相手にされない始末。
 
お漏らしした小野君の母親の要請で、授業中にトイレに行ってもいいと教室で宣言したばかりに、他の生徒たちまでトイレに行きたいと言い出し、いったん許可をすると、次々に申し出が続出して収拾がつかなくなってしまった。
 
「嘘をつくな!」
 
岡野が生徒たちを強く諫(いさ)めると、煽動する中心人物である大熊君に向かって、小野君が怒りをぶちまけ、ランドセルを投げつけた。
 
それに対し、小野君への「謝れコール」が連呼され、クラス中が騒然とする。
 
あらん限りの大声で制止する岡野。
 
教師としての権威を持ち得ないで悩む若者のこの叫びが、何とか、生徒たちを静まらせるに至った。
 
まさに、学級崩壊の様相を呈しているのだ。
 
学級崩壊の渦中にあっても、騒ぎに入らない何人かの生徒たちがいた。
 
その一人が、いつも一人で、鉄棒にぶら下がっている神田君である。
 
「パチンコをやるか、寝ているだけ」(神田君の言葉)の生活を送る継父を持ち、その継父から、「5時まで帰って来るな」と言われているので、鉄棒にぶら下がって、児童期中期の「遊びの時間」を繋いでいるのである。
 
「僕が悪いんだ。ママもそう言うよ。ウチにはサンタさんが来ないんだ。僕が悪い子だから。どうしたら、いい子になれるのかな?」
 
返答しようもないその言葉を受けた岡野は、「先生になって良かったと思うのは、給食で揚げパンが食べられるからなんだ」と反応し、「僕も揚げパンが好き」という神田君の笑顔を上手に引き出した。
 
弾丸の雨の中で、神田君の笑みを引き出したことで、岡野は神田君を送っていくことになる。
 
しかし、神田君の家の前に継父が待っていて、その継父に向かって、「ゆうた君、ごはん食べてますか?」と口に出したことで、継父を激怒させ、その挙句、神田君は虐待の憂き目に遭う。
 
この少年もまた、児童虐待の日常的被害に遭っていたのである。
 
その虐待の日常を目の当たりにする新米教師。
 
明らかに、想像力の稜線を伸ばし切れない新米教師の判断ミスである。
 
「正義」の使い方を間違えると、時として、援助対象の傷口を広げてしまうのである。
 
しかし、このケースでは、パックリと開かれた傷口が決定的に広がっていく思春期に突入する前に、恐らく、今まで出会ったことがないであろう「大人」の存在に触れたことで、ほんの少しだが、この少年の中枢に、暖かい風が吹き込んで来たというイメージを想像させる何かがあった。
 
その神田君を保健室に呼び、虐待の有無を問う養護教諭に、神田君は小さく否定する。
 
学級崩壊・虐め・児童虐待が氾濫する教室の中で、決して、一線を越えない範疇で合理的に対処する先輩教諭と切れ、ここでも置き去りにされるのは岡野だけだった。
 
すっかり疲弊し切った岡野に、「命の息吹」を吹き込んだのは、岡野の甥だった。
 
「頑張って、頑張って」
 
岡野の姉に促された甥が、岡野の身体に抱きつき、繰り返し、そう言うのだ。
 
「私があの子に優しくすれば、あの子も他人に優しくしてくれるの。だから、子供を可愛がれば世界が平和になるわけ」
 
岡野の姉の言葉だが、明らかに、この映画の肝となるメッセージである。
 
だから、この日だけは違っていた。
 
いつものように、学級崩壊の惨状を呈する岡野の教室で、岡野は奇妙な宿題を出す。
 
「家族に抱きしめられてくること」
 
当然、生徒の反応は反発一色だった。
 
「絶対、やってきます!」
 
友達のいない神田君に岡野が尋ねたときに、きっぱりと言い切った神田君の反応である。
 
宿題報告の、その翌日がやってきた。
 
意外にも、学級崩壊の中心児童の大熊君が、母親に抱きしめられた事実がバレて、クラスの雰囲気は一気に明るくなった。
 
そして、揚げパンを食べている岡野の給食風景が映し出された後、岡野は大宮(陽子の夫)が担当する特別支援学級に顔を出し、そこで展開される明るい雰囲気を視認する。
 
そこには、毎朝、一人暮らしの老婆・佐々木あきこに挨拶をして登校する自閉症の弘也と、その息子を見守る母・和美がいた。
 
その脚で校庭に出て、鉄棒の付近を見つめる岡野。
 
そこに、神田君はいなかった。
 
学校の時計は5時を指していた。
 
揚げパンをカバンの中に入れた岡野にとって、その日、登校して来ない神田君のことが気になってならないのだ。
 
躊躇(ちゅうちょ)なく、岡野は走り出していった。
 
彼は最初から、登校して来ない神田君の家に行く意思を固めていたのである。
 
自分が出した宿題の重さに気づき、彼には今や、一人の児童のことしか脳裏にない。
 
だから、岡野は走り出した。
 
揚げパンを届けるという名目で。
 
桜吹雪の舞う中で、疾走し切って辿り着いた神田君のアパート。
 
粗い息を吐きながら、その息が途切れるまもなく、玄関の戸を叩く岡野。
 
情緒過多に流れ込まないで寸止めした、見事なラストカットである。
 
  

人生論的映画評論・続/きみはいい子(‘14) 呉美保 <揚げパンを届けるために疾走する新米教師、或いは、トイレに隠れ込む母が負う荷が降ろされるとき> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/04/14_26.html