1 「私たちは、神に頼らず、自力でここまで来た!助けは請わない。だから邪魔するな!」 ―― 物語の簡単な粗筋
大晦日の夜。
豪華客船が航海の途中、多くの客が乗り合わせていた渦中に巨大な津波が押し寄せ、豪華客船は一瞬にして転覆してしまう。
パニック状態に陥った乗客たちの中で、たまたま乗り合わせていた牧師・スコットが、警察官のロゴとの意見の食い違いを乗り越え、生き残った乗客たちを脱出へと導いていくが、それでも次々に犠牲者を出す極限状態の中で、牧師・スコットの怒りは神に向かうのだ。
「まだ足りないのか!私たちは、神に頼らず、自力でここまで来た!助けは請わない。だから邪魔するな!何人、生贄が欲しいんだ!」
スチーム・パイプ(蒸気管)の破裂で、辺り一面に蒸気が蔓延し、殆ど〈生〉と〈死〉のボーダーが見えない極限状態下で、激しい情動を炸裂させる一人の牧師が、そこにいる。
スチームパイプのバルブに全身を預け、必死に蒸気を止める牧師・スコット。
しかし、力尽きて、スコットもまた、火炎の中に落下し、あえなく、命を落としてしまう。
かくて、スコットに代わった新しいリーダーとなったロゴが、今や、6人になってしまった生存者の先頭に立ち、艱難な歩みを結んでいく。
遂に、一行はプロペラシャフトを抜け、船底に辿り着く。
船尾軸路だから鉄板が薄いので、ここが、船の最後尾にあたるのだ。
船外から、船の鉄板を叩く音が聞こえたのは、この時だった。
ロゴは、船底の鉄板を、繰り返し叩き続ける。
諦めずに叩き続けた結果、船外から、明らかに、呼応する機械音が聞こえた。
船底の鉄板が、ガスバーナーで焼き切られていく状況を目の当たりにして、6人の生存者の表情から、言葉にならない喜びと、そして、大切なパートナーを喪った思いが交叉する複雑な感情が滲み出ていた。
艱難辛苦(かんなんしんく)の果てに辿り着き、今、僅か6人の生還者たちは、ヘリコプターで救助され、大空へと舞い上がっていく。
ラストシーンである。
2 人生は自助努力半分、あとは「運・不運」の問題である
水蒸気爆発に起因する、2014年の「御嶽山噴火」に典型的に見られるように、全く予期し得ない状態の中で、 極限状態にインボルブされた者の命の保証が、単に、「運・不運」の問題でしかないこと。
そして、運良く命を拾った者たちが、なお、命を繋いでいく可能性もまた、「運・不運」の問題に委ねざるを得ないということ。
この把握が、私の問題意識のコアにある。
しかし、そればかりではない。
命を拾った者たちが、刻々と迫ってくる死のリスクの高まりの渦中にあって、そのリスクを軽減させる余地があったということ ―― これが決定的に重要だった。
そこに、人間の能力の介入の余地が拾えるからである。
自分たちが置かれた極限状態の渦中で、合理的に判断し、その判断に基づいて果敢に行動するという、自助努力の可能性が残されていたこと ―― これが、何より大きかった。
彼らの果敢な行動を保証するのは、「絶対に命を繋ぐ」という気力の一点である。
心の風景 人生は自助努力半分、あとは「運・不運」の問題である よりhttp://www.freezilx2g.com/2017/05/blog-post_25.html