「共食文化」の包括力

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私たち人類の祖先は、相互の信頼関係を強化するために、食料分配という行為を利用し、仲間同士の親睦を深めていった。
 
そこで構築された多様な協力体制が、集団の堅固な関係を作り上げる基礎的役割を果たしたと言っていい。
 
「食料分配」という巧みな戦略は、そこに集合する人々の感情を柔和にし、不必要な軋轢(あつれき)を浄化する高度な機能を発現したのである。
 
このような文化の累加によって、エゴイズムを極力、抑制し得る集団倫理を確保するに至った。
 
即ち、自己基準ではなく、相手の立場に立って考える「客観的・公共的リアリズム」(注)の思考を身につけていく能力を形成することで、相手に対する思いやりの感情を自然裡に育んでいったのである。
 
家族が共存する時間が相対的に減少し、「孤食」・「個食」・「固食・同じものばかり食べる」・「小食」など、「ニワトリ症候群」と言われる現代の先進国社会においても、辛うじて、家族が一堂に介するスポットは「食卓」以外にないだろう。
 
元気のない母にご飯を作ってあげることによって、相手に対する思いやりの感情を具現化する。
 
言わずもがな、それこそが「共食」の醍醐味であると言っているのだ。
 
私たちは、家族内で「共食」することによって、現代家族の決定的な心理的推進力である、「情緒的集合体」を内部強化していくという風景を、未だ完全に遺棄したわけではない。
 
私たちが、気が遠くなるほどの長い時間をかけて形成してきた「共食文化」は、1969年に、ペンタゴンと大学、研究機関の合同プロジェクトによって開かれたARPANET(アーパネット)をルーツとする、高度なインターネット文化の黄金時代にあっても、どうやら、簡単に安楽死していないようである。
 

心の風景  「『共食文化』の包括力」よりhttp://www.freezilx2g.com/2018/01/blog-post_4.html