劣等コンプレックスを乗り越えた国王 ―― その「攻撃的大義」への果敢なる飛翔

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1  「吃音症」は「吃音⇒緊張⇒吃音症状の増幅」という負の連鎖が常態化する言語障害である
 
 
知力・言語能力が保持されながら、流暢(りゅうちょう)に「発話」ができない吃音(きつおん)「吃音回避」のために膝を叩いたり、口を歪めて「発話」したりするので、身体の動きがぎこちなくなる「随伴運動」(吃音の中核症状)を必至にする。
 
吃音を特段に意識していないが故に「随伴運動」が起こりにくく、目立った不安・緊張感も見られない「小児吃音」の時期における早期治療によって、吃音は殆ど治癒(ちゆ)するが、吃音を意識する成人期の場合、吃音症状が条件反射付けられ、定着していくので、その「吃音回避」のために、不安・緊張・恐怖の感情が内面を覆い尽くし、しばしば、胸が締め付けられるようなストレスが累加(るいか)されてしまう。
 
周囲の視線に過剰に反応することで不安・緊張感が増し、「発話」に際し、不必要なまでにプレッシャーを背負い込み、「吃音⇒緊張⇒吃音症状の増幅」という負の連鎖が常態化するのである
 
ただ、緊張していなくても吃音症状が表れる事実から、現代医学では、精神的な要因が吃音のルーツとされていないのが実状である。
 
近年、原因遺伝子が特定されたと言われる遺伝学的アプローチも無視できないが、脳科学的アプローチによって「脳機能障害」であるという仮説もある。
 
「発達性吃音」と「獲得性吃音」に分類される吃音の9割は前者で、5%程度の発症率で、幼児期(2~5歳)の男児(男女比は4:1)に発症するという特徴を持つが、それ以上のことは今でも不分明である。
 
また、2種類に分けられる「獲得性吃音」は、神経学的疾患・脳損傷・ストレス・外傷体験があり、発症時期は10代後半の青年期以降と言われ、本来の吃音とは異なるとされる。
本来の吃音は、複数性の「要因」としての、心理的要因・先天的要因・脳科学的要因・環境要因の4つが考えられながらも、吃音の科学的で、明瞭で特定的な単数の「原因」が不明であるため、最も有効で決定的な治療法がないというシビアな現実 ―― これが、吃音に悩む人々の寄る辺なき精神的風景の裸形の様態である。
 
このとき、吃音は「吃音症」になる。
 
だから、米独のように、「吃音症」が「障害」として認定されるに至り、各国でも、「吃音症患者」に対する法的体制作りが求められ、焦眉の急(しょうびのきゅう)として認識されている。
 
我が国の厚労省でも、「吃音症」は「発達障害者支援法」の対象になっていて、社会保障によって守られている
 
基本的に、言語・聴覚・音声などの障害に対処する「言語聴覚士」が、スムーズに話をするための対症療法による治療を行うが、成人期には、不安・緊張・恐怖の感情と折り合をつけるのが難しいので、情動反応の処理のコア・扁桃体(感情の中枢・大脳辺縁系)にある、恐怖を消し去る「ITCニューロン」の反応が深く関与すると考えられている。
 
この「ITCニューロン」の反応が十全に機能しないために、言語障害としての「吃音症」が悪化するケースがある。
 
以下、「吃音症患者」の歴史的事例をモデルに、「特別な地位」にある「特別な男」の話に言及していきたい。
 
 
2  プレッシャーの心理学 ―― 負の連鎖の厄介な構造性
 
 
オーストリア出身の心理学者・アルフレッド・アドラー流に言えば、幼い頃から、吃音というインフェリオリティー・コンプレックス(劣等コンプレックス)で煩悶していた男がいる。
 
その男が一般市民なら、単る「私的な劣等コンプレックス」で済むが、事もあろうに、その男・アルバートは、後の英国王・ジョージ6世となる人物であったから、始末が悪かった。
 
アイルランド独立戦争」や「世界恐慌」を経験し、ナチスの台頭を目の当たりにして、英国の未来を案じる父・ジョージ5世の代理演説の際に、吃音症のために大恥をかいたことで、「吃音⇒緊張⇒吃音症状の増幅」という負の連鎖が常態化していた。
 
一つのしくじりが、いよいよ、この負の連鎖に終わりが見えなくなっていく。
 
そればかりではない。
 
歳月を経る度に欧州情勢が険悪になり、ジョージ5世の憂慮(ゆうりょ)の面持ちが顕在化する
 
自分の跡を継ぐはずの長男エドワードが政治に全く関心がないばかりか、離婚歴のある平民の米国人女性・ウォリス・シンプソンとの結婚を切望し、「王冠を賭けた恋」に脇目も振らずに直進していったために、英国王として、1年にも満たず退位してしまったのだ。
 
長男エドワードとの関係を悪化させる一方だったジョージ5世が白羽の矢を立てたのは、生真面目な性格の持ち主である次男・アルバートだった。
 
王位を継承することを期待されてなかったばかりか、深刻なトラウマを抱えるアルバートにとって、大英帝国の解体の進展中で、自国の危機に憂慮する父の思いを受け入れるのは、自らの能力の限界を遥かに超えた解決困難な途轍(とてつ)もない難題以外の何ものでもなかった。
 
それは、「白羽の矢」の本来の意味である、不得意な政治の「生贄」(いけにえ)のような気分であったに違いない。
 
ここで頑張ったのは、アルバート王子の妻エリザベス。
 
内気な性格の夫を励まし、説得して演劇俳優でもあった、オーストラリア出身の言語療法士・ライオネル・ローグのもとに通っていくことになる。
 
「ご主人を治すには、信頼と対等な立場が必要です。治療はここで行ないます。連れて来て下さい」
 
この言葉で、全てが開かれていく。
 
アルバートにも、「吃音症」のトラウマを克服しようとする思いが隠し込まれていたからこそ、この「通院」を引き受けたのだろう。
 
「生まれつき吃音の子はいない。いつから?」
 
「信頼と対等な立場」に依拠する、このライオネルのタメ口調の言葉に、ぶっきらぼうに答えるアルバート
 
「4,5歳の頃・・・普通に喋った記憶ない。原因など知るもんか。ただ吃るんだ。誰にも・・・治せない」
 
ライオネルの無作法な指導に反発するアルバートだったが、「奇跡」が起こった。
 
お世辞にも流暢(りゅうちょう)だったとは言えないが、アルバートの滑舌(かつぜつ)が成就したのである。
 
 
そのことが意味している心理的文脈は自明である。
 
即ち、大音量によって自分の朗読の語りが掻(か)き消されることで、その語りを特定的に聴き取る者が存在しない状況下では、ごく普通の会話が可能になるということを検証している。
 
それは、逆に言えば、自分のスピーチを特定的に聴き取る他者の前では、それが困難になるということ以外ではない。
 
それ故、自分のスピーチを特定的に聴き取る他者の視線が媒介されることによって、自分の思いを表現することが叶わないのである。
 
対他意識を特段に発現しない、特定他者の視線が希薄になっている状況下では、アルバートの吃音もまた希釈化されるのだ。
 
言わずもがなのことである。
 
だから彼は、二人の無邪気な娘や、夫への受容感度が高く、包容力のある妻の前では、それほど吃音障害が目立たないのである。
 
加えて、アルバートは特定他者に対して、激しい感情を噴き上げるときにも吃音障害が発現しないのだ。
 
これは、憤怒の感情が、特定他者への視線の恐怖よりも勝っているからである。
 
自然に噴き上がった憤怒の感情が、特定他者への視線を意識する「間」の形成を遮断してしまうのである。
 
然るに、憤怒の感情の情感的サポートがなければ、自分の言語表現を特定的に聴き取る他者の視線と無媒介に対峙してしまうから、その視線が鋭利になるほど、彼の吃音もまた惨(みじ)めさを極めてしまうのだ。
 
アルバート個人に関わるその現実は、彼の吃音障害が、自分の言語表現を特定的に聴き取る他者との関係の中で生まれる、緊張感の強度のレベルによって支配されていることを意味している。
 
まして、アルバート個人を囲繞(いにょう)する関係構造が、世界史的に甚大な影響を与える〈大状況〉に呑み込まれた中で、殆ど寸分の誤謬(ごびゅう)が許されない「戦争スピーチ」を義務付けられるという〈状況性〉こそ、シャイなキャラクターという、自己像に関わる鎧(よろい)の脆弱さを意識することで、必要以上に武装する彼にとって、過緊張による吃音障害の強度を最も高めてしまうということ。
 
何より、これが厄介だったのである。



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