「忘れられた被害者」 ―― ロマ人が被弾した「ポライモス」の惨状

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1  「ジプシー」と呼ばれる「劣等人種・ロマ」のルーツ
 
 
「パリの窃盗の5分の1はロマの仕業だ」
 

欧州において、「非定住者」・「怠惰者」のラベリングを貼られ、移動型民族・「ジプシー」の最大勢力である「ロマ」の集団に対する、「人権大国」フランスの、時の政権・サルコジ大統領が言い放った有名な言葉である。

 
そして実際、その数・最大200万人が住むと言われるルーマニアなどに、「自主的帰還」という名の送還を遂行する
 
ロマキャンプの撤去など、ド・ビルパン内閣時でのサルコジ内相の締め付け政策の具現化だったが、驚くべきことに、EU憲法違反であっても、フランスの世論調査では、国民の8割がこの方針を容認したという事実である。
 

一方、ロマの母国とも言えるルーマニア国内でも、ルーマニア政府がフランスの方針に反対していながら、国内には少数民族・ロマへの差別があるから、当然、彼らの基本的人権がシステムとして守られることはない。

 

思うに、1920代の独バイエルン州で、「ジプシー・浮浪者・怠惰者闘争法」が施行された歴史的経緯を見れば、欧州におけるロマに対する厳しい扱いは根が深く、彼らが「犯罪を引き起こす怠け者」という「恐怖イメージ」は、路上の物乞い・観光客相手の窃盗を常態化する集団として差別され、現状況でも根本的解決とは縁遠い。

 

そのロマの起源は一様ではないが、遺伝子研究において、都市遺跡「モヘンジョダロ」・「ハラッパー」で有名な「インダス文明」(紀元前2500年頃から紀元前1500年頃に、インダス川流域に栄えた頃に栄えた古代文明)を作った、インド先住民・ドラヴィダ人との類似性が指摘されているように、インドが起源とされる流浪の民族であるロマは、長期間にわたって、複数の集団がインドから東欧を経由し、欧州全域に移り住むようになったとされている。

 
 
 
 
欧州の歴史の中で、「アーリア人種至上主義」の名において、流浪の民族・ロマへの差別が迫害の標的になった「ジェノサイド」がある。
 
「ジェノサイド」とは、特定の人種・民族に対して、破壊的・抹消的意図をもって行われる集団殺戮のこと。
 
現在、「国際法上の犯罪であることを確認し、これを防止し、処罰する」という一文のうちに、締約国の義務(第1条)とする「ジェノサイド条約」が採択され、第2条で定義されているが、その内実は以上の解釈に収斂されるので、詳細は省く。
 
19世紀末から20世紀初頭における、オスマン帝国政府による「アルメニア人虐殺」(アルメニア人ジェノサイドで、トルコ政府は計画性・組織性を否定)や、ナチス・ドイツユダヤ人に対する「ホロコースト」が、「ジェノサイド」の典型例としてあまりに有名だが、「絶滅」という意味を含む、ロマに対するナチスの「ポライモス」も、この「ジェノサイド」の深刻な事例であると言える。
 

「ドイツ人の血と名誉を保護する為の法律」という名で、1935年に制定された「ニュルンベルク法」によって、ユダヤ人から市民権を奪ったばかりでなく、ロマは「人種に基づく国家の敵」と看做(みな)され、理不尽極まりない絶滅政策が遂行されたのである。

数十万以上の犠牲者を出しながら、その数が不明瞭である理由は、ユダヤ人に対する「ホロコースト」と比べて、記憶の保存や戦後補償などが充分に行われてこなかったからである。

 
ドイツ降伏後、連合軍はドイツに対して、人種的・宗教的などの理由で迫害された人々への補償を行うよう命令しながら、ドイツ側は、ロマを人種的な迫害の対象として認知しなかったのだ。
 
「ジプシー」への迫害理由が、彼らの「反社会的な犯罪行為」であると看做したことで、ドイツの戦争犯罪を裁く国際軍事裁判・ニュルンベルク裁判等で協議の対象にすらならなかったのである。
 
 「ビアフラ支援キャンペーン」を端緒(たんちょ)に活動が開かれた「被抑圧民族協会」(少数民族集団・先住民族などの保護)の報告によると、ロマの犠牲者はおよそ28万人と推定されるが、ナチス・ドイツによるホロコーストについての博物館・「アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館」(ワシントンD..)には、ロマと同根の少数民族集団・「シンティ・ロマ人」を含めると、最大で50万人の犠牲者数を推計し、記録されている。
 
1970年代になって、補償を求める本格的な運動が推進力になり、「ポライモス」に対する国内外で支援の動きが広がったことで補償の可能性が生まれるが、厳しい補償条件の障壁の前に申請の却下が相次ぎ、ロマ人が、今でも「忘れられた被害者」である事実は、「ドキュドラマ」(「ドキュメンタリー」「ドラマ」)の形をとった、ダニス・タノヴィッチ監督の「鉄くず拾いの物語」という映画中で、嫌と言うほど感受させられるだろう。
 

時代の風景  「 『忘れられた被害者』 ―― ロマ人が被弾した『ポライモス』の惨状 』よりhttp://zilgg.blogspot.jp/2018/05/blog-post_28.html