戦後の裏面史としての「幸福競争」の時代

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1  古いものより、少しでも新しく、その時代にジャストフィットする文化的悦楽
 
 
「映画の鬼」とも言うべき、精力的な表現作家として知られる故・新藤兼人監督の代表作の一つに、「裸の島」という傑作がある。
 
久しぶりに、台詞のない本作をじっくり鑑賞した。
 
観終わった後、私自身、どうしても、その印象を言語化したいという感懐を持ち、映画評論とは別に、短いコラムとしてまとめ上げたのが、以下の拙稿である。
 
題して、「戦後の裏面史としての『幸福競争』の時代」。
 
「裸の島」が製作された1960年という年は、日米安保条約の改定の年で、この国の戦後デモクラシーが、「反米」というスローガンの下に大きなうねりを刻んだ年だった。
 

それは、良かれ悪しかれアメリカによって守られ、維持されてきた日本の安全保障の欺瞞性を、多くの人々によって拒絶された一大ムーブメントでもあった。

  

同時にそれは、アメリカに対する日本人の根深いルサンチマン(怨念)が、当時は、まだ元気そのものであった左翼勢力の扇情的なリードに誘導されて、「同盟国家」という建前よりも、「占領国家」という屈辱的な本音を、初めて集合的に身体化した社会的現象であったとも言えるだろう。

  
然るに、この国の人々は明らかに矛盾していた。
   
幕末下での恫喝的開港から、占領支配に至るまでの対米感情に潜む屈辱感を逸早(いちはや)く封印することで、国家の安全を委託する後ろめたさを、「同盟国家」という名の下に合理化していくのに大して時間は要さなかった。
 
安全を委託することで、人々は、一途に、経済成長へとひた走ることができたのである。
   
「占領と依存」というレガシーコスト(負の遺産)の屈辱感を、意識の底層に潜在化し得る柔軟性を如何なく発揮する。
 

この国の人々の特有の国民性は、同盟国家のソフトパワーポップカルチャーに代表されるアメリカ的価値観)にインボルブされたかの如く、彼(か)の国の文化を丸ごと受容し、それを存分に愉悦する順応同化の精神の威力を、汎社会的規模で展開させていく。

  
そのような文化の溢流(いつりゅう)を保障したのは、戦後経済の我が国の激甚な推進力であった。
 
高度成長の時代の幕が劇的に開かれたのである。
     

我が国の顕著な経済成長のうねりは、均しく貧しかった時代に生きる人々の思いを、「少しでも豊かに、快適に、早く、速く、より多くの快楽を手に入れる」ための「幸福競争」へと駆り立てていったのである。

  
 
古いものより、少しでも新しく、その時代にジャストフィットする文化的悦楽を、より高度なレベルで手に入れていくこと。
 
そんな機運は、条件さえ揃えば容易に生まれてしまう国柄なのである。
 

そして、その条件が揃ったとき、人々の意識が逆巻く怒濤のうねりとなって、狭い国土を一気に席巻していくのだ。

 

ここで、「裸の島」というマスターピースとは無縁な、一篇の映画作品の興味深い会話から、そんな時代に生きる人々の思いを探っていく。

  
その作品の名は、「宗方姉妹」(1950年製作)
 
大佛次郎の原作を演出したのは、前年に「晩春」を発表して、既に、巨匠の風格を漂わせていた感のある小津安二郎
 
意に反して、「宗方姉妹」は、とうてい傑作とは評価し得ない作品だった。
 
個人の裁量で言ってしまえば、内容的には凡作と言っていい。
 
ともあれ、我が国の高度経済成長が、その緒に就く前の占領体制下で作られた作品である。
   
しかし、ここで描かれた中流家庭の姉妹の会話の中に、我が国の人々が異文化侵入に対して、殆ど無媒介なモチーフで容易に同化していく柔軟性の凄みが表われている。
   

その会話の一部を紹介する。

  
ものの考え方が古風な姉と、新しがり屋の妹が、「流行」について議論している場面がそれである。 
以下、章を変えて、その箇所を再現してみる。   
 
 
2  「本当に新しいことは、いつまでたっても古くならないことだと思ってんのよ」
 
 

議論の発端は、妹の挑発的言辞だった。

  

妹には、性格不一致の夫と忍従生活を続ける姉の、その保守性が我慢し難かった。

  
妹 「嫌い、そんな古い考え方」   
姉 「何が古いのよ」   
妹 「古いわよ。古い、古い。お姉さん、古い、古い」      
自室に戻り、タバコを吸う妹の部屋に、姉が入って来る。
妹の決めつけが許せなかったのである。   
姉 「満里ちゃん、あたしそんなに古い?ねぇ、あんたの新しいことって、どういうこと?どういうことなの?」   
妹 「お姉さん、自分では古くないと思ってらっしゃるの」   
姉 「だから、あなたに聞いているのよ」   
妹 「お姉さん、京都に行ったって、お庭見て回ったり、お寺回ったり・・・」   
姉 「それが古いことなの?それが、そんなにいけないこと?あたしは、古くならないことが新しいことだと思うのよ。本当に新しいことは、いつまでたっても古くならないことだと思ってんのよ。そうじゃないの。あんたの新しいってことは、去年流行(はや)った長いスカートが、今日は短くなることじゃないの。皆が爪を赤くすれば、自分も赤く染めなきゃ済まないってことじゃないの。明日、古くなるものだって、今日だけ新しく見えさえすればそれでいいんでしょ。あんた、それが好き?前島さん、見てごらんなさい。戦争中、先にたって特攻隊に飛び込んだ人が、今じゃそんなこと忘れて、ダンスや競輪に夢中になっているじゃないの。あれがあんたの新しいことなの?」   
妹 「だって、世の中がそうなんだもん」   
姉 「それがいいことだと思っているの?」   
妹 「しょうがないわよ。そうしなきゃ、遅れちゃうんだもの。皆に遅れたくないのよ」   
姉 「遅れたっていいじゃないの」   

妹 「嫌なの。そこがお姉さんと私が違うのよ。育った世の中が違うんだもの。あたしは、こういう風に育てられてきたの。悪いとは思ってないの」

  
―― この長い姉妹の議論は60年前の会話だが、そっくりそのまま、現代にも当て嵌まるだろう。
 
この姉妹の意見の違いは、妹が言うように、必ずしも、育った世の中の違いばかりとは言えない面もある。
 

但し、姉の考え方の方が常に少数派で、大体、若い頃は妹の考え方の方に、より多く振れるに違いない。

  
近年、特定の家を持たず、住む場所を転々とする、「アドレスホッパー」のような現象が発現しても、流行に敏感で、「御時世」さえ許せば、多くの若者は、その時々の魅力的なモードをフォローしていくはずである。
 
「同質性・均質性」が高い社会にあって、人々の物理的・心理的近接感が高い分だけ、人々の価値観は驚くほど一元的であり、最近接する特定他者との関係性のうちに個性化と差別化が図られて、一見、その無秩序な表現様態を、私たちは「多様化」という簡便な言葉で括っているに過ぎないのである。   


時代の風景「戦後の裏面史としての『幸福競争』の時代」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2019/03/blog-post_27.html