「健康」とは基本的人権である

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1  「日本」という名の、「社会主義国家」の無頓着な安寧感
 
 
日本の医療の特徴は、社会の構成員全員に医療及び、医療費補助を提供するという、「ユニバーサルヘルスケア制度」=「国民皆保険」と、自らの判断で自由に病院を選べる「フリーアクセス」にあると言っていい。
 
とりわけ、「フリーアクセス」は日本独特の仕組みで、戦後生まれの多くの日本人は、出生時から「フリーアクセス」に馴致(じゅんち)しているので、特段の違和感を抱くことがない。
 
だから、「フリーアクセス」・「国民皆保険」の有り難さが十分に浸透せず、外国のシビアな医療制度と比較することもない。
 
まさに、「日本」という名の、「社会主義国家」の無頓着な安寧感 ―― 「深刻な危機感」に届かない流動的意識が、我が国の様々なフィールドで中空を舞っている。
 
治療の重複によって、医療費の増大を招来する危うさを持つにも拘らず、同じ病気で多くの医療機関を受診する「ドクターショッピング」を可能にし、「国保」の略称して呼ばれる、「国民皆保険」の存在価値と同義で解釈される「フリーアクセス」の結果、勤務医のハードスケジュールが慢性化し、医療事故を惹起させる確率を高めていく。
 
この現象のルーツにあるのは、「医師法第19条」によって、来院した患者を断れない「応召義務」である。
 
「フリーアクセス」の是正のために設けられたのが、「初期の治療は地域の医院・診療所等(かかりつけ医)で、高度・専門医療は病院(200床以上)で行う」という、医療機関の機能分担の推進を目的として、厚生労働省により制定された制度であり、各医療機関も体制の変容に努めている。(「留萌市立病院」のHPより)
 
世界保健機関(WHO)から「世界一」と評価された我が国の医療制度は、半世紀にわたって構築された、地域社会の構成員に医療と医療費補助を提供する保健プログラムである、「ユニバーサルヘルスケア」=「国民皆保険」の結晶点において実証される。
 
この現実は、2010年3月に、「医療保険制度改革法」を成立させた「オバマケア」と酷似しているが、元々、アメリカには高齢者・障害者向けの「メディケア」があり、一般国民は民間の医療保険に加入する制度(「マネージド・ケア」)を有していて、「国民皆保険」を採用していないのである。
 
オバマケア」によって、無保険者の割合は16%から、9%ほどに減少したとされているが、医療保険への加入の義務化が難しいので、「国民皆保険」の体裁にも達していないのだ。
 
オバマケア」によって、無保険者の割合は16%から、9%ほどに減少したとされているが、医療保険への加入の義務化が難しいので、「国民皆保険」の体裁にも達していないのだ。
 
そのため、医療費の高さが障壁になり、渡航期間が3か月未満の「海外旅行保険」では、ソニー損保などのネット専用の保険加入が不可避となる。
 
医療費が払えないため、自己破産が続出するアメリカでは、「マネージド・ケア」(民間の医療ローン)を組んで治療する以外の選択肢しかないのだ。
 
我が国の場合、国民健康保険法を全面改正(1959年)し、全ての市町村に国民健康保険の設立を義務付け、日本国民全てが「公的医療保険」に加入する「国民皆保険」の制度が確立されたのが、完膚(かんぷ)なきまでに打ちのめされたアジア太平洋戦争の敗戦から、僅か6年後の1961年。
 
この「国民皆保険」の制度は、労組・医師会などの運動が沸き起こり、重症の結核患者で、社会運動家・朝日茂が起こしたことで知られる、憲法25条(「健康で文化的な最低限度の生活」)の保障を求めた「朝日茂訴訟」の影響を受け、戦後の経済復興と貧困が交錯するアナーキーな時代状況の中で、「決められたルールは守る日本人」によって一気に法制化され、日常性の中枢に入り込んでいく。


時代の風景「『健康』とは基本的人権である」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2019/03/blog-post_24.html