「皇室草創」 ―― 両陛下が、今、思いの丈を込めて始動する

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1  「人生脚本」を革命的に「再定義」した魂が打ち震えていた
 
 
有能な親から、有能な子供が生まれる。
 
必ずしも当たっているとは言えないが、教育熱心な分だけ、「オーバーケア」(過保護)の性向を否定できないが、子供の自立性を剝奪(はくだつ)する「過干渉」と切れている有能な親から、有能な子供が生まれる蓋然性(がいぜんせい)を敢えて書けば、その子供は相当の確率で有能になるだろう
 
然るに、その子供が成人して、希望の職業に就き、希望の職務を担当し、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の日々を6年間近く、不満なく継続させている渦中で、そ職務の継続が艱難(かんなん)になる不測の事態が生じたら、件(くだん)の人物の人生脚本」は、決定的な狂いを生じ、渾沌(こんとん)を極めるかも知れない。
 
破綻の危機に陥り、大幅な「脚本」の書き換えを迫られ、そのために、これまで、些少(さしょう)の修正を加えつつ、推移してきた人生の「計画」が、灰燼に帰す(かいじんにきす)かも知れないのだ。
 
ここで言う「人生脚本」とは、カナダ出身の精神科医エリック・バーン「交流分析理論」の中核的概念で、幼少期に、無意識のうちに描いた「自分の人生設計図」のこと。
 
そのエリック・バーンの「交流分析理論」を私なりに解釈すれば、人間は、両親からの影響を大きく受けながら、自らの「生脚本」に準拠し、それを自覚することなく、無意識的に書き換えながら生きていて、意識内のフィルターによって、社会との「最適適応」を具現するように、「再定義」しつつ、呼吸を繋いでいくという風に説明できる。
 
従って、両親や周囲の〈状況〉から大きな影響を受けて作られたであろう、自らの「人生脚本」が破綻の危機に陥り、そこで生まれた環境の激変呑み込まれ、「最適適応」を具現するために、それが「決意」にまで跳躍するには、革命的な「再定義」「人生脚本」を歪めて理解し直す)が内側から求められざるを得ないだろう。
 
だから悩む。
 
深く悩む。
 
 
革命的な遷移とは、「次代の皇室を担う皇太子妃」になること。
 
桁違い(けたちがい)で、途轍(とてつ)もない変容だった。
 
言うまでもなく、「人生脚本」の「再定義」を果たしたは、「皇后雅子」、即ち、当時、現役外交官の小和田雅子(おわだまさこ/以下、すべて敬称略)。
 
かくて、「バイリンガル」(二言語話者)、「トリリンガル」(三言語話者)を超えて、「マルチリンガル」(四言語以上の話者)の域に達した「皇太子妃雅子」が誕生するに至る。(注1)
 
「並外れて、有能な子供」「並外れて、有能な親」の名は、小和田恆(おわだひさし)。
国連大使・外務事務次官を務めた経歴を持つ外交官である。(因みに、事務次官とは、各省庁の官僚の最高の地位で、国務大臣を補佐)
 
教師の次男として、コシヒカリの産地として有名な、新潟県北部の中核都市・新発田市(しばたし)に生まれ、長女・雅子の「人生脚本」の起点のイミテーション(模倣)になるかのように、東京大学在学中に外交官領事官試験に合格し、外務省に入省し、入省後にケンブリッジ大学に留学する。
 
爾来(じらい)、有能な人物の常で、外務省で昇進を重ねていくが、印象深いのは、欧米の外交官からの評価が高く、その能力が世界中に知られていたこと。
 
その有能な凄腕(すごうで)ぶりは、省内で、「カミソリ小和田」という渾名(あだ名)を付けられていた。
 
その一方、Wikipediaによると、官僚たちは「有能なだけにあまりに細かいところに気がつきすぎるため、部下としては仕えにくい上司であった」と語っている。
 
ここで、社会心理学・三隅二不二(みすみじゅうじ)の有名な「理論」(リーダーシップ理論)に言及したい。
 
「PM理論」とは、集団成員が組織目的を達成するための機能を、「職務遂行機能」(P型)と「集団維持機能」(M型)に峻別(しゅんべつ)し、(P)機能と(M型)機能を組み合わせて4類型化したもので、それぞれ、PM型機能の高い順から言えば、PM型⇒Pm⇒pM型⇒pm型という順列になる。
 
これで判然とするように、(P型)機能と(M型)機能のいずれも大きいPM型が、組織目的を達成するための機能として最も高く、反対に、機能のいずれも小さいpm型が、目標達成能力が最も低いということになる。
 
以上、この「PM理論」に準拠すれば、小和田恆の場合、外務省内での「職務遂行機能」(P型)が最も高い評価を受けていたと思われる。
 
しかし、「カミソリ小和田」という微妙な渾名が示すように、省内組織での目標達成機能を考慮した時、「部下としては仕えにくい上司であった」と語った先の官僚たちの、率直な反応を受け入れれば、小和田恆をリーダーとする職務の評価は、Pm型に近いのではないだろうか。
 
良かれ悪しかれ、そんな「並外れて、有能な親」の長女雅子は、自らの「人生脚本」に導かれるように、「マルチリンガル」の「並外れて、有能な外交官」になり、昇進を重ねていく人生が予約されていた。
 
しかし、彼女の人生に、革命的な遷移(せんい)が起こった。
 
前述したように、「皇太子妃雅子」の誕生が、「並外れて、有能な外交官」の「人生脚本」の「再定義」を強いて、その人格が、「世俗世界」と乖離する「異世界」の懐(ふところ)の中枢に吸収されていく。
 
その時、「皇太子妃雅子」は、「皇室」という「異世界」の世界で求められ、国民から期待される「職務」の遂行を、PM型的イメージのうちに果たし得たか。
 
これ、切っ先鋭く、「マルチリンガル」の成人女性に問われることになったのだ。
 
「異文化衝突」が招来する様々な軋轢(あつれき)によって、随所に波風が立ち、彼女の自我がセルフコントロール能力を失い、不安定で、波乱に満ちた「非日常の日常」の日々が待機していると言い切れなかったのが、以(もっ)て言い難い、私の余情を生んだのか。
 
一切は、自らのアンビション(強い願望)が崩れた衝撃に起因す
 
それは、「並外れて、有能な外交官」・小和田雅子が、「皇太子妃雅子」に遷移した時、決定的に炙(あぶ)り出されていくのだ。
 
今や、「人生脚本」を革命的に「再定義」した魂が打ち震えていた。
 
(注1)皇室問題や論壇時事などを中心に扱うニュースサイト「論壇net」によると、「皇后雅子さまは「『5カ国語』を操り、その知性は『アラブ王族』をも魅了」したと言う。直近のニュースとして興味深いのは、初対面のメラニ夫人(トランプ夫人)に対して行ったチークキスは、チークキスの文化を有する東欧スロベニア出身の夫人の笑みを引き出し、高いレベルの外交技術を表現する新皇后に対し、「このような何気ない所作一つとっても、その振る舞いから気品や知性が溢れる出る雅子さま。この様な振る舞いは、美智子さま紀子さまでは到底できなかったでしょう。雅子さまだけが自然にできたことです。(略)日本が誇る皇后の実力」と発信した。但し、国際基準の外交技術に長(た)ける新皇后の、「人生脚本」の体現でしかない、至極(しごく)普通の表現に馴染まない日本人にとって、エリート流の「手前味噌」のパフォーマンスと見る向きもあるだろう。私は、その根柢に、「皆、同じ」という「平等信仰」を崩される事態を厭悪(えんお)する日本人の、自国に「異文化」を持ち込む「マルチリンガル」(多言語話者)への差別が伏在(ふくざい)していると考えてい


時代の風景「『皇室草創』 ―― 両陛下が、今、思いの丈を込めて始動する」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2019/07/blog-post.html