現代社会に残存する「野生環境」の「感情システム」

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1  「獲得経済」の時代から、僅か1万年のスパンでは、人間の感情は簡単に変わらない


私たちが自然を恣意的(しいてき)に加工し、破壊することで作り上げた、近代文明社会の中に呼吸を繋ぐ私たち人間が手に入れた、過剰な快楽装置と圧倒的な利便性。

そして、超絶的な合理主義の達成点とは裏腹に、どうしても、そこだけは進化が遅れる精神世界の陥穽(かんせい) ―― これはもう、為す術(すべ)がない。

「諸科学的達成の速度」に追いつけない、私たちの精神の「理性的能力の不具合感」。

全く手に負えないのだ。

思うに、「恐怖」・「逃走」・「威嚇」・「攻撃」といった「状況対処行動」が、私たちの「感情」のルーツとなったと想定されるので、「状況対処行動」という、この神業(かみわざ)の如く抜きん出た「システム」は、何億年という、膨大(ぼうだい)な時の波を潜(くぐ)って、動物の種の進化と共に進化してきた。

元より、感情の進化は、約500万~700万年前に共通祖先から分岐し、樹上生活をしていた人類のルーツが、アフリカのジャングルから草原に出たことが契機になっている。

人類が約200万年前から1万年前まで、100人規模の共同集団を営み、狩猟採集生活(「獲得経済」)を送るようになる頃には、DNAの塩基配列の約99%が等しいチンパンジーにはないような、感情や行動を形成させてきた。

人間的な「感情システム」を、私たちの祖先は構築していくのだ。

共同集団を営む行程で、「感謝」・「恩や義理」・「罪悪感」・「名誉」・「公平感」・「嫉妬」・「道徳的怒り」などの複雑な感情系が、「獲得経済」の時代の中で作り上げていたのである。

この時期は、地質時代の年代区分で言えば、最も新しい時代である「現世」=「完新世」(かんしんせい)と切れ、人類が出現し、活動した「更新世」(こうしんせい/大半が氷河時代)の期間と重なるが、しかし、野生環境に適応的だった1万年前の「感情システム」を、現代社会に適合させるのは難しい。

野生環境に適応的だった「感情システム」は、人類が「定住社会」を構築する「生産経済」という、農耕開始以前の期間の大部分を占める行程の中で作り上げ、鍛え上げられていったのである。
ところが、200万年の時間を要して、私たちが作り上げていった「感情システム」は、私たちの精神の「理性的能力の不具合感」を生んでしまっている。

このギャップは、一体、どこからくるのか。

人間の感情は、野生環境に適合すべく、200万年の時間を要して作り上げた文化的結晶だから、充分に、「適応行動選択システム」としての高度な機能を具有している。

この「適応行動選択システム」を、心理学者・戸田正直は「野生合理性」と定義する。

この概念は、感情が進化の結果によって獲得したものであり、本来、環境に適応したものであったにも拘らず、進化が追いつかないほど、環境を激変させてしまったことで、200万年の時間を要して作り上げた人類の「感情システム」が、現代のあらゆる文化フィールドで不合理になっていったという深い意味を持つ。

これが「野生合理性」である。

それ故、現代社会において、この「感情システム」が、必ずしも、人類の「生き延び」に有利に働いていないと、戸田正直は指摘するのだ。

それは、「野生環境」⇒「文明環境」という劇的な遷移(せんい)を一気に経由して、環境の基本条件をグレート・リセットさせてしまった歴史的現象に対応する。

ましてや、「獲得経済」の時代から、「生産経済」の時代に遷移したのが、僅か、1万年前のこと。
驚いたことに、この1万年の間に、人類は「文明」を構築してしまった。

そして、この「文明」が、「近代社会」を作り上げた。

すべてのフィールドに及んで、極めて利便性の高い「高度大衆消費社会」を構築してしまったのである。

巨大な台風の「急速強化」の現象をトレースするように、デジタル化への進化は、フィルムカメラデジタルカメラに取って代わったように、破壊的な技術を有する後発の事業に関心を持たず、自ら革新していかないと、後発の事業に呆気(あっけ)なく抜かれてしまうという、米国の経済学者・クレイトン・クリステンセンが言う、「イノベーション(技術革新)のジレンマ」が出来(しゅったい)した。

180万円程度で、アルゼンチンの最南端から出港し、約2日を要しただけで可能な「南極観光ツアー」は理解に及んでも、100億前後のツアー料金で、「月面旅行」を可能にした「現代社会」のスケールの大きな展開に、貴方はついていけるか。

私もついていけるか。

完全に未知のゾーンに踏み込んでしまった、終わりの見えない時代の変移に、私たちはついていけるか。

「獲得経済」の時代の終焉から、僅か、1万年の時間の経緯で構築してしまった「近代文明社会」の、眩(まばゆ)いほどの相貌(そうぼう)の際立(きわだ)つ総体。

これについていけるか。

残念ながらと言うべきか、僅か、1万年のスパンでは、人間の感情は簡単に変わるわけがない。
「獲得経済」の時代から、僅か、1万年の時間で、「近代文明社会」を作り上げてしまった人類の超高速の革命的遷移。

驚きを禁じ得ない。

多くのリンクを持つノード(ネットの接点)がネットを占有する現象・「スケールフリー・ネットワーク」や、「80:20の法則」で知られる「パレートの法則」(全体の数値の8割を一部の要素が生み出す)、多品種・少量の販売で収益を確保する「ロングテール現象」、或いは、GAFA(ガーファ/グーグル・アマゾン・フェースブック・アップル)に象徴されるように、それに身を預けて成功を収める一部の者と、それ以外の大多数の者たちとの落差は、いよいよ、人類社会に広がり、浸透している。

今や、ドイツに始まった、工業のデジタル化によって製造業を根本的に変換させるという、「インダストリー4.0」の時代の幕が開いて、各国も追随する流れが、引きも切らない現象に終わりが見えないのだ。

私たちは、200万年の時間を要して作り上げた人類の「感情システム」を内包しながら、「現代社会」の衝撃を集中的に浴び続け、呼吸を繋いでいるのだ。

この事態が意味するものの怖さに、私たちは、あまりに鈍感すぎる。

「野生環境」で進化させた「感情システム」を内包しつつ、「近代文明社会」の只中を生きるのだ。

私は、このことを考える時、必ず思い出す一本の映画がある。

北野武の監督デビュー作として知られる「その男、凶暴につき」である。

以下、「野生合理性」という、「感情システム」を内蔵する男の内面世界をテーマにして、本稿の中枢に肉薄(にくはく)し、掘り下げてみたい。

 

以下、「心の風景:現代社会に残存する『野生環境』の『感情システム』」より

https://www.freezilx2g.com/2019/08/blog-post.html