「財政的幼児虐待」 ―― 財政悪化のツケを次世代に押しつける無責任体質

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1  「老境国家」が誕生する
 
 
「破産する未来 少子高齢化と米国経済」という、震撼(しんかん)すべき著書がある。
 
著者は、アメリカの財政学者・ローレンス・コトリコフ(ボストン大学教授)。
 
カリフォルニア大学教授・アラン・アゥアバックと共に、世代間での国民負担の差異を分析し、世代別の「受益」と「負担」を推計する「世代会計」と呼ばれる概念を提示したことで知られるが、中でも、「1995年基準」において、日本の将来世代の負担が現在世代の負担を支え切るリスクが、優に4倍以上に達することが明らかになった。
 
因みに、イタリア(3倍以上)・アメリカ・ドイツ(2.6倍)などの指標を上回り、他の先進諸国と比べて、我が国が将来世代に全面的に依拠し、彼らに履行不能なほど、甚(はなは)だしい負担を強いることになる。
 
恐るべき数字だが、「生産年齢人口」(15歳から64歳まで)が7000万人まで落ち込み、「従属人口」(15歳以下で65歳以上)が3500万人を突破すると指摘する専門家もいる。
 
「プア・ジャパニーズ」が急増する「2025年問題」に突入するや、団塊の世代が「後期高齢者」となり、国民の3人に1人が65歳以上の「従属人口」と化し、且つ、5人に1人が75歳以上という、人類が経験したことのない規模の「超高齢社会」を迎えるのだ。
 
思うに、団塊の世代に象徴されるように、「生産年齢人口」が「従属人口」を支えることで、経済が活発化する現象・「人工ボーナス」の時代が終焉し、今や、「従属人口」が「生産年齢人口」を上回る「人工オーナス」の時代の幕が上がり、経済の追い風が完全にストップしてしまった。
 
2025年には、若者が減り、老人だけが増加する。
 
介護保険が適用される介護サービスを手掛ける・「介護老人福祉施設」=「特別養護老人ホーム」や、認知症対応型の「グループホーム」に入所できない認知症者を、家族が最後まで世話をする。
 
「老境国家」の誕生である。
 
この「老境国家」の広がりを防ぎ、ポジティブな発想で、理念をアウフヘーベン(より高次の段階に生かしていくこと)し、認知症者への「町ぐるみ」の見守りを実践していくことで、官民共同による「認知症ケアコミュニティ推進事業」が、福岡県大牟田市で注目を集めている。
 
「徘徊老人」など、認知症者・障害者らへの見守りが切実に求められ、介護者の需要が喫緊(きっきん)の課題となるが故に、「介護ウツ」という言葉があるように、在宅介護に限界を感じ、「介護・看病疲れ」による自殺者が増えてきている現実(年間300人)を考える時、介護者の疲弊を防ぐために、「レスパイトケア」(介護者の休息)を保証する制度的対応が求められている。
 
以上の状況を踏まえると、今や真剣に対峙し、適正な「移民政策」が検討される時代の封印を解いてしまったと言っていい。
 
2018年の臨時国会で、実質的な「移民政策」でありながら、それを否定する政府は6月15日に閣議決定し、外国人労働者の受け入れ拡大を目途(めど)にする重要法案・「出入国管理法改正案」が、衆院本会議で審議入りするに至ったが、その全体像が視界不良の状態で、隔靴掻痒(かっかそうよう)の印象を拭(ぬぐ)えないのだ。
 
「老境国家」の現出が早すぎたのか。
 
那覇市に本社を構える「沖縄タイムス」によると、沖縄県の総人口に占める「従属人口」(15歳以下で65歳以上)が、2018年3月現在で21・1%となったと言う。
 
因みに、65歳以上の「従属人口」が7%を超えたら「高齢化社会」、14%を超えたら「超高齢社会」と定義されているが、これによって、全国の高齢化率は27・7%で、最も低かった沖縄が21%を超えたという峻厳(しゅんげん)な現実によって、全都道府県が「超高齢社会」という「レッドライン」を、短兵急(たんぺいきゅう)に越えてしまったのである。
 
この「老境国家」の実態で最も深刻なのは、膨張する医療費への対応である。
 
少子高齢化とデフレ不況の影響によって、医療保険の収入は確実に減少する。
 
有病率が高い高齢者だけが一方的に増加し、逆に、現役世代の絶対的減少化傾向が止まらないから、医療費は増加する一方になる。
 
医療費の増加は、現役世代に途轍(とてつ)もない重圧をかけることになるが、しかし、その根幹となる日本の医療システムは、高齢者医療費を中心とした医療費の伸びに対応できなくなっているのだ。
 
その結果、その基本システムの変更を伴った医療費の抑制を余儀なくされ、構造的変革に迫られているのである。
 
 
2  医療崩壊の危機
 
 
現行保険制度の根柢的変革が問われているが、ここではミクロの例で、簡単に「医薬分業」の不成功の問題に振れておきたい。
 
「医薬分業」とは、診察して処方箋(せん)を書く医師と、その処方箋によって調剤する薬剤師の業務を分けること。
 
この「医薬分業」にシフトすれば、仕入れ値と売値の差益で儲(もう)かる病院の「薬漬け医療」を克服できると喧伝(けんでん)されたが、大病院の近辺に「門前薬局」が乱立し、確(しか)と精査しないで薬を調剤するケースが目立ち、医師と薬剤師の双方による二重チェックや、患者自身が服用する薬について、薬剤師からの専門的な理解を得られるメリットがあるが、その程度では、「院内処方」(病院内での薬の処方)の弱点を克服できたとは言えないだろう。
 
今後のリコンストラクション(立て直し)次第だが、現時点で、残念ながら、「医薬分業」は失敗したと言わざるを得ないのである。
 
「医薬分業」の問題は一例に過ぎないが、医療システムの構造的変革の艱難(かんなん)さは、相当程度、深刻である事実を認知すべきである。
 
更に至近の例で言えば、医療費の拡大ベースを容認するシステムの見直しが、緊切(きんせつ)な課題になっている現状に止(とど)めを刺すと言える。
 
複数の自治体にまたがる広域連合が運営する「後期高齢者医療制度」において、75歳以上の「残薬」が、年間475億を超える現実(日本薬剤師会の報告)は、医療費の無駄遣いの典型例である。
 
高齢化社会に向けてより安全な薬の服用 ―― これが「超高齢社会」の到来に対応する方略だった。
 
厚労省が指摘するように、「セルフメディケーション」(自己治療)に無頓着な高齢患者が「重複受診」(複数の医療機関にかかること)すると、「重複服薬」になり、間違いなく「過剰服薬」になる。
 
この「過剰服薬」と、それに起因する薬害を惹起する危険性を水際(みずぎわ)で防御する。
 
そのため、患者宅の訪問・服薬指導など、薬剤師を中心とした取り組みが広がっているが、それでも、処方された薬を大量に飲み残す「残薬」を如何に防ぐことができるか。
 
薬剤費の自己負担は最大でも原則3割で、残りは公的保険で賄(まかな)われているのだ。
 
高齢者に対する医療の本来的役割が、日頃から、患者の病歴・健康状態を理解している地域の開業医=「かかりつけ医」(患者との物理的・心理的近接度の高さによって、「担当医」と同義の「主治医」と分かれる)が、担当する患者の疾病に対して、当該(とうがい)患者が不必要な服薬を減らしていくという効果を確認し、その後の患者のケアに万全を期すことにあると、私は考えている。
 
断言できないが、結論を言えば、「医薬分業」は病院の「薬漬け医療」を克服できなかった。
 
考えてみるに、「医薬分業」の社会的背景の一つには、この少子高齢化社会の怒涛(どとう)の如き襲来のリアリティがある。
 
「老境国家」の到来によって、小児科系・産婦人科系の病院が激減することで、40回近い病院をたらい回しにされた結果、患者が亡くなるという恐怖のリアリズムが、我が国を覆っている。
 
 


時代の風景「 『財政的幼児虐待』 ―― 財政悪化のツケを次世代に押しつける無責任体質」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2018/11/blog-post_21.html