暗殺・リトビネンコ事件('07) 「銃弾で死ぬか、毒殺されるか」という悍ましい負の連鎖

【本作は、優れた構成力による衝撃的なドキュメンタリーの必見の作品です(筆者)】

 

1  「どうして彼らはあんなに怒ってるのか。僕が“聖域”を侵したからだ。“集金システム”の暴露だ」

 

 

 

「私の身に何かあった時は、このビデオを公表し、世界に伝えてほしい。彼らは暗殺など平気だし、今でもやってきている。国内でも国外でも」(リトビネンコのモノローグ)

 

「悪夢以上のことがサーシャ(リトビネンコ)に起きてしまった」(アンドレイ・ネクラーソフ監督のナレーション)

 

リトビネンコの病室から出て来た監督へのインタビュー。

 

「幽霊のようだった。ショックだ。誰がやったのか!ひどすぎる…ずっと痛みに苦しんでる」

 

2007年4月末、帰宅した時の自宅の様子を語る監督。

 

「誰かが何も盗まず荒らしていた。冬の終わり頃、英国の捜査当局に今回の暗殺事件で聴取を受けた。あの時は充分話せなかったと今にして感じている。本作が私の証言だ」

 

「彼は毒殺で、世界の注目を集めたが、ロシアでも98年にも“時の人”に。テレビでFSB上司の汚職や殺人指令を告発したのだ」(監督のナレーション/以下、ナレーション)

 

直後、元FSB中佐リトビネンコらの記者会見の様子。

 

「FSBは賄賂まみれだ」

 

「この騒ぎは一時的で、彼の名はすぐ忘れられた…99年モスクワで連続爆破。数百名が死ぬ惨事はなぜ起きたのか」(ナレーション)

 

「爆破テロの犯人は、間違いなくチェチェン人どもだ」(モスクワ市長 ルシコフ)

 

【ルシコフは現国防大臣のショイグと共に、政権与党の「統一ロシア」の党首に就任し、強力なプーチン政権与党の結成に尽力】

 

99年の年末のエリツィンの退陣表明。

 

「去り行くミレニアムの最後の日に、私も大統領の職を去ることにした…ロシアはもう決して、過去には逆戻りしない…」

 

「休戦4年目でチェチェンとの戦闘が再開。チェチェンの同胞に対する人種的偏見ゆえに、我々はこの紛争を“戦争”と呼ばない」(ナレーション)

 

ここで、チェチェン紛争の被害者の映像が流される。

 

「2000年末、私の撮ったチェチェン・ドキュメンタリーが、独立系テレビで放映」(ナレーション)

 

会場でこの短編を見てどう感じたかを聞かれ、視聴者の一人が感想を語る。

 

「私は政治学者だが、主張が一面的だ。死んだ子たちの中からもテロリストは育ったろう…」

 

監督が持論を展開していく。

 

「戦争と呼ぶ場合は、“多少の犠牲は仕方ない”と言える。一方、我が国の指導者たちにとっては、対テロ作戦の方が都合がいい。だが、こんな対テロ作戦はあり得ない。欧米と比較してどうのこうのではなく、モラルも問題なんだ。国家は報復行為に走ってはならない。テロリストと同じ土俵で戦えばテロ国家になる」

 

「私は攻撃の残虐さを非難した。爆破テロの報復だと思っていたからだ。だが、別の疑問が人々の心に潜んでいた」(ナレーション)

 

小さな集会場での上映会での討論会では、一人の母親が戦争には断固反対で、映像を観てショックを受けたと話すが、一方で爆破テロがなければこうならなかったと談ずる。

 

「誰がやったの?いったい誰が?」

 

次にインサートされたのは、リトビネンコが爆破テロはFSBの工作であると告発し、ヒースロー空港(ロンドン)で政治亡命を申請するカット。

 

監督は知人に連絡してリトビネンコの所在を探し、政商ベレゾフスキーの事務所とコンタクトが取ることができた。

 

英上院でも審議会があり、チェチェン問題が議題で、チェチェン指導者ザカーエフが出席して発言する。

 

「我々は平和を望む。同時多発テロの時でもチェチェン政府は共にテロと戦うとすぐに表明した…」

 

【ザカーエフとは、チェチェン共和国の独立派指導者アフメド・ザカエフのことで、ロシア政府に国際指名手配され、2003年英国に政治亡命して以来、同国に滞在。現在は欧州各地を回っている】

 

ここにベレゾフスキーも出席。

 

「90年代、ベレゾフスキーはロシアの有力政治家で、無名のプーチンを支援し大統領にしたが、その後、決裂…2002年11月の寒い夜、ついにリトビネンコの住所を知った」(ナレーション)

 

リトビネンコとの対面。

 

「FSBとは、いったい何をする機関なのか」

「ロシアの諜報部だが、実体は政治的な秘密警察だ。彼らは容赦なく過激な手法を使うスパイ対策やテロ防止のためでなく、政権を維持するための機関なんだ。

99~2000年にかけてのプーチン政権誕生でも、FSBは秘密手法をフル活用した。本来はスパイやテロに対してのみ使うことが許される手法だ。軍部が政権を狙う場合は戦車や大砲を使うだろうが、そんなことをしたらみんなが気づく…ソ連時代のKGBは党の武装組織、そして、現在のFSBは一部の官僚たちの武装組織と言える」

 

以下、リトビネンコのインタビュー。

 

プーチンは大学へ入る前、KGBに協力を志願した。それで利用されたんだ。彼は在学中、級友の密告を求められた。おそらくKGBで最低1年は訓練を受けたろう彼が協力したのは、後のFSBとなる第5局だ。彼らの関心は1つ。“敵対的思想との戦い”がすべてだ。つまり反体制派の弾圧。プーチンの任務は学内で異分子を見つけること。誰が党や政権に批判的か。それを文書で報告する」

 

プーチンは、KGBの元同僚チェルケソフを北西ロシアの大統領全権代理に任命」(ナレーション)

 

KGB前でKGBの解体とチェルケソフの裁判を求める人たち。

 

リトビネンコのインタビュー。

 

「チェルケソフは言う。“反体制派の逮捕投獄は刑事事件として扱った。法に従っただけだ”。新しい社会体制になり、“合法国家”となった。公正な選挙。民主主義。一方、秘密警察はその存在自体が非合法となった。彼らを合法にする方法は、現政権の非合法化だ…自分たちの活動は合法になる。民主国家を非合法にするには?国家を戦争へと駆り立てればいい。チェチェン侵攻計画が練られた。FSBの前身FSKの長官らの主導だ」

 

【チェルケソフとはヴィクトル・チェルケソフのことで、「強硬派」を意味するシロヴィキの典型的政治家】

 

第一次チェチェン戦争におけるFSBが起こしたテロ事件について語るリトビネンコ。

 

「グロズヌイ(チェチェン共和国の首都)に戦車部隊が唐突に派遣されたんだ。当然攻撃され破滅。彼らはエリツィンに言った。“敵が戦争を仕掛けてきました”。和平派の議員団は、戦争を阻止するため、話し合いに出かけようとした。そんな時、また爆破テロ。しかもその前に副首相が、“テロリストが国内に潜入した情報あり”と、不安を煽る声明を出していた。つまり世論操作の後で爆破テロ。最初はヤウザ川で鉄橋が爆破され、シェフレンコ大尉が死亡。その後も鉄道爆破が続く…次にバスの爆破。この時は軍将校ボロビエフが有罪となって逮捕された。鉄橋爆破犯の大尉は『ナラコ』の社員で、そこの社長はFSB工作員。バス爆破犯もFSB工作員。全部FSBだ…戦争を始めたエリツィンは、非民主的で非合法な大統領と化した」

 

「戦争も流血も真っ平。呪われろ、エリツィン

「自由をくれたと思ったのに!」

 

国民の非難を一斉に浴びるエリツィン

 

「お前の手は息子らの血にまみれている!」

 

議会でもチェチェンへの攻撃が批判される。

 

リトビネンコのインタビュー。

 

「僕もチェチェンで戦ったよ。壊滅した村で捕虜をとった。尋問したのは17歳のチェチェン人の少年だった。しっかりして知的な教養ある若者だ。なぜ戦闘に加わったのかと聞いてみた。何て答えたと思う?17歳の少年はこう言った。“こんな戦争は嫌いだ。戦いたくない。それでもクラス全員が戦いに出た”それを聞いて僕は大戦の映画を思い出した。当時もクラス全員が前線に出ていった。今、チェチェンの少年たちが同じように戦ってる。これでチェチェンに勝てると思うかい?」

 

「90年代は自由だった?テレビ番組は自由に作れた。車で自由に買い物に行けた。そんな自由を喜んでいた。だが新しくて派手な現実の裏まで見通せなかった」(ナレーション)

 

元FSB将校で、リトビネンコの元上司アレクサンドル・グサクとリトビネンコのインタビューが交錯する。

 

「モスクワだけで34の犯罪組織があった」(グサク)

 

「組織犯罪の捜査を初めてその数の多さに驚いた。普通の国でこんな多数の投獄者はあり得ない。まるで犯罪者の国だ。何しろ、成人の50%が服役経験を持ってる」(リトビネンコ)

 

「…真面目な男だ。その働き方は献身的とさえ言える。つまり、捜査官として優れた能力を持ち、驚くほど粘り強い。しかも悪と戦う決意や正義感がとても強い」(グサク)

 

次に、リトビネンコ夫人マリーナのインタビュー。

 

「彼を利用できると思ってた人たちは、固い壁に突き当たる。そこで憎しみが沸き起こるのね。素直で扱いやすくてしめしめと思ったのに、結果はまるで正反対…彼を敵と呼び始める」

 

98年に収録された将校時代のリトビネンコ、グサク、ポンキン、キャスターのドレンコのビデオが流される。

 

そこで、不当解雇でFSB長官を訴えるトレパシキン中佐の逮捕の指令で、黙らせる手法について語られる。

 

そのトレパシキンのインタビュー。

 

上司の命令で悪質な犯罪組織を逮捕・起訴しろと言われるが、「いざ逮捕し始めると、犯罪者を守る“保護網”が登場した…操るのはFSBや参謀本部や警察などだ。そして暗にこう言う。“彼はいいが、彼は釈放だ”。起訴すべきだ。冗談じゃない」

 

【トレパシキンは、FSBの内部改革を求めるが、その後、逮捕されるに至る】

 

再び、4人のビデオでリトビネンコが語る。

 

「つまり、目的は彼の口封じだ。命令に強い不信感を持った…ある年の総括的な会議(97年末)で、上司カミシニコフが“ベレゾフスキーを消せ”と…カミシニコフはあるテロリストと通じ、FSBの捜査情報を流していた…憶測じゃない。証拠もある…そんなとんでもない男が僕にベレゾフスキーを消せと」

 

そのベレゾフスキーへのインタビュー。

 

「社会の本質的なあり方について、こういう仮説が成り立つ。最も効率的な政治システムとは、自己実現のための機会が最大限に、市民一人ひとりに与えられている状態だ。ただし、その際、市民に求められるのは一定の自制だ。とりわけ全体主義だった社会が自由主義社会へと移行するためには、十分な数の市民が納得し自発的に自己規制する必要がある」

「内面的な制限ですね…自由主義は身勝手と違う…人間が知恵を得るにはどれだけの代償が必要か。古い常識を脱するのは、何と難しいことかと思うよ」

「ロシア人には特に難しいと?」

「ある種の定説だ。ロシア人の精神性には隷属志向がある。だから統制社会を喜んで受け入れる。私も矛盾してるよ。自由主義を提唱しながら、一方でこう言うなんて。ロシア人は本来従属的で自由に慣れていないと。自由社会の自己責任をこれから引き受けられるだろうか。私は大丈夫だと思うよ。一党独裁が消えた後。ほんの10年で多くの起業家が出てきた。無党派の政治家も増えたし、ジャーナリズムも昔とは別物だ。歴史的な大きな1歩をロシアはもう踏み出せる。今の自由と独立の精神を強固にすることが課題だ。ところが現在の政権は、逆に自由を壊してる。ここが重要な点だ。上位下達の権力構造、メディア支配。こんなことをしてたら、ロシアに芽生えた自由精神は破壊されてしまう」

 

【オリガルヒの代表的人物ベレゾフスキーは、プーチンと敵対し、英国に政治亡命した後、2013年に変死する。死因不明と記録されるが、暗殺と見做されている】

 

キャスターのドレンコの取材を受けた時、映像の公表は死んだ時のみと取り決められていた4人のビデオが、8か月後にテレビで放映された。

 

そのビデオでリトビネンコが語る。

 

「公安の人間がテレビに出るべきではない。だが今、そうせざるを得ない。死は恐れていない。恐れるなら、こんな仕事はしてない。無論、妻と子は心配だ。とはいえ、たとえ危険を冒しても、今腐敗を止めなければ、世の中はスターリン時代よりもひどいことになる」

 

現在のリトビネンコ。

 

「FSBの上層部は、ほとんどが恥知らずで、しかも不可能はない。あの時のFSB長官がプーチンだった。言うしかない。無論止められた。“告発などやめろ”。やめれは出世させてやると。喜劇的ですらあったよ。“何が不満だ。他の仲間を見習え。年軒か店を見つけ脅して賄賂を取れ。月5000ドルは稼げる。だからバカなまねはよせ。適当な店がなければ、我々が探してやる”…副局長は興奮のあまり、ほかの同僚もいるのに、こう罵った。“ユダヤの政商一人殺す愛国心もないのか。国の富半分を盗んだ男だぞ”」

 

監督に語るリトビネンコ。

 

「反乱だ。まさに反乱。しかも公安機関の部署でだ。FSB全体が固唾を呑んだ。こんなのは前代未聞だろう。しかも、そこは最も秘密にすべき殺人専門の部署だ」

 

「問題なのは、彼らも98年のあの時、市民としてまっとうな勇気ある行動をした。犯罪行為をきっぱり拒否したんだ。上からの命令は絶対という立場にいながら、その組織に逆らった。彼らは僕と手を携え、肩を組んでくれた。それには感謝してる。6人の中には勤続25年以上のベテランもいた。それでも声を上げ、組織の過ちを指摘した。だが国は、その声に耳を傾けるどころか、我々を潰しにかかった」

 

今度はリトビネンコの行為を一刀両断する、FSB長官プーチンの会見。

 

「彼は刑事上の責任がロシア連邦に告訴された。容疑は職権乱用で拘留時の市民への殴打。さらに窃盗容疑…爆発物の窃盗だ」

 

しかし、法廷で「今回挙げられた起訴事実は、すでに以前捜査されたものであり、いかなる証拠も見つかっていない」と無罪判決を受けたその直後、FSBから再逮捕・連行されるのだ。

 

「まだ閉廷してません。場をわきまえなさい」

 

以下、リトビネンコを慕う、彼の部下のインタビュー。

 

「…彼は立派な人だ。俺は途方に暮れてる。連中は嘘の証言を俺から引き出して、彼を有罪にしようとしてる。だけど恩人を刑務所に送れるか?彼のおかげで俺はまともになれたんだ。“金だけで動くな。ローマ、まっとうな道を行くんだ。悪党やクズになるな”って。今俺は追われてる…ギャングからも国からも追われてる。頼る人もいない。もうおしまいだ」

 

記者会見に出た仲間は、次々に潰されていく。

 

上司のグサクは殺人容疑で逮捕され、リトビネンコを裏切る言辞を発する。

 

「4年間審問を受けた。私はすべてに答えたし、有罪になってない…私がリトビネンコをどう思ってるか?ただのクズだ」

 

リトビネンコのインタビュー。

 

「信じてる人は結構いるんだ。FSBは人殺しをやると。僕も友人に言われた。“暗殺はよくあるんだろう。なぜそれで騒いでるんだ?”…そのことで彼らを責める気はない…FSBはあらゆる手を打ってきた。組織の総力を上げて叩き潰しにきたんだ。その手法はどれも、かつてKGBが得意としていた名誉棄損、恐喝、脅迫、証拠捏造、事件のでっち上げ。FSBという巨大な戦車が反乱者を潰し始め、何人かは粉砕された」

 

2003年に逮捕されたトレパシキンが、別の監獄へ移送される前に電話で話ができた。

 

「例の記者会見で覆面をしてた男は、投獄されるのを逃れるために、元の課に連絡を取った。先方はこう言った“リトビネンコ潰しを手伝うなら許してやろう”」

 

リトビネンコのインタビュー。

 

「最初の裁判で僕を無罪にしてくれた裁判長にも、FSBは働きかけた。彼が拒むと、こう脅された。“無罪にしたら、次はお前だ”。この裁判長は解任され、左遷された。次は従順な判事が選ばれ、こう言われた。“3年だ。執行猶予でもいい。とにかく必ず有罪にしろ”」

 

「執行猶予付きで3年かな…逃げる必要はない」(プーチン

 

リトビネンコのインタビュー。

 

「“裏切り者は必ず殺す”。僕は彼らの敵になった…逃げることにした。なぜか?息子がいるからだ。あの子も殺されかねない。6歳の息子を見て考えた。僕はどうなってもいいが、彼を守ることが最優先だ」

 

トレパシキンの裁判について、リトビネンコは語っていく。

 

「各裁判所にFSB将校がいる。“法衣を着たFSB”だ。“いいかね。彼は刑務所に行くべきだ”。無理があって判事が渋ると、“上がそう言ってるんだ。その方は恩を忘れない。いいアパートに住みたくないかね…”そこで判事は思案する。確かに今の給料は安い…そして判事は“有罪”と書く。一丁上がり。これで彼は“お仲間”になる。万事言いなり。賄賂も取る。こうしたことはすべて逐一FSBに報告される。次にFSBが彼を訪ねてきて、報告書をちらつかせ、“でも君は忠実だから忘れよう”と(紙を破る仕草をする)」

 

リトビネンコは言い切った。

 

「どうして彼らはあんなに怒ってるのか。僕が“聖域”を侵したからだ。“集金システム”の暴露だ」

 

プーチンのロシア」という国家の本質を射抜くリトビネンコの極めつけの言辞である。

 

  

人生論的映画評論・続: 暗殺・リトビネンコ事件('07) 「銃弾で死ぬか、毒殺されるか」という悍ましい負の連鎖 アンドレイ・ネクラーソフ  より