かぞくのくに(‘11) ヤン・ヨンヒ <「全体主義という絶対記号」に支配される構造を家族に特化して描き切った映像の凄み>

イメージ 11  帰還者の期間限定の一時帰国 ―― 物語の前半の簡単な梗概




かつて、「在日朝鮮人の帰還事業」によって、16歳で海を渡った在日コリアンのソンホが、「朝鮮総連」(在日本朝鮮人総聯合会)と思しき北朝鮮系の組織の幹部(東京支部の副支部長)の父の尽力もあって、3ヶ月の期間限定という条件で、一時帰国が実現した。

理由は、脳腫瘍を患っているソンホの治療のため。

家族を持つソンホの国には、MRI(核磁気共鳴画像法)検査が受けられる先端医療が整備されていないのか、それともVIP使用限定の故に、商品の供給も最優先で行われると言われる特別待遇の平壌市民であったとしても、先端医療とは無縁な生活を強いられているのか、詳細は不分明である。

ともあれ、ヤンという名の監視人付きだが、25年ぶりに、父母と妹の住む「かぞくのくに」に戻ったソンホは、家族、叔父、友人らから暖かく迎えられ、物語の前半の色彩感のイメージは暖色系のノスタルジアのうちに染められていた。
 
以上が、物語の前半の簡単な梗概である。



2  「かぞくのくに」の風景の中枢から蹴散らせていく柔和な空気の残骸



近代的な基本的人権の欠落という意味で、奴隷制国家と思しき、「全体主義という絶対記号」が支配する圧倒的な重量感の中で、その記号に支配される家族の情緒的結合力が摩耗され、甚振(いたぶ)られ、剥ぎ取られていく物語 ―― それが、本作に対する私の基本的解釈である。

一貫して「朝鮮総連」という言葉が使用されることはないが、「全体主義という絶対記号」が表現する国家が、金日成父子の肖像によって北朝鮮を意味しているのは自明である。

然るに、「全体主義という絶対記号」の権力関係の支配力の理不尽な構造の内実のみをイメージさせることで、特定の国家に対する特定の政治的メッセージ性が希釈化され、どこまでも、「全体主義という絶対記号」が分娩する負の状況に翻弄される、一つの家族の自己運動の捩(ねじ)れ切った様態が、物語の中枢ラインを成している。

ここでは、本作の中で最も重要なシーンを再現してみたい。

それは、物語の風景を決定的に変容させてしまうシーンであるからだ。    

以下、ソンホと、妹リエの会話。
 
兄のソンホが、言いにくそうに、妹リエに話しかけた。

「何?」とリエ。
「さらっと聞いて、正直に答えてくれればいいんだけど・・・今後、例えば、指定された誰かに会って、話した内容を報告するとか、そういう仕事する気あるか・・・」
「それは、スパイっていうか、工作員みたいなことをするってこと?」

一気に空気の澱みが作り出す「間」を裂いて、怪訝な様子でリエは反応するが、兄のソンホは間髪を容れず、答えた。

「そんな大袈裟なことじゃないんだよ。色んな人に会って、話した内容を報告する仕事だよ」
「もし、断ったら、オッパ(兄)に迷惑かかる?もし、引き受けたら、オッパのお手柄になるの?」
「いや、そういうのはどうでもいい」
「ほんとに?全く問題ない?」

語気を強めて、リエは尋ねた。

「ああ、関係ない」

兄の反応は弱々しい。

「全く興味ない!そんな仕事、関わりたくもない!」

堪えていた感情を吐き出すように、リエは、ひときわ語気を強めて言い切った。

少し「間」をおいて、今度は冷静に語るリエ。

「オッパに、そんなこと言わせた上の人に言っといて。妹は、我々と相反する思想を持った敵ですって、はっきり言っておいて」

雑誌のページを意味なく捲(めく)る態度のうちに、それだけは言いたくない言葉を放った男の空しさが表現されていた。

「ごめん」と妹。
「謝んなよ」と兄。
 
兄の辛い気持ちを察する妹と、大切な妹に、このような反応を強いてしまった兄との会話が閉じていったとき、兄の一時帰国が隠し込んでいた目的の一端が露わにされて、もう、これまでの柔和な空気が、虚構でしかないユートピアとしての、「かぞくのくに」の風景の中枢から蹴散らせていくようだった。

柔和な空気の残骸を拾えなくなった物語は、「かぞくのくに」が開いた隙間に吹き込む冷風によって、その情緒的結合力の脆弱さが露わになっていく。

物語は、ここから一気に反転する。

空気が変容したのだ。

冷静な気分に戻れないソンホは、全てを知っていながら、最も肝心な話を封印してきた父に対して、憤怒の感情をダイレクトに投げつけていく。  

「私も組織の人間だ。お前の立場は分っている」

姉妹の会話を盗み聞きしていた父が、そこまで言ったとき、すかさずソンホは、存分の感情を乗せて否定し切った。

「いいえ、分らない。分らないよ。分る訳ないじゃないか!分る訳ないじゃないか!・・・分る訳ない・・・分る訳ない」
 
怒号から一転して、最後は嗚咽交じりの言辞に結ばれていた。

「でも・・・工作員みたいな仕事に関わることだけは止めて欲しい。治療に専念しろ。病気を治して帰るんだ」

父には、このような反応しか選択肢を持ち得ないのだ。
 
長い「間」ができた。

粗い呼吸の中から、ソンホは、言葉を絞り出す。

「話はそれだけですか?・・・いつも、いつも、いつも、そんなことしか話してくれないんですね」

そう言って、部屋を去っていくソンホ。

置き去りにされ、渋い表情で悶々とする父。
 
ソンホの感情炸裂は、明らかに、最も話したくないことを、愛する妹に話してしまった遣る瀬無さが推進力になっていたが、その背景には、16歳のとき、叔父の反対を押し切って、「片道切符」で北朝鮮に送り出された歴史的事実が横臥(おうが)している。

「僕が行くの止めたら、アボジ(父親)に迷惑がかかるかな」

これは、新潟港から帰国船に乗っていくとき、ソンホが叔父に吐露した言葉。


北朝鮮で苦労を強いられたであろうソンホの過去が、今なお、彼の内側に押し込められたトラウマとしてアクティング・アウト(封印された記憶が身体表現されること)されたのである。


一方、愛する兄・ソンホとの信じ難き言語交通の虚しさを引き摺って、自分の感情を抑えられないリエもまた、工作員のヤンが待機する車に近寄り、激しい言葉を投げつけていく。
 
「自分で言ってよ。自分で言って、オッパに言わせないでよ!自分で言ってよ!」

何も答えられずに、煙草をふかすだけのヤンに、追い打ちのように叫びを刻んだ。

「あなたも、あなたの国も大嫌い!」

濁った空気が作り出す「間」の中で、ヤンは静かに答えた。

「あなたが嫌いなあの国で、お兄さんも、私も生きているんです。死ぬまで生きるんです」

リエはもう、何も反応できなくなってしまった。

彼女なりに理解できるラインの中で、負の状況に翻弄されるばかりの「かぞくのくに」の現実を、柔和なる未来に延長させていく思いのうちに繋げなくなっていたのである。
 
 

(人生論的映画評論・続/かぞくのくに(‘11) ヤン・ヨンヒ <「全体主義という絶対記号」に支配される構造を家族に特化して描き切った映像の凄み>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/05/11_25.html