君は行く先を知らない('21)   悲痛な叫びが夜の闇を切り裂いた

 

1  「この国を出たら、あの子はきっと必死に働くわ。家も買って、必ず家族が再会できる日が来る」

 

 

 

車の後部座席で父の足のギブスに落書きしたピアノの鍵盤から、幼い次男が美しい旋律(BGM)を奏でる。

 

その次男が隠し持っていた携帯を父が取り上げ、母はそれを車から降りて、岩石群が連なる廃墟の大きな石の下に隠した。

 

「帰りに回収するから」と父に宥(なだ)められた次男だが、すぐに母を追って出て行き、隠した場所の風景を目に焼き付ける。

 

イラン北西部の国境を目指す旅にあって、車内で父は黙考している。

 

車は長男が運転し、家族4人の旅が続行する。

 

レンタカーの窓に悪戯書きをした次男を叱咤していると、母が後ろを振り向き、「それより尾けてくる車がいる」と父に知らせる。

 

車を止めて愛犬ジェシーを下ろしておしっこをさせ、エアコンの水漏れを点検し、再び車は走り出した。

 

押し黙って運転している長男の助手席で、母が古い歌謡曲を踊りながら歌い励まそうすると、激しく拒絶する長男。

 

「やめてくれ!僕はもう子供じゃない。最後の最後に何?」

「弟に聞こえる」

「逆に気が滅入るよ」

 

案の定、次男がすぐに反応する。

 

「“最後の最後”って、お兄ちゃんが」

「悪い意味じゃないわ。安心して」と母。

「いなくなるの?」

「結婚するんだ」と父。

「駆け落ちするんだ」と長男。

「やめて。捕まる…嫌な予感がする」と次男。

「すぐ戻ってくる」

 

そんな会話の中、併走する自転車レースの最後尾の選手に声をかけた途端、車に追突し、転倒させてしまった。

 

そのまま車を出せと言う父に逆らい、次男は車を止め、母と共に件(くだん)の選手を車に乗せた。

 

アームストロングに憧れている青年選手に対し、父はドーピングで記録を抹消され、永久追放されたと指摘する。

 

フェイクニュースだと主張する青年に向かって父が諭す。

 

「悪いことは言わない。そんなつまらない反論はやめて、曇りのない正直な人生を送れ」

 

「さすがだ」と言う母と次男とで、「ムハンマド師とその子孫に神の祝福を」と3人が唱和する。

 

他の選手を追い越す車の中で、もらったピスタチオを拾うと言いながら、青年は窓から見えないように身を屈めた。

 

見え見え不正行為である・

 

「不正も違法行為もしたことがないと?問題は境界線だ」と青年。

「実は長男のために…」と父。

「黙ってて」と母。

 

青年がレースに戻るために降車すると言ったので車を止めたところで、重い感染症で死ぬところを父が次男のために拾ってきたジェシーを、次男がおしっこに連れて行った。

 

なかなか戻らないので長男が車を降りて、年の離れた次男のところへ走って行くのである。

 

【アームストロングとはランス・アームストロングのことで、ドーピングの発覚でツール・ド・フランス7連覇の記録を国際自転車競技連合によって剥奪された米国の自転車ロードレース選手。本人もドーピングを認め、自転車競技からの永久追放の処分を科されている】

 

車に残った父母の会話。

 

「家も車も失った。あの子を送り出すために。もう私には、あなたとチビだけ。先のこと考えてる?」

「これが俺の未来だ。何を言ってる」

「この国を出たら、あの子はきっと必死に働くわ。家も買って、必ず家族が再会できる日が来る」

 

直後の、タバコを吸いながら休憩する母と長男の会話。

 

「あなたの世界一の映画は?」

「…『2001年宇宙の旅』…心を奪われる。まるで禅だ。心が静まる。銀河の奥深くへ…」

「銀河は戦争ばかりよ。なぜ心が静まるの?男は理解不能

「この映画は違う」

「それは何より。全能なる神に祈ります…映画の最後は?」

「宇宙船に、たった一人残された主人公が、ブラックホールの奥へどこまでも吸い込まれていく。30分間、スクリーンに映るのはそれだけ。時間と空間の果てを超えていく」

「行かないで…行かないで。お願い」

 

長男はそれを耳にして、逃げるように車に戻り、大音量で音楽をかけるのだ。

 

窓から頭を出している長男の髪を母が切る。

 

別離の時が近づいてきたのである。

 

人生論的映画評論・続: 君は行く先を知らない('21)   悲痛な叫びが夜の闇を切り裂いた  パナー・パナヒ