熊は、いない(‘22)   サイドブレーキを引く映画作家の心意気

 

1  「何も解決しない。話し合ったらどうだ」「話し合いで解決するなら、あなたはここにいない」

 

 

 

「国境付近にある小さな村からリモートで 助監督レザに指示を出すパナヒ監督。偽造パスポートを使って 国外逃亡しようとしている男女の姿をドキュメンタリードラマ映画として 撮影していたのだ。…さらに滞在先の村では、古いしきたりにより 愛し合うことが許されない恋人たちのトラブルに 監督自身が巻き込まれていく。2組の愛し合う男女が迎える、想像を絶する運命とは…パナヒの目を通して イランの現状が浮き彫りになっていく」(「映画『熊は、いない』オフィシャルサイト」より)

 

本作の要旨である。

 

【ドキュメンタリードラマとは、実際に起きた出来事の再現ドラマのこと】

 

「君の名は“イザベル”だ。姓は“ラクロワ”だ」 

「私の写真、ひどい顔」

「いかにも本物のパスポートだ。3日以内に発つんだ。それを過ぎたら無効になってしまう」

「あなたのは?新しい名前は?」

「パスポートはまだ」

「何それ?」

「後から追いかける」

「冗談はやめて」

 

そう言って、女は男から離れていく。

 

「今度は安全なんだ。命の危険もない」

「再会の保証は?」

「僕も必ず行く」

「タイミングは賭けだ。運がいい者が先に行く」

「行けないわ」と言って、再び離れていく。

「何を恐れてる」

「あなたがいたから10年も耐えられたの。離れ離れは地獄よりつらいわ」

 

そう言い放って、女は店に戻ってしまう。

 

男は為す術がなく帰っていく。

 

男の名はバクティアールで、女の名はザラ。

 

トルコから欧州に国外逃亡しようとしているカップルである。

 

ここで、トルコに近接するイランの小さな村からリモート監督しているジャファル・パナヒ監督(以下、パナヒ)が助監督のレザにカットをかけ、「まあ、よかったよ」と言いながら、「だが、なぜカメラはザラを追ったんだ。バクティアールに寄るべきだろう。ザラじゃない」と指摘する。

 

この指摘に対して、映像に映らないスタッフの一人が物言いする。

 

「パナヒさんの言うとおりですが、彼がザラを追うつもりが、そうしなかったんです」

「レザ、君が役者に指示しないと。最後の立ち位置に行ってくれ。ザラが去るタイミングについてもだ。バクティアールにパン(レンズの向きを水平方向に動かすこと)するとムダなフレームが入り、リズムが崩れる。もちろん撮り直しだ」

 

ここまで話したところで回線が切れてしまった。

 

Wi-Fi環境が悪く、電波が届く場所を探すが無理だった。

 

そこに敷地の部屋の貸主・ガンバルがやって来たので、電波が届く所を見つけるために梯子(はしご)を借りて屋根まで上ろうとするが、ガンバルが代わりにやると言って上がっていく。

 

「1年中こうなんです。電波が届かない」

 

そう言われて諦めたパナヒは、村の婚約の儀式に行くというガンバルに、儀式の撮影を頼むのだ。

 

「はるばるテヘランから来たんだし、ご自分で…」

 

そう言われたパナヒは、自分がイランからの出国禁止になっている事情を話さず、一方的に撮影を頼んでしまう。

 

「僕は映画監督だぞ」と言って儀式に向かうガンバルの声を耳にして、パナヒ監督は村の子供たちを撮り捲る。

 

パナヒ監督はガンバルの母から夕食に呼ばれ、儀式の様子を尋ねる。

 

「古いしきたりなの。亡くなった母の時代には、若い男は好きな娘を川のそばで待ち伏せて、チャドルをはぎ取って、強引に自分の妻にした。娘が望んでいなくとも否応なしにね。そうして娘は婚約。他の男は求婚できなくなった。今日は婚約の儀式」

「儀式ではどんなことを?」とパナヒ。

「それも村に伝わるしきたりで、婚約した2人を川の夫婦岩に連れていくの。そして娘を左側の岩に座らせ、それぞれの足を村人が川の水で洗うのよ。2人の未来が洗いたての足のように輝き、清らかに始まるようにと」

「いい伝統ですが、論理的根拠は?なぜ娘が左側に座って、青年が右側なんです。逆じゃだめですか?」

「知りませんよ。昔から、女は男の体の左側から創られたと言われてる。それでいいの」

 

この話題は終わり、パナヒは夕食のお盆を持って帰っていくと、婚約の儀式の撮影を頼んだガンバルがカメラを返しに来て、早速、その動画を確認すると唖然とする。

 

「君は撮るべき時に止めて、止めるべき時に撮ったな」とパナヒ。

 

「密出国する気かもそれないぞ…国境まで来るんだから何か怪しい」

「村長の紹介だぞ。パソコンで1日中、誰かと話してる。1週間、部屋に籠もってる」

「きっとトラブルを起こすぞ」

 

揺れ動く動画に収められている、パナヒについての会話の一部である。

 

そんな折、動画を見るパナヒにトルコでの撮影のラッシュ(未編集の映像)を届けるために、助監督のレザがやって来た。

 

人に見られないように、密輸ルートの道路で待ち合わせたレザの目的は、パナヒの村での滞在を危険視するレザが、トルコへの密出国を求めるのである。

 

「トルコに来るなら、今がその時です。繊細な撮影が控えてるので4,5日現場にいてほしい。撮り終えたら、大至急、戻ればいい」

 

未舗装の道を案内するレザの説得に乗って、HDD(PCのデータを保存する補助記憶装置)を持ち、パナヒは車を降りる決意を見せ、行動に振れていく。

 

しかし、そこまでだった。

 

パナヒは国境を越えることを止め、車に戻ってしまったのだ。

 

そんな状況下で、ゴザルという娘が走りながらやって来て、「私(ゴザル)とソルドゥーズの写真を見られたら大変なんです。血が流れます。助けてください」と言われるが、そのまま帰宅するパナヒ。

 

パナヒの帰宅が遅いので心配したガンバルの母からも、「若いカップルの写真を撮りました?」と尋ねられ、「いいえ。でも確認します」と答えるのみ。

 

「忘れないで。村の人は面倒を起こしがちよ」とガンバルの母。

 

朝になった。

 

フィルムを確認中のパナヒの部屋にやって来たガンバルは、「ゆうべ、国境へ行きましたか?誰にも見られないように車の土埃(つちぼこり)は払いました」と言われたので、パナヒは、「土埃なら村を走れば付く」と答えたが、「あれは村の土じゃありません。あんな土が付くのは特急便が通るだけだ。どうやってあそこへ?」と問われ、「よく覚えていない」と誤魔化すパナヒ。

 

「もっと気をつけてください」と言われ、「分かった。ありがとう」と答えて一件落着。

 

今度は3人の村人がパナヒのもとを訪ねて来た。

 

「なぜ、わざわざ辺境の村まで来なさった?」

 

村長と親しい友人が、この村を紹介してくれたと答えるパナヒに対して、ガンバルの母から知らされた村に伝わるしきたりについて話す村人。

 

「女の赤ん坊のへその緒は未来の夫を決めてから切る。ゴザルは生まれた時にヤグーブとの結婚が決められた。ソルドゥーズが身を引けば済むんだがな…ヤグーブの父親に相談したが、“息子を侮辱するつもりか。証拠を見せろ”の一点張り。あんたが撮った写真があれば、父親に決定的な証拠を突きつけてやれる」

 

「写真はたくさん撮っていますが、その写真には覚えがない」

 

結局、話し合いは物別れに終わり、3人は帰っていく。

 

その直後、ガンバルの案内で村長に呼ばれて実家を訪ねるパナヒ。

 

パナヒを呼んだ目的は、ここでも「写真を貸してくれ」というもの。

 

「私を追い返す口実を探しているんだろう」と反発するパナヒ。

 

部屋に戻ったパナヒのもとに、今度は見知らぬ青年が訪ねて来た。

 

村の噂になっているソルドゥーズである。

 

「急を要するんです。話を聞いてください」

「無断で入り込んだくせに、急に丁寧だな」

「さっきはすいません。僕は村で育ち、大学でテヘランに行きました。ところがデモに参加し、退学になってしまい、出直そうと村に戻ってきました。もちろん、理由は他にもありました。ゴザルです。恋をしています。ヤグーブがしつこく付きまとうので、ゴザルを連れて逃げるつもりです。バカげてる。へその緒の契りだなんて。芳(かんば)しくなかった両家の関係が、おかげでよくなったそうです。駆け落ちは1週間後。写真を渡すのはそのあとに」

「何も解決しない。話し合ったらどうだ」

「話し合いで解決するなら、あなたはここにいない」

「どういう意味だ」

「あなたの問題も言葉では解決しなかった。パナヒさん。あなたは厄介な状況にいる。僕も同じです」

「脅しか」

「そんな。違います。もう結構です。1週間で消えるのでご安心を」

 

「失礼します」と言って帰っていくソルドゥーズ。

 

その後ろ姿を確認したパナヒは丘の上に出て、回線が繋がってレザとの交信が可能になった。

 

トルコでの撮影が進んでいた。

 

誕生日パーティーで重苦しい歌を歌うザラは途中で外に出てしまう。

 

バクティアールがザラを追おうとしたら仲間に止められ、落ち着かない感情を発散することもできず、近辺を彷徨っ(さまよ)ている。

 

ここで「カット」が入り、バクティアールはパナヒに連絡して、「密出国の手配師が、明日会いたいと。嘘かもしれないが、次は僕の“ゲーム”だと。僕のパスポートが手に入る。僕もザラと発ちます」

 

この話を耳に入れたパナヒは、レザに「同行して取材できないか?」と問い、バクティアールが「無理に決まっている」と反対する中で「やりましょう」と答えるレザ。

 

この辺りから、トルコパートは歪(いびつ)の様相を呈していく。

 

 

人生論的映画評論・続: 熊は、いない(‘22)   サイドブレーキを引く映画作家の心意気  ジャファル・パナヒ