チャドルと生きる('00)   ジャファル・パナヒ <危機感に関わる熱量自給を再生産する映像作家の気概>

 1  西側諸国での公開を前提化する映像作家の状況性 ―― その1



 西側諸国において、女性の人権蹂躙と指弾されるが故に、恐らく、西側での公開を前提にするような内容の物語があり、そんな物語をテーマにすることを使命にするかの如き映像作家がいて、その映像作家の表現作品を、国内での上映を禁止することを使命にする国民国家がある。

 そこに、表現の自由を巡る深刻な確執が生まれた。

 しかし、覚悟を括った映像作家の作品がヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞を受賞するに至り、彼の著名な処女作でもある情感濃度が心地良き逸品、「白い風船」(1995年製作)を凌駕する評価を得るに至って、いよいよ、彼の作品の国内上映がシビアになっていくという状況が出来した。

 彼の表現活動が、改革派で名高いハタミ政権の下においてさえも困難を極める文化状況こそ、後のアフマディーネジャード政権(2005年以降)に至るシャリーア(注)の遵守の強化という、巨大な縛りを必然化する流れ方を予見させるものであったに違いない。

 現に件の映像作家は、2010年に治安当局から捕捉され、辛うじて保釈金によって解放されるという厳しいエピソードに繋がっていく。

 この映像作家の名は、ジャファール・パナヒ。

 その辺りの事情を、ネットニュースから抜粋してみる。

 「イラン改革派を支持する著名な映画監督ジャファール・パナヒ氏(49)が1日夜(日本時間2日未明)、私服の治安関係者によりテヘラン市内の自宅から、同氏の妻と娘、15人の訪問客とともに連行された。ロイター通信が2日、改革派のウェブサイトの情報として伝えた。

 同氏の子息もフランス通信(AFP)に連行の事実を確認した。治安関係者は家宅捜索を行い、パナヒ氏の所持品やコンピューターを押収した。

 パナヒ氏は、保守的なイランの社会での女性の生き方を描いた『チャドルと生きる』で2000年のヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。06年には『オフサイド・ガールズ』でベルリン国際映画賞銀熊賞も受賞し、イランを代表する映画監督の1人。改革派を支持する市民の大規模な抗議行動につながった昨年6月の大統領選挙では、改革派のムサビ候補(元首相)支持を鮮明にしていた」(産経ニュース 2010.3.2)

 「国際的に活躍するパナヒ監督の解放を求めて、スティーヴン・スピルバーグマーティン・スコセッシフランシス・コッポラアン・リースティーヴン・ソダーバーグマイケル・ムーアといった監督たちが署名運動を行っていた。(略)

 保釈金は20億イラン・リアル(約1,800万円)で、解放されたパナヒ監督は、家族や弁護士との面会を求めて16日からテヘランのエビン刑務所でハンガーストライキを始めていた」(CinemaCafé.net, 2010年5月26日)

 以上の記事は、2009年の大統領選挙において、改革派のミール・ホセイン・ムーサヴィー候補を積極的に支持した、ジャファール・パナヒ監督の表現活動への露骨な統制に繋がっていく。
 
 当然、今後の彼の表現活動は、西側諸国での公開を前提化することになるので、その作品内容も誇張含みに尖鋭化されないとも限らないと言えるが、一切は監督自身の問題である。



 2  西側諸国での公開を前提化する映像作家の状況性 ―― その2



 ともあれ、本作の製作当時、ジャファール・パナヒ監督は、インタビューで公開への困難さを語っていた。

 「今回のような映画をつくるにはさまざまな問題に直面せざるを得ず、その結果、完成までに3年かかってしまいました。まず、企画を提出して撮影許可を求める段階から非常な反対にあい、一時はイラン国内での映画製作自体を禁じられるところまで行きました。

 イランの現在の政治情勢からすれば、女性の問題に触れることさえ許されないのです。撮影許可が下りるまで9ヶ月かかりましたが、それも完成後に入念なチェックを経て最終的な判断を下すという留保付きでした。

 イラン映画祭に間に合うように仕上げたのですが、結局映画祭での上映は許されず、ヴェネチア映画祭の方や市山さんなどたった7人の人にこっそり見せるのが精一杯でした。

 ヴェネチア映画祭のためにフィルムを国外に出すのもまた一苦労で、許可が下りたのはなんと映画祭の3日前でした」(TOKYO FILMEX ジャファル・パナヒ監督  インタビュー常石史子映画批評家東京国立近代美術館フィルムセンター研究員/筆者段落構成)

 そんなジャファール・パナヒ監督が、緻密な映像構成の中で構築した作品こそが「チャドルと生きる」。

 英題は「The Circle」。

 言うまでもなく、「円」、「輪」という意味だ。

 「チャドル」とは、イラン女性が外出の際に身に着ける衣装であるが、シャリーアの法体系の中にあっても、一般家庭内での女性の立場が決して虐げられていると言えないというレポートもある。

 それがどこまでリアリティを持つか否か不分明であるが、本作では、「女性の人権蹂躙」の象徴として描かれていたのは周知の事実。

 以下、本作の内容に言及していく。


(注)イスラーム教における法体系のこと。婚外セックスに対する石打ち刑や、窃盗罪で手の切断などの刑が執行されるなど、西側諸国の人権団体からの報告多数。



 3  「分娩・失意」→「仮釈・楽園喪失」→「脱走・閉塞」



 「チャドル」で全身をすっぽり覆った、訳有りの女性たちの半日を描く本作の映像のオープニングは、朝の明るい色調の白を背景に開かれていく。

 これが、長廻しで撮られるこのシークエンスの内に、既に本作のテーマが凝縮されている。

 「ソルマズ・ゴラミの付き添いの方いますか?」

 これは、女の子を出産した直後、顔だけが見える白い小窓からの看護師の声。

 「超音波検査では男の子だったのよ・・・役立たずの嫁だと言って、離縁されてしまう」

 産まれた子が女の子と知って、病院で嘆息する母。

 その老いた母は、出産の祝福にやって来た親族に頼んで、連絡の使いを外に出した。

 そこで擦れ違った、チャドルを纏(まと)った3人の女性。

 刑務所から仮釈で出所した彼女らは、そのまま脱走し、ラジリクという地名の「楽園」に逃げて行くつもりだったが、パトロールする警察の視線が気になっているうちに、一人が捕捉されてしまった。

 逮捕を免れて、残された2人の名は、アズレーとナルゲス。

 アズレーは金策に奔走した果てに、ナルゲスと別れ、ナルゲスだけがバスに乗ろうとするが、身分証も学生証も持たない彼女が苦労して乗車券を手に入れるものの、バスに警官を視認して、別れたアズレーのもとに逃げ帰る始末。

 アズレーを探せなかったナルゲスは、刑務所を脱走して来たパリを訪ねるが、「とっとと刑務所に戻れ!パリは死んだんだ!」と、彼女の父親に言われて追い返されてしまった。

 ここで、ナルゲスの「出番」は終わる。

 既に処刑されてしまった男との間に孕んだ子供を堕すべく、刑務所を脱走して来たパリは、急遽、訪ねて来た兄弟に親族の恥だと言われ、乱暴された挙句、監禁状態に置かれた。

 パリは親族同士の争いの中で、結局、実家を追い出されてしまうのだ。

 今や妊娠4ヶ月のパリは、病院に勤めている、かつての刑務所仲間のエルハムを頼って行くが、同病院のドクターと結婚し、幸福な生活を送っている彼女から、未婚であり、同意書も身分証もないという理由から堕胎を拒絶され、今や、夜の街を彷徨するばかりだった。



(人生論的映画評論/チャドルと生きる('00)   ジャファル・パナヒ <危機感に関わる熱量自給を再生産する映像作家の気概>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/11/00.html